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· One min read

よくわからなかったなあ。人間関係が複雑に変化していくタイプのアニメって苦手なんですよ。本当に全然わからないまま終わってしまった。作画も特にいいというわけでもなく、総合的にあいみょんの歌とショタが一番よかった。

· 18 min read

『大人になりたくない』

脚本:雪室俊一
演出:森田浩光
作画監督:見陰智史
仕上:中沢邦夫
美術:佐藤博

将来の夢。堀川はいろいろな料金が上がるので大人になりたくない。カツオも大人になりたくない。5年生がちょうどいい。幼すぎず、ドラマの大人の恋愛もすこしわかる。さらに成長するとお金もどんどんかかるようになる。波平とフネはカツオが将来のことを考えていることに関心する。翌日、雪室5人衆(雪室俊一はカツオ・中島・花沢・早川・カオリの5人が教室の後ろで並んで喋っているシーンを頻繁に書く。中島が大人っぽさを披露し、女子3人がそれを褒め、カツオが拗ねるのがお約束)の世間話。中島が大人の切符で電車に乗った。中島はそれだけで景色が違って見えたという。それに比べてカツオは子ども丸出しと言われ心外。実はカツオも大人の切符で野球に入ったことがあった。早川の母も大人料金になったときに2枚買って1枚を記念にとってある。堀川、年を取るとシルバーパスがもらえることに気づく。これオチてないな…。

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

怒らないで「どうしてなりたくない?」と聞いてくれる先生、いい先生ですね… #sazaesan

2019/10/13 18:34:14

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

「この程度」ってことはもっと過激なことも知ってるんですかねカツオは… #sazaesan

2019/10/13 18:35:25

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

「中島くんが大人になった♂」 #sazaesan

2019/10/13 18:36:47

『愛しのやきいも』

脚本:広田光毅
演出:神原雄二
作画監督:石丸哲也
仕上:千代間由佳
美術:佐藤博

夜に焼き芋の屋台がうるさくて眠れないタラオ。明くる日、サザエはスーパーで焼き芋を買い逃す。ウキエに遭遇して隣町で買ったという焼き芋を分けてもらう。帰って食べようと思ったらノリスケが勝手に食べてしまう。「ハー!!」と激怒するサザエ。帰宅してきたマスオも会社で焼き芋を食べていた。ノリスケが謝罪にスイートポテトを持ってくるがサザエは焼き芋が食べたい。マスオが持っていた電球すら焼き芋に見えてしまう。また明くる日、芋を買ってくるがオーブンが壊れていた。見かねてタラオが新聞紙で焼き芋を作ってくれた。次の日、道で焼き芋の屋台を見つける。風邪で休んでいたとのこと。帰宅してみるとウラオバが焼き芋をくれた。波平とマスオも買って帰ってきた。サザエは嬉しそうに食べて、屋台でもまた焼き芋を買って終わり。意味分かんねえな。なんだこれ。

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

サザエ病気でしょ… #sazaesan

2019/10/13 18:46:23

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

冷静にサザエがここまで焼き芋に執着する理由よくわかんなくないですか? #sazaesan

2019/10/13 18:48:33

けけお@kekeo_tw

ウキエさんに俺のアツアツのサツマイモを食べさせたくなる話でした

2019/10/13 18:49:16

『秋ふかし、隣は何を…?』

脚本:城山昇
演出:山崎茂
作画監督:鈴木佐智子
仕上:磯部知子
美術:小日向乃理子

あらすじ

冒頭「人生なんて儚くて虚しいもんだわ。花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」などと縁側で世を儚むサザエだが、鍋焼きうどんが来たと言われると1コマ作画で台所へすっ飛んでいった。Bに引き続いてサザエの食への貪欲さが描かれた。カツオが勉強しているという異常事態に驚くサザエとフネ。カツオは勉強していることを見てほしそうだ。

サザエは花沢に会い、カツオが勉強をしている理由を知る。花沢が父親にコートをねだったところ「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の格言とともに、直接ではなく側面から買ってもらえるような状況を作るアプローチをせよと言われた。花沢は母親の機嫌を取るためお遣いをし、それを聞いたカツオもまた、新しいサッカーボールを買ってもらうために勉強で波平の機嫌を取ろうとしていたのだ。

夜、波平が帰宅してもカツオは出迎えに出ない。いぶかる波平に対してワカメは「お勉強」と答える。波平は邪魔をしてはいけないと考えてカツオに声をかけないが、それでは困るカツオは自分でふすまを開けた。しかしフネとサザエは「本物の勉強に変わるかもしれない」と相談し、サザエはカツオの打算を無力化すべくふすまをまた閉めてしまった。カツオは面白くない。ここでマスオもサザエにカツオの意図を聞かされる。マスオは「秋ふかし、隣は何をする人ぞ」と諳んじる(正確には「秋深き」らしい)。サザエに同意して言及しないことにする。

そんな合意のせいで、カツオが珍しく勉強しているのに夕食でも誰もそれに言及しない。夜、波平が居室で俳句を詠んでいる。「夜寒かないずこの佳人のくしゃみやら」。波平の反応が気になって部屋を覗いていたカツオが入り、その句を褒める。が、「佳人」の意味がわかっていなかったせいで逆に勉強が足りないと言われてしまう。

明くる日、カツオが友人らと空き地でサッカーをしている。カツオのボールだけが汚い。波平はそれに気づくが『貫禄か」「大事に使いなさい」とだけいって去る。またも目論見が外れ「新しいボールがほしいんだよ」と思いつつうなだれるカツオ。

帰宅後、波平はカツオを呼ぶ。波平はカツオの狙いがわかっていた。「気づかんでどうする。父親だぞ」。しかし呼ばれたカツオは気づかれているなんて思いもせず、叱られる理由が思い当たらないと言う。開口一番「新しいボールが欲しいんだろう」と言う波平。喜びのあまりカツオは波平に抱きつく。あまりの勢いに波平は咳き込む。

カツオがもうすぐお別れだからと古いサッカーボールを洗っている。サザエと傷ひとつひとつに歴史が刻まれていると話す。カツオはボールとの別れが惜しくなり、新しいボールはいらないと波平に言う。カツオはボールがいらなくなったのに勉強をしている。が、宿題を忘れていただけだった。

夜、雨樋からバケツに滴る雨音を聴きながら「秋の夜長か」「秋深しね」と言い合うマスオとサザエ。

考察

キャラの持っている情報に差をつける

これは城山先生のマスターピースだ。城山先生といえば複数のキャラが違う情報や意図を持ちながら状況を複雑化していく展開を得意としている。冒頭でサザエは花沢さんに会うまでカツオの勉強の意図を知らないし、その情報がフネやマスオに伝達される過程も自明のものとせず、きちんとその場面を描きつつフネやマスオの反応も描いている。波平もいつの間にかカツオの意図に気づいていたが、「気づいている」という事実には他の誰も気づいていない(おそらくカツオが出迎えに来なかったときからずっと予感はあって、空き地でサッカーしているのを見たときに完全に理解したのだろう)。

「ある事実を知っている」こと、そして「知っていることを知っている」ことが絡まっていくのを上手く活用して、城山先生は磯野家の人間関係を繊細に描いている。カツオは「サッカーボールが欲しい」という本来の意図を知られていることに気づいていない。サザエは知ったうえでその情報を利用してカツオをコントロールしようとする。そして波平は知った上で知っていることを隠しつつカツオを見守っている。ここに波平の父親としての度量がある。

このエピソードでカツオはサッカーボールを買ってもらうために心理戦を挑む。しかしこれはひとつの具体例に過ぎず、本質ではない。その証拠に、最後にカツオは新しいサッカーボールはいらないことに気づく。むしろ本質はカツオが波平に本心を隠す点にある。具体的に言えばカツオが波平の帰宅の出迎えに来なくなり、波平が受け止められないほどにカツオが大きく成長するということだ。これは未来に必ず起きる。

このエピソードではそんなカツオの思春期の前触れ(これを秋という季節と重ねている)を描きつつ、いつか本格的にその時期が来ても、波平はカツオを辛抱強く見守ることができるだろうし、家族の支えがあればカツオは自分で本当に必要な未来を選び取っていけるということを描いている。波平がフネに命じてカツオを呼び出すような古い家父長制的描写もあるが、それも含めてこれが城山先生の「父と子」像なのだろう。

Aパートはカツオがずっと小学5年生でいたいという話だったが、それに呼応するかのように(実際のところ脚本家同士で相談しているかは不明だ)カツオはいつまでも小学5年生ではいられないし、波平とカツオの関係もいつまでも同じではないというある種残酷なエピソードとなった。冒頭のサザエの意味深な愁思もそれを暗示している。しかし残酷さの中にも未来(サザエさん時空のなかで未来を描くためにサッカーボールという小道具が必要だったのだ)への希望を持たせるこのエピソードは、作品No.8000にふさわしい名作となった。

自然な会話に情報を盛り込む

自然というのは説明的ではないという意味だ。キャラクターが視聴者に向けて説明するような言葉を使わず、あくまでキャラクターとキャラクターの間で自然に発生しそうな会話の中で視聴者に必要な情報を提示する技術が発揮されていたシーンがあった。それがサザエと花沢の会話だ。

このシーンの情報密度は凄まじい。サザエが花沢に会うとまず「あら花沢さん、お遣い?」「はい」「偉いわねえ」という会話になる。ここで既に花沢さんが利他的な「偉い」行動をしているということが提示される。そして「将を射んと欲すれば〜」の話のあと、花沢が買い物バッグを指して「私の馬です」と言うことで、花沢が母親の機嫌を取ろうとしていることが明らかになる。説明的にならない会話の流れの中で情報を美しく連鎖的に提示し、何が起きているかを理解させる技巧はまさしく「技の城山」である。

いかれ帽子屋の屑人間@kuzu_ningen

作品No.8000 #sazae #sazae #sazaesan #tarawoshine #fujitv https://t.co/TieLT7TsIW

2019/10/13 18:50:52

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

開幕、サザエが知らない何かを花沢さんが知っているという城山先生的知識格差メソッドだ #sazaesan

2019/10/13 18:52:12これと対比するようにカツオは波平の様子を見に行く。カツオは波平と違って部屋に入っていくのだが

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

カツオが波平を出し抜いてると思いこんでいるけど波平はちゃんとお見通しというのが良いし、波平の予想以上にカツオは大きく成長しているというのもいい…城山先生の親子観、そしてボールの傷という歴史への視点…これが教養 #sazaesan

2019/10/13 18:56:31

ピリカ・ラザンギという甘い食べ物@mynetworks666

8000回の節目で歴史を刻む話をする城山先生の心意気 #sazae #sazaesan

2019/10/13 18:57:25

· 3 min read

トクナナ1話
どこかで見たような刑事バディモノ。論理が適当。全てがどこかで見た感じ。2019年にやる価値なし。1話で作画監督10人という絶望。

Actors Songs Connection1話
男子高校生が集まって音楽やるぞっていうこれもまたどこかで見た感じのアレなんだけど、「この曲はボカロ向けだから人間が歌うには音域的に難しい」という謎に本格派の発言があったり、歌唱シーンでいきなり作画が頑張りまくったり、姉が「白い人がいる」などとオカルト発言をしだしたり、オリジナリティと言うか尖ったところを1話で出してきているので好きになってしまった。

アフリカのサラリーマン1話
サラリーマンを題材にした下品なコメディでホントしょーもないのだが、映像のクオリティが恐ろしく高い。CGと作画を自在に織り交ぜつつ、多種多様なアニメーション表現が含まれていて見ていて飽きない。最後の合コンのエピソードでは、アニメーションとして戯画化することでキャラクターが知性のある動物なのかそうでないペットなのかわからない(両方存在しているというのもだいぶ挑戦的な設定ではあるが…)という仕掛けが含まれていて、このようなアニメーションのメディアとしての特性を自覚した上で露悪的な社会批判(飼う側と飼われる側の権力構造とか、種族・外見に基づく差別とか)を行っているのは高畑勲っぽいなと思った(よく知らない)。

XL上司1話
いつもの僧侶枠にいつもの熨斗谷監督。実家のような安心感。陰茎が巨大であるというただそれだけの事実でどこまで突っ走れるのか楽しみだ。

· 3 min read

科学者一家が不老長寿の薬を発明し、それを託された娘と、それを求める地下トカゲ帝国(!?)と、科学者を支配しようとする国家のせめぎあいを描く。

話の進み方が行き当たりばったりで設定も突飛なのだが、生命と科学の関係について深く考えさせられた。終盤、猫のダーウィンが発射間際のロケットに飛び込んで核爆発を防ぐシーンが素晴らしかった。結局ダーウィンは宇宙に飛ばされ金星(だったかな?)で生き続けることになる。不老長寿には永遠の孤独という負の印象もあったのだが、この物語では不老長寿のおかげでダーウィンは生き続け、人類が金星に到達したときの映像を通じて老いたアヴリルと再会する。不老長寿も宇宙進出も、科学の力を希望として描きたかったのだろう。人間ではない生物に重大な任務を与えてロケットに乗せる話(+時間的な隔絶が生じる)はエレメントハンターを思い出したし、具体的なストーリーからいつの間にか壮大なテーマを感じさせられているのは『レッドタートル』を思い出した。

技術の話をすると、人物作画は良い。美しい動画とか気持ちのいいタイミングとかではないのだが、細かい動作をたくさん入れて芝居をさせていた。特筆すべきはエフェクト作画で、爆発や水がとても上手かった。科学をテーマにした作品なので、自然現象を制御したりできなかったりする様子の表現が大事なのだろう。

· 5 min read

NINJAの末裔の少女が殺された父親と祖父の仇をとる話。

率直に言えばそんなに面白くはなかった。幼女がNINJAアクションする冒頭から既に既視感がありすぎて退屈だったし、その後の父親からロボットのペット(アニマルドローン)を紹介されるシーンもかったるくて寝てしまった。父親のアニマルドローンに関する研究が兵器に転用されているというのがストーリーの重要な点なのだが、登場するアニマルドローン3体のビジュアルがあまりにもショボすぎる。あまりにも普通の動物の見た目なのだ。

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メインキャラの風格がなさすぎる。アニマルドローンは人間の奴隷ではなく友達であるということを説明するために過去のエピソードが1つ挿入されるのだが、よく理解できなかった。説得力のある使い方ができないのならAIとか出さないほうがいいと思う。そもそも復讐の相手はマッドサイエンティストであり、つまり狂人である。狂人に道理はないので力でねじ伏せるしかない。主人公が敵と戦いながら互いの主張をぶつけ合うということにならない。だからこの物語に特に主張はない。一応主人公が仇を殺して良いのか悪いのか思い悩むところはあるのだが、そもそも狂人は殺さない止まらないので結論はもう出ている。アニメに狂人を出してはいけない。そんな感じで、どこかで見たような設定の上で描写不足でポイントもよくわからない物語が100分続くだけだった。

実際のところオリジナルアニメ作品の脚本はこんなもんだろうと覚悟はしていた。だがクオリティ面でも概ね劇場レベルを下回っていて残念だった。キャラクターの作画はかわいいことにはかわいいのだが、目の大きさが変わりすぎていたりギャグ顔の崩しのレベルが全編通して不統一だったりと、演出が機能しているのか怪しい。アクションはよく動いていたような気もするが、体術と超能力と戦車という無差別級もいいところのゴチャゴチャぶりで強さの相場がわからなかった。唯一音楽は横山克が作ったと思しき曲は良かった。オーケストラが好きなので。

パンフレットのインタビューで脚本のハヤシナオキは「企画の成立自体からイレギュラーで、本来のアニメの作り方とは全然違うもの」と述べている。また、野村総監督は既存作品との被りを避けた、バトンタッチした篠原監督がどうしても復讐劇要素を加えたがったと述べている。平たく言えば迷走で、まあそうだろうなという出来。野村総監督が家族で見てほしいと言っている一方でキャラデザの斎藤敦史には永谷プロデューサーから「秋葉原にいるアニメファンを敵にしないでほしい」というオーダーがあったというのも面白い。ちなみにパンフレットには省略版のスタッフリストしか載ってない。絵コンテは6人くらいいた気がするがクレジットが英語なのでよく覚えてない。

そう、英語なのだ。この作品は海外受けを狙っているのだと思う。そう考えると、JAPANで2019年にやっていいとは思えない既視感の強い展開やNINJAアクション、超能力や戦車といった味付けの強さも納得できる。

· 7 min read

『すき焼きはノリスケ流』

脚本:雪室俊一
演出:森田浩光
作画監督:関本典孝
仕上:磯部知子
美術:矢須田綾

冒頭原作、「文句は政府に」が「文句は会社に」に改変。マスオの歩きの周期がサザエとワカメより長い芸コマ。
すき焼きの鍋という謎アイテムと「鍋は多人数のほうが美味い」という謎テーゼを中心に、早川家での鍋パーティに鍋を貸す、中島が来ることになって嫌な顔をする、貸さなくて良くなったという流れで、結局磯野家で鍋をしながら多人数の鍋のほうがいいねという終わり方。

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

補欠より下のカツオ… #sazaesan

2019/09/29 18:37:10

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

待て待て、サザエの世界には一年前も一年後もないのでは? #sazaesan

2019/09/29 18:37:49

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

女を巡ってカツオと中島を微妙な関係にするの、ホント好きだなあ雪室先生 #sazaesan

2019/09/29 18:39:31

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

「鍋はみんなで食べるとうまい」といいたいだけの雪室脚本回 #sazaesan

2019/09/29 18:40:12

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

雪室先生の鍋哲学の主張が強すぎる #sazaesan

2019/09/29 18:40:40

『雨の日の遊び』

脚本:城山昇
演出:佐藤豊
作画監督:吉崎誠
仕上:千代間由佳
美術:佐藤博

雨の日退屈だからお菓子探ししてたけど糠が臭いので台所が探されず助かった。「雨の日はろくな遊びしかしない」という間違った日本語。三輪車レースでタマを轢きそうになる。迷惑な遊びはやめろとサザエに怒られる。フネの背中にタラが隠れ、おばあさんに見える。「私たちを巻き込む遊びはやめろ」と怒るサザエ。梨運びゲームで梨を落としてやっぱり怒られる。サザエやフネから見た「子どもたちが何か変な遊びをしている」という様子がふすまや障子の隙間からちらりと見えるカットの多用で印象的に表現される。雨が上がり泥だらけになって遊ぶ子どもたち、サザエは怒るがフネはサザエもそうだったと言う。夕食、傷んだ梨を食べる。梨で何をして遊んだんだろうといぶかるマスオを馬人参して遊んで終わり。

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

実家に帰るたびに両親の老いを感じる独身男性を刺しに来るのはやめろ #sazaesan

2019/09/29 18:45:23

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

いつもより引きの玄関…雨雲を見せるため… #sazaesan

2019/09/29 18:46:45

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

タラちゃんのステップ極上作画だった #sazaesan

2019/09/29 18:47:37

ふしぎそ@Ivysaur

雨には雨上がりがあり、雨上がりには雨上がりのエピソードがある…これが城山先生の書く“天気の子”なんだな…

2019/09/29 18:47:40

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

子どもは外で遊ぶものという考え方ももはや旧時代のものでは… #sazaesan

2019/09/29 18:48:08

『酒断つふたり』

脚本:小峯裕之
演出:牛草健
作画監督:国保誠
仕上:中沢邦夫
美術:佐藤博

マスオと波平が泥酔して警察官の世話になる。翌朝、二日酔い。フネに禁酒を言い渡される。マスオ、アナゴに家族サービスでもしろと言われてタラに本を読んでやる。波平は相談があると言われてノリスケと飲み屋に。疑われるが自分は飲んでないと主張。意思の強さをアピールするために毛筆で断酒の文字を書く。が、上手く書けた気の緩みから酒をくれと言ってしまう。散歩に出るとワカメとお菓子を食べたりサブちゃんに体調を気遣われたり、良いことはあったが、やはり夕食のフライにビールがほしいと思う。酒が解禁。波平は続けようとするが夢にまで酒が出てくる。ふらりと台所に行くとマスオと遭遇。ごまかすが冷蔵庫にフネが酒とつまみを用意してくれていた。波平のモノローグを中心に進行するのは珍しい気がする。

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

「早かったわね」の煽り力の高さ #sazaesan

2019/09/29 18:51:59

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

今の「なにぃ〜↓」すき #sazaesan

2019/09/29 18:52:44

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

波平のモノローグで進む回、ちょっとめずらしくないですか? #sazaesan

2019/09/29 18:53:48

栄西・the・博愛僧侶@min_nan_a_si

えぇ↑〜〜〜〜〜!! #sazaesan

2019/09/29 18:55:45

· 10 min read

中国のwebアニメの劇場版らしいがwebアニメは未見。とても良かった。子供と見に行くべきは『海獣の子供』じゃなくてこれですよ。

ストーリー

 冒頭で中国当局の上映許可が表示されたので「中国共産党に許された映画」という視点を持たざるを得なかった。人間が妖精のすみかを開発していく様子は漢民族と少数民族の関係を想起させられ、これ大丈夫か?と思った。しかし最終的には妖精が人間に合わせていくしかないよねという話になったのでよかったのだろう。故郷を取り返したいと願う风息にも、人間との共存のバランスを守ろうとする無限にもそれぞれの正義がある。どちらが善でどちらが悪なのか名言はされないが、小黒が自ら片方を選択するという話だったのだと思う。「善と悪」は繰り返し扱われており、無限は小黒に「お前に善と悪がわかるのか」とか「力を悪いことに使わないでほしい」などと言っている。风息と決着が着いた後も「(风息が善か悪か)お前にはわかるはずだ」と言っていた。これに対して小黒の中にどういう回答があったのか、僕にはあまり自信がない。もしかしたら中国人の観客には自明に风息は悪だったのかもしれない。

 これまでの中国アニメで感じていたような文化の差を感じる場面は少なかった。敢えて言うなら時代性のようなものはよくわからなかった。人間の開発に先住者が怒るっていう話は日本だと25年前に『平成狸合戦ぽんぽこ』でやってるし、それを超えるなんらかの問題提起があったようには思えない。日本語字幕は日本語話者がチェックしてなさそうなレベルで下手。

 ギャグの切れ味が素晴らしく、起承転結で言うところの起と結だけで笑わせるスピード感のあるギャグが大量にあって中国人観客と一緒に笑っていた。

画面

 とにかく作画は全編すごい。
芝居はしっかり枚数を使って細かい動きや表情を表現していたので、キャラクターの感情がよく伝わってきた。シンプルかつ難しいことだが特定箇所ではなく「全部良い」ので、急なスタイルの変化などに変に没入が削がれることなく、描かれるキャラクターの魅力を存分に楽しめた。
アクションはNARUTOスタイル(NARUTOみたことないけど)というか中村豊スタイルというか、人間の動き自体は超高速で目ではギリギリ捉えきれないスピードで書いておいて、それによって環境が変化する(地面がえぐれるとか爆発するとか)様子によってパワーを表現するスタイルだった。あまり好みじゃないんだが、出来は良かった。ただ、同じスタイルのアクションが長く続きすぎたので若干飽きた。アクションの中に物語上意味のある変化があまりなかったのかもしれない。たとえばアクションの中でも成長や感情、人間関係などを描くことはできるのだが、この作品についてはそういうものがあまりなく、ただ派手なアクションが単調にスケールアップしながら続いていた、アクションのためのアクションに過ぎない感じた。

 キャラクターデザインはジャパニメーションに比べると線が少なめ。太くて柔らかい線に撮影処理は少なめ(キャラに被写界深度が乗ってるカットもないわけではない)で写実志向ではない。

 背景画はポスト『君の名は。』な感じ。特に空の色合いの表現が素晴らしかった。

音楽

クラシカルな編成で好みだったが、特に記憶に残ってはいない。

自分の頭を整理するため書いたあらすじ

小黒は猫の妖精。森で暮らしていたが開発によって森は破壊されてしまった。次のすみかを探してさまようなかで同じく妖精の风息に助けられ、彼と仲間たちの秘密のすみかである孤島に招かれる。しかし次の朝に無限という人間が襲来し、风息たちは小黒を残して逃げ出す。無限は小黒を拘束し、いかだで島を脱出して会館と呼ばれる場所に連れて行こうとする。

小黒は荒れた海で身を守るために、とっさに「領域」と呼ばれる能力を発動させる。それは自分の思い通りになる空間を発生させる能力だった。無限も同じ系統の能力を持っていて(たぶん)、小黒に力の使い方を指導しようとする。小黒はまだ無限を信用していなかったが、力をつければ無限から逃げ出せるようになるという理由で指導を受けるようになった。

やがていかだが岸に着き、旅路は陸路に入った。無限と同じ会館の執行人である妖精たちが現れ、妖精と人間の共生についてそれぞれの考えを小黒に語る。あるものは小黒と同じく故郷を奪われたわだかまりを抱えており、またあるものは人間が生み出す技術や文化を楽しんでいた。

旅はさらに進み、会館がある都市部に入る。ここで小黒は人間社会に溶け込んで生きる妖精たちの姿を見ることになる。そこに风息の一味が現れ小黒をさらっていく。小黒と风息は再開を喜ぶが、そこで风息は自らの目的を語る。それは自分の故郷であった都市を「領域」の能力によって支配し、人間を追い出して妖精の楽園を作ることだった。风息は「領域」の能力を持つ小黒に協力を求めるが、小黒が拒んだので「強奪」の能力を発動して小黒の「領域」の能力を命もろとも奪った。

风息とその一味はついに「領域」を発動させる。無限は风息の領域に侵入して风息を倒そうとするが、他人の領域の中で不利な戦いを強いられる。しかしそこに小黒が現れた。本来「領域」の能力は奪われると死ぬのだが、小黒は2つ持っていたので死ななかった(謎)。风息は負けを悟ると本来の木の能力で自らを大樹に変化させた。

小黒は無限の弟子として旅を続ける。

· 5 min read

ネタバレあるよ!

14歳の貴族の娘が探検から帰らなかった祖父の船を探しに行く話。家出した子供が世間の荒波に揉まれながら働く(BGMで時間を飛ばしていくシーンまである)ので実質『天気の子』。

砕氷船の技術レベルがよくわからなかったのでなんで最後がアレでよかったのかよくわかっていない。船は動かせる状態にあったが、船員の反乱のせいで帰れなくなり祖父は死んだということ?だとすればオルキンは人望がなかった(敵が多かったと母親も言っている)一方でサーシャはかろうじて船員たちをまとめ上げることができたという対比が大事なのかしら(プロダクションノートによるとだいたいこれっぽい)。

でもサーシャが強い意志で船員たちを引っ張れたのは祖父を追っていたからであって、つまりサーシャの人格的な資質というよりはむしろ2番目に行ったという状況が成功の要因だったのか?という疑問も生まれてしまう。だがサーシャの成長は意外とちゃんと描かれているのでやっぱり彼女の資質ということでいいのかもしれない。

最初のサーシャは無力で他人任せだ。王子に捜索の再開を頼むが逆に不興を買うし、家出して一人で北へ向かっても祖父の形見(だったよね?)を騙し取られる。しかしそこでサーシャはオルガに与えられた機会を活かして成長し、オルキンのメモという情報やラルソンへの貸し、さらに目的地やノルゲ号のことを調べ上げるという勤勉さを武器にルンドを動かす。この辺りは出来すぎてちょっと違和感もあったが、見終わってから考えるとこれがこの作品のリアリティレベルだったのだろう。偶然祖父の死体とその日記を見つける辺りもそう。高畑勲が「このウソのつき方は気持ちがいい」と評したのもよくわかる。

フランスアニメーションということで意気込んで見に行ったのだが、意外にもジャパニメーション的演出が多かった。特にサーシャとカッチの絡みのラッキースケベや人工呼吸。これは文化普遍的なネタなんだろうか。カッチは推せる。インタビューでは東映動画の影響を認めており、言われてみればキャラクターデザインは『太陽の王子 ホルスの大冒険』にちょっと似てる。背景とキャラクターの画風を統一することで両者がよく馴染んでいたし、井上俊之によるとそれでもキャラクターが埋没しないのはレイアウトの上手さらしい。サーシャが耳飾りを取りに行くシーンはレイアウトが素晴らしかった。

総じて満足。チャレンジして成功するという意外にも正統派な物語だった。

· 5 min read

アイスの国の王位継承者は魔法のスプーンでアイスを生み出す役割があるが、バニラ姫はまだできない。練習に嫌気がさして国を飛び出し、コキンちゃんやアンパンマン達と出会って「食」で誰かを笑顔にすることの尊さを知る。アイスを生み出すことを姫の役割ではなく人を笑顔にすることと捉え直したバニラ姫は無事魔法を成功させ、色々あってバイキンマンを撃退してめでたしめでたしという話。だと思う。

一箇所おもしろかった演出があったのでその話をしたい。バニラ姫が魔法を成功させる直前に彼女のティアラが光りながら変形して王冠になる。バニラ姫はあの瞬間をもって本当の王(女王?)になったという意味だ。これは一見すると作品のテーマと矛盾している。魔法を成功させるためには王としての義務感ではなく人を笑顔にしたいという奉仕の精神が必要であるという精神を語ってきたはずなのに、魔法を成功させることが王になることと再び繋がってしまった。

これを整合的に解釈するのならば、人を笑顔にしたいという奉仕精神を持てることが真の王になる条件であった、つまり王というのはそもそも奉仕の精神を求められる存在で、対立するかのように見えた2つの精神は実は1つだったということになる。確かに冒頭の王族教育用のビデオにもアイスを食べた人々が笑顔になるシーンはあったし、アイスを生み出す魔法の呪文は「アイスマイル・ユースマイル」だ。

ただ、この読みがすっとハマらない感覚があるのは、作中での「王」というポジションが薄すぎるからだ。王は国民に対して責任を負うものだが、作中でアイスの国の国民のように描かれていたのはアイス生産ラインで働くモノを言わぬ労働者だけだった。そしてアイスは国外に輸出され労働者たちの手には渡っていない。バニラ姫が魔法を発動させるのは国を守るためというよりはむしろ世界全体の寒冷化を止めるためだ。父王どころか使用人もおらず、アイスの国でセリフのある住人はバニラ姫とジェラート大臣のみだ。これで王という役割に奉仕の精神が含まれていることを表現しようというのは無理がある。キッズ向けだしキャラクター絞りたかったのかなあ。

小ネタ

  • 空を飛ぶ魔法は最初から使えるのが面白い
  • 王の責任って何度も書きながらバースデー・ワンダーランド思い出してた
  • クライマックスで挿入歌が入りながらエフェクト作画繰り出してて極上だった

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本当にただのメモです

  • 銃を捨てられなかった(だって警察行ったら家に連れ戻されるから)という点に意味があるかも

  • 精力剤買うシーン(小説版にある)はそれとわかる情報が完全に削除されてた。K&Aプランニングでの生活が挿入歌付きで描かれたあと、猫のアメに餌をやるシーンの前に精力剤を買っている。

  • 帆高が陽菜にはじめて会ったとき、売春を否定しなかったの面白い。むしろ邪魔してごめんとまで言っている

  • 2人で屋上に出て陽菜が力を見せるシーンで『愛にできることはまだあるかい』のオーケストラバージョンが流れてるのがダサすぎる。ボーカル曲のインストバージョンダサいからマジやめろ。その曲は予告でさんざん使われて観客はいつ流れるか楽しみに待ってるのに、中途半端な先出しで感動を削ぐのをやめろ。

  • 間宮さん(須賀の娘の今の保護者の老婦人)が須賀が禁煙したと聞いた後も「そういうイメージなの」と言い募る不条理さはもしかして監督の社会感の一端なのか

  • 同じく間宮さんの「今の子はかわいそう、昔は春も夏も素敵な季節だったのに」というセリフ、非常にわかりやすく脚本家の主張を代弁していて笑ってしまった

  • 神社で天井画を見ながら神主の説明を聞くシーン、なぜ全カットに立体的なカメラワークが付いていたのか

  • 空に願いを届けるのが天気の巫女だが、迎え火、タバコ(の煙)、花火も空に届けるという意味で「願い」のメタファーと読める

  • 立花家の庭を俯瞰するシーンで隣の家に太陽光パネルが付いていた

  • 雨に不思議な魚がいる話完全に要らなかったでしょ

  • (おそらく)陽菜の力の副作用で溜まった水を浴びてしまう中学生2人組好き。声優誰?

  • ポテチとインスタントラーメンを使ってクラシルのおしゃれアレンジ料理を作るの、貧困ではないよなあ。新海のスノビズムが漏れ出てきた感じ(『君の名は。』で喫茶店の内装を論評する3人組みたいな)。

  • 「陽菜さん水商売とか無理そう」とかいうクソ失礼な発言に陽菜が赤くなって「どこ見てんのよ」と返すのは気持ち悪かったけど、そもそも売春しようとしてたのを知られてるわけだしそんなもんかもしれない。あとこれがないと「陽菜さんを見てる」に繋がらない。

  • 最初のフリーマーケットでの仕事が終わって「やったあ」と飛び上がったときに帆高のパンツ見えてた?

  • プリキュアのコスプレのシーン、奥にアクア様もいたわ

  • 花火大会の空撮シーンで花火から出る煙もちゃんと描いてたのはどういう美学か。華やかな東京の裏側の冷たさを描いたのと同じく華やかさの裏側を描きたかったのか、単に「実際に煙出るんだから描くでしょ」という写実主義なのか。

  • 立花家の仏壇にタバコが供えられている

  • 迎え火の上で凪が左右にステップしてるところ作画良かった

  • 凪、小学校に制服あるっぽいし胸にエンブレム付いてたしバス通学だしやっぱり私立なのかなあ

  • 帆高が凪に陽菜が好きなんだろうと指摘されたときの慌てっぷりはイラッとした

  • 須賀が娘をジャイアントスイングしたあと「腰にくる」と言っていた。帆高はラストで陽菜をジャイアントスイングしてた。ちょっとした対比…ってほどでもないか。

  • 須賀の「16も18も大して変わんない」というセリフに大人と子供の感覚の違いが端的に表現されてていい

  • 姉弟2人暮らしなら行政からなんかアプローチあるはずだよね〜という話をしていたがあったわ。帆高が初めて天野家に行くときに行政の担当者っぽい2人とすれ違っている。

  • 天野家に警察が来て2人ぐらしは良くないと言われたときに陽菜が「誰にも迷惑かけてない」と答えるの、面白い。人に迷惑をかけるかどうかという視点だけがあって、自分が人に助けられるという視点がない。これも新海社会観。そもそも2人がバラバラになるとか誰も言ってないし…帆高はここで普通に家に帰っていればよかったのではないか。そうすれば陽菜は帆高を助けるために力を使って雷を落とす必要もなかった。いや、でもどのみち雨が続くか陽菜が消えるかのどちらかは避けられなかったか。

  • 「大丈夫」って結構何度も言ってる

  • 雨で社会が麻痺していく様子は実はちゃんと描かれてたんだけど、帆高たちはあまりそれに苦しめられてない。せいぜい水没した道路を歩くくらい。ここでもうちょっと帆高を苦しめておけば最後の選択に重みが出たはず。

  • 須賀さんなんで鳥居のビルの場所知ってたんだろう

  • 警察から脱走するシーン、BGM酷かったなあ。あまりに状況説明的で無個性。他の適当な作品のサントラから引っ張ってきたみたい。

  • 安井と須賀の会話よくわかんなかった

  • 帆高が線路に侵入して走り始めるシーンはシチュエーション背景カメラワークBGM全部揃ってて最高だった。

  • 最後に帆高が非常階段を駆け上るシーンは作画が貧弱すぎるでしょ。あのシチュエーションで『オトナ帝国』を思い出さないオタクはいないし、別に同じことをやれとは言わないけど真横からのバストアップをフォローするだけのカットは躍動感も何もなくて(だって画面内の移動距離0だもん)ひどい。

  • 上空で陽菜を奪還するシーン、最後にカメラがどんどん引いていって宇宙から地球を写した絵が出てくるの笑っちゃう。セカイ。

  • 立花さんが言ってたのは「東京は200年前は海」だった(数万年前だと思ってた)。200年前に埋め立てられて住み始めた人間が「また水没しちゃったならしょうがないね」と言っているのは1回目の視聴よりは納得できた

  • やっぱり東京を水没させておいて自分は遠くの島で暮らしてるのずるいよなあ。これから罪と向き合え。あの規模で水没したら死人出てると思うし周囲にスラム街発生してるでしょ。

  • 須賀の「近頃の若いやつはダメだね」みたいなセリフは映画にはなかった

  • 最後に陽菜に会う直前に水鳥が水面から飛び立つカットが入るのいい。何か驚きのある事件の発生をかっこよく表現している。でも挿入歌『大丈夫』はダサい。