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· 5 min read

1月以降アニメをほとんど見ていない。ウィークリーで見ているアニメはダンジョン飯とポケモンだけになった。見たいという気持ちが湧かなくて、むしろ見るのが怖くて苦痛だ。

趣味から遠ざかることをことさらに吹聴するのもカッコ悪い気がするが、何も言わずに消えるのも不義理な気がして、一応これを書く。

2023年はかなり頑張って、おそらく人生で一番多くアニメを見ていた。その中で、心の底から面白いと思っていないアニメを無理に視点を変えて面白がることを続けてきたが、限界を迎えてしまった。個別に苦手な作品はあるにしてもアニメーションという表現形式は好きなんだと自分に言い聞かせてきた。今でもアニメーションという表現形式が持つ力は信じているけど、表現形式だけ抽出して楽しめるわけでもないので、意味のない話だ。

1つは、商業的な目的のもとで作られるアニメが人気を得るために持っている諸要素を僕は好きではないということ。たとえばエロ、グロ、若い女、同性愛のほのめかし、俺ツエー、「また俺なにかやっちゃいました」「今更戻ってきてくれと言われてももう遅い」等の陰湿な優越感。

もう1つはアニメを見ることが競争のように感じられ始めたこと。たくさん見る、見て面白いことに気づいてそれを発表することへの義務感が強くなっていった。それ自体は全く悪い行いではないけど、アニメについて考えるたびにこのような義務を果たして徳を積むことも同時にマストのように感じてしまい、負担になった。

前者は自分に合うアニメを細々と楽しむなら回避できるだろうけど、後者はアニメを見るという行動自体が自分の中で変に条件づけされてしまっており、良質なアニメほど「ただ楽しんでいて良いのだろうか」という疑問が強くなるというジレンマがある。今見ている2作品も「アニメを見て何かを語る」という行為は自分ではできないし、それを誰かがしているのだろうと想像することも苦痛だ。たとえば特徴が強い作画なんかが出てきたとき、僕自身はそれを楽しんでいるにもかかわらず、作画崩壊と叫ぶ人間と委員長がこれでレスバしてるんだろうなと想像して気分が悪くなる。同じ理由でエンドクレジットも見られない。

まあ、とりあえず、事実としてはこういう感じです。

· 10 min read

7/10

既に多くの人が指摘している通り、話の筋書きはかなりわからないことが多い。と言いつつもホワイトノイズを見せられていたわけではないのだし、むしろわかる断片は間違いなくあった。断片から個々人の感性と照らし合わせて自分なりの『鶏の墳丘』を描き出すことが可能だと思うし、人間がそのようにして「物語」を見つけ出すことに執着するという性質自体もこの作品のテーマの一部であったように思う(だから見当外れなこと書いても恥ずかしくない!)。

どういう話?

人間に近い形をしたロボットたちが社会生活を送ったり戦争をしたりする。各シーンの意図するところは不明瞭で、脈絡なく(作ってる方にはあるのかもしれないが)素早くシーンが移り変わっていく。そのテンポ感についてはこの表現が面白かった。

その社会で作られた映像作品という建付けで4本?の劇中劇が存在し、それらはタイトルも明かされるので意味するところは汲み取りやすい。「画一的な教育」や「スマホによって人間の距離が変えられてしまった」ことを批判的に描いていたのは、素直に受け取って良いのではと思う。また、ロボたちの労働、創作活動、性行為、出産、教育のような日常生活を描いたと思われるシーン、そしてロボどうしが更に大きなロボに搭乗して撃ち合う戦争のようなシーンも多数ある。

メタ物語論?

終盤では、それまで挿入されていた物語の断片のように見える『administratorなんちゃら』『青空のなんちゃら』(すみません、うろ覚え)『穴』などの要素が、人類のあるグループが残した物語ジェネレーターによって作られていたことがわかる。私達がなんだかわからない映像の中になんとかして見出そうと思っていた物語の断片は、そもそも物語の断片たることを意図して作られたものだった。人間が生の事象の羅列の情報量を扱う非効率に耐えられず物語として形式化・縮約しようとする性質を、本当に形式しか持たない「物語」によって指摘している。それは人間の限界を指摘したいのか、物語というものを祝福したいのかは、僕にはわからなかった。

話がストレートに進まずにわからなくなっている(それゆえわかろうと探し始めてしまう)のと同じように、音楽を1音ずつに分割してキャラクターの足音に1音ずつ当てはめているところがあった。そうであるところとそうでないところがあった意味はよくわかっていないのだが、音楽もまた連続する1つ1つの音の間にメロディーを知覚する人間の性質によって成立している芸術である(この性質の強力さは、たとえば音脈分凝という現象にあらわれている)。それは物語が1つ1つの描写の連続に意味を持たせることと同じなので、この作品において音楽がバラバラに解体されるのは一貫性がある。

余談になるが、音楽をバラバラに解体しながらSEとして使うやつ、これですよね。

アニメーションでの触覚表現と異化効果

CGが硬い。ロボットだから材質として硬いのは考えてみれば当たり前だが、動きも生き生きとはしつつもやはり人間とは違うと感じられる硬いものであって、SEも硬質なものが当てられていてプチプチ的な気持ちよさもあった(キャラクターに意味のある言葉のセリフはなく、記憶が正しければBGMも少ないので、すごくSEに意識が集中させられる)。アニメーションは触覚は伝達できないものの、視覚と聴覚の合わせ技でみんな硬い!ということを強く印象付けられた。硬さを強調するシーンとして、実写映像?のハチを触ろうとするロボの手が描かれ、ハチはロボの手は刺せないんだろうなと気付かされるというところがあった。昆虫に指を差し出すというのは人間の日常的な行動に思えるが、考えてみれば人間は柔らかいのでハチに手は出さない。同様にカニロボのハサミが人型ロボを挟んでいるシーンも、人型ロボが押しつぶされている様子がないので、苦しんでいる印象を受けなかった。CGが変形描写を苦手とし硬く見えてしまうことは前々から感じているが、本作はそれを活かしている。

日常における材質の表現に加えて、ロボが破壊されるシーンも過剰なほどロボらしく、破片が変形等しないでバラバラになって飛び散る描き方をされている。もちろん有機物である本物の人間であれば血や内臓が飛び出し、人間があるべき形を失うその落差にスプラッタ的な恐怖を感じるはずだが、ロボが破壊されて粉々に飛び散るシーンにはそのような血なまぐさい恐怖感・嫌悪感は感じにくく、むしろ快楽があった。

材質も動きも人間とはまるで違うロボたちが、人間を模した四肢を持ち人間のような生活を送っている。それを見ていると、ロボがやるとこんなに違って感じられるんだという驚き、これを我々はやっているんだという気味悪さを感じ始める。我々人間はタンパク質で出来た体を見慣れているからなんとも思わないが、人間と全く材質が違う種族が人間の生活を見たら、その肉体感覚にびっくりするのではないだろうかと…。考えてみれば他の生き物の肉体を歯ですり潰して酸で分解して自らの一部とするとか、明らかにデカすぎる頭部を持つ子どもが子宮口の拡張によって無理やり生まれてくるとか、非タンパク質生命体にとって見れば驚天動地の生態なのではないか。

破壊や殺害を楽しまされたり日常生活を気味悪く感じさせられたりと、おかしな感覚を呼び覚まされるというのは、まさに見る価値のある映画だったなと思う。

· 50 min read

はじめに

こんにちは。栄西・the・博愛僧侶です。今年も例年のフォーマットに概ね則り、作品賞・エピソード賞を含んだ10選と番外編でお届けします。 それでは、お楽しみください。

過去分はこちら

エピソード賞 『NO BIKKURI, NO LIFE.』(『ビックリメン』4話)

脚本中西やすひろ
絵コンテ設楽直美
演出月見里智弘
演出高津智子
ミュージックシーン 絵コンテ・演出設楽直美
エレキベース演奏村田悟郎
ED 絵コンテ・演出月見里智弘

Ⓒロッテ・ビックリマンプロジェクト/ビックリメン製作委員会

貴重な復刻第一弾のビックリマンチョコを手に入れたいジャック(高1, CV:橘龍丸/種市桃子)は、ベースサイドストリート(モデルは福生市?)の服屋に在庫があると聞いて買いに行く。しかし外国人の店員たちはビックリマンチョコがなんなのか知らず、B系ファッションを買いに来たと思い込んで楽しげに接客してくる。一度はその接客攻勢に負けて服だけ買って出てくるジャックだったが、自身が幼いころ外国人の外見故に友達ができなかったこと、ビックリマンチョコがそれを乗り越えるために役立ったことを思い出し、好きなものをきちんとわかり合おうと決意する。そして特技のベースに合わせて英語のような日本語の歌で、ビックリマンへの愛を歌う。

ジャックがビックリマンを愛する理由が明かされる回であり、いわゆる「歌回」(挿入歌に合わせて歌の力と勢いで問題が解決する回)でもある。ベースサイドストリートの美術や外国人店員のファッションもしっかりしており、テレビアニメ独特のある話数だけ違った空気感になるやつが摂取できて脳に良い。歌唱シーンの映像も特殊EDも良い。

福生市にアメリカンなストリートがあるのは横田基地があるかららしいが、そこでジャックがイギリス生まれという設定になっているのは興味深い。イギリス生まれ日本育ち、外見は西洋人だが英語は喋れないし、おそらく米軍基地関係者でもない。そういう背景まで考えてみると、ビックリマンが友達を作るきっかけになったというのは彼にとって大きな出来事だったのだろう(アニメで髪色がメチャクチャなのは見慣れちゃうけど、そこにちゃんと意味があったとわかるのも良いね)。

なるほどなあ。

作品紹介

ビックリマンを題材とした擬ホビアニ。ホビアニのようなおもちゃを中心とした楽しい世界観ではあるが、主人公はかわいめのデザインの高校生の男子3人で、女性人気を狙っているようだ。僕も好き。今回紹介した4話の他にも6話ではプールで水着をなくして露出の危機、しかも敵対する小学生に「諦めて晒しちゃいなよ、君たちの貧相なモノをさあ」と煽られる。嬉しい。この世界にもモノが貧相なのは恥ずかしいという概念あるんだ(モテようと思ってベースを始めるという概念もある)。

キャラクター10選(放送時期順)

夕凪ツバサ(ひろがるスカイ!プリキュア)

CV村瀬歩
年齢12

©ABC-A・東映アニメーション

情報公開時に話題になった、初の男性レギュラープリキュア。プリキュアに新しい視点を導入してくれるものと期待していたが、そもそも人間ではなく、男だからどうこうという話はあまりない。それがいいというのはあるかもしれないけど。プリキュアの最も重要な個性である変身バンクも美馬健二の特徴である関節の柔らかいしなやかな動きが残ってしまっていて違和感がある。あげはとの絡みは執拗に入れてくるので薄い本ばかり厚くなっている。プリンセスに異常な愛情を抱いているのはちょっと面白い。王党派?ずっと抱いていた自分の力で空を飛ぶという目標がプリキュアになって叶ってしまったとき、次に何をすれば良いのかという問いに対して回答を出している21話は名エピソード。

作品紹介

プリキュアシリーズ20作目。最初は10年続けばいいと言われていたそうだが、もう倍まで来てしまった。脚本の守護このみと演出の土田豊がそれぞれ強烈なギャグを繰り出す。作画では森田岳士が活躍。昔からプリキュアシリーズに参加している実力派だが近年さらに絵の力が増している。構成面では24話以降ダレているが、これも含めてプリキュアの様式美かもしれない。

トムラハル(逃走中 グレートミッション)

CV小林由美子
年齢14

©フジテレビ・東映アニメーション

主人公・颯也の弟。1話時点で貧困居住区の風土病を患っていたが、シブヤステージ後にモーリスから送られた金で治療している。颯也の活躍を見て自身も逃走中への参加を望むようになるが、病弱なハルを心配する颯也からは「お前には無理だ」と一蹴され、正体を隠して参加することになる。謎解きが得意。逃走中で謎解きの見せ場を作るのはちょっと無理がある気がする…。兄といつか本物の青い海を見に行くのが夢。作品の大部分は逃走中のゲーム内なのだが、舞台は月面コロニーなのでそもそも海とは…?となる。もしかして終盤は突然SFアニメになって地球に行ったりするんだろうか。そこまで広げて畳み切ったら見事なものだと思う。楽しみだ。

作品紹介

どういう事情で作られることになったかさっぱりわからない貝澤幸男大先生の最新作。あの「逃走中」をアニメ化するにあたって、「未来の月面世界の貧困層から富裕層までが一堂に会する大会」という設定にしたのが面白い。尖ったキャラクターがたくさん出てきて楽しいし、舞台も毎回独特でバラエティに富んだワクワクを提供しようという心意気が嬉しい。

演出家では宮元宏彰や若手の髙戸谷一歩が活躍。貝澤先生もたまには各話演出やってくれていいのよ。アニメーターでは大ベテランの直井正博の表現力豊かなポージング、小泉昇の力強いアクションが楽しめる。他にも志田直俊、デニス・カブラオ、廣田訓之、舘直樹、長田信博などが参加。

高田太陽(事情を知らない転校生がグイグイくる。)

CV石上静香
年齢小5

©川村 拓/SQUARE ENIX・事情を知らない製作委員会がグイグイくる。

小学5年生で手足が細くてすらっとしていて、声が高くて柔らかくて、足が速くて性格が純粋でさあ…俺でも好きになっちゃうよ。全部言葉に出してしまうから「内心」というものが希薄なキャラクターで、だからこそ茜相手に「ひとに言えない気持ち」が芽生えていくのが、いいよね…

作品紹介

引っ込み思案で「死神」と呼ばれいじめられている西村茜の前に現れた転校生の高田太陽は、「死神」をカッコいいものだと思って茜と親密になる。純粋な太陽との交流で茜の生活は楽しいものになっていくが、純粋すぎて距離感が近すぎる太陽に茜は性的な興奮を覚え、太陽もまた自分の気持ちがわからなくなっていく。過熱した欲望は、遂に危険な領域へと突入する…。太陽の性格のおかげで明るく楽しい雰囲気だが、要所では影山監督が得意とする周囲の事物を利用した叙情的な演出で、ここぞの感情の動きが表現されて美しい。

マル(天国大魔境)

CV佐藤元
年齢15

©石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

設定上の美少年。自分と同じ顔の人間を探している。年上のボディガードのキルコが好き。その想いを伝えたときにキルコの衝撃的な「正体」を知るが、それでも愛が変わらないのは純愛なのか盲目なのか、肉欲なのか、それとも「それがいい」のか。本人にもわかっていないのだろうし、その混乱を我々も体験できるのは作者の組み立てが見事だ。キルコの留守中にエロ本で自慰をしていた描写あり(寸止め)。

作品紹介

壁に囲まれた「学校」で生活する不思議な力を持った子どもたちと、荒廃した世界で旅をする2人組の物語を交互に描きながら、少しずつ両者の関係が見えてくる。エログロ大いにアリ。世にはエロを主眼としたアニメはたくさんあるけれど、性を搾取することへの真剣さ、倒錯の深さではなかなか並ぶものがないパンチのある作品だった。クオリティも素晴らしかったがアニメだけ見ていてはあまり満足感のないところで終わってしまったのが残念。まあ原作付きアニメが1クールでキリのいいところで終われるかというのはほぼ運なので仕方ないか…

青野一(青のオーケストラ)

CV千葉翔也
年齢15

© 阿久井真/小学館/NHK・NEP・日本アニメーション

申し訳ないけど心に深い傷を負っている少年は良いよね…。やっぱり強さと弱さの両方が見えるキャラクターって魅力的。父親の不倫で苦労し、しかもその結果産まれた腹違いの弟と同じ部活で毎日顔を合わせるって、彼は自分の男性性についてどんな自己認識を持っているんだろう。ちなみにヴァイオリニストの世界では五嶋みどり・龍の異父姉弟が有名。直とチンポ相撲しろ。秋音律子とも小桜ハルとも特に何もなく直との関係だけが強化されていくの面白いだろ。

作品紹介

かつての天才少年が再びヴァイオリンを取り、オーケストラに入っていろいろな人に刺激を受けながら成長していく。といってもキャラクターが多くそれぞれに小さい話をやっているのであまり強固なストーリーラインは感じられない。青野自身の方向性についても「お前の演奏はソロなんだ」と批判された一方で結局ソロでの演奏の良し悪しで席次決めをやったりしていて、よくわからないところがある。

クオリティ面では半分くらいの話数では外国への丸投げになってしまい、演出は少数精鋭で頑張っていたものの作画は厳しさが目立った。日本アニメーションの現代水準のアニメを作る山本秉碩APのラインに注目すると『やくも』は15分を分割2クール、『ラブオールプレー』は30分連続2クールをOLMと折半だったので、単独で30分アニメ連続2クールが厳しいのは予想通りだった。それでも自社回はいい出来だった。演奏シーンは3DCGも使われていたが、ヴァイオリンの発音で最も重要な弓から弦にかかる圧力と摩擦の表現が弱く違和感があった。過剰な警察行為かもしれないが…動きは参考動画からトレースすることが出来ても、そこにかかっている力は経験してみないとわからないのだろう。

オリバー=ホーン(七つの魔剣が支配する)

CV田丸篤志
年齢15?

©2023宇野朴人/KADOKAWA/キンバリー魔法学校

魔法学園アニメの主人公で、一般的な評価基準では並かそれ以下だが実は強力な一芸を隠しているというのはお約束。内面的には成熟しているが周りに合わせて学生らしく振る舞っているのもお約束とすれば、このキャラクターの魅力は復讐を固く誓いながらも、学友たちとの友情や、ときには性愛を含んだ関係も大事にしているという二面性にある。男性限定性欲亢進パフュームの中でナナオにくっつかれて勃起が我慢できないシーンは田丸氏がいい演技をしていた。

作品紹介

作者自ら「児童文学じゃないハリー・ポッター」と称する魔法学園もの。魔法の研究は人権より重要であるという価値観の学校を非情な現実として提示しつつ、その中で非情になれない子どもたちの葛藤を描く。性が世界設定と深く結びついているのも特徴的で、性別転換が純粋に魔法の能力の向上という実益で珍重されていたり、女性の出産の能力それ自体を魔法として濫用するキャラクターが出てきたりと、生々しいというか生臭さがある。

小村楓(好きな子がめがねを忘れた)

CV伊藤昌弘
年齢13

©藤近小梅/SQUARE ENIX・製作委員会がめがねを忘れた

三重さんのことが好き。隣の席からメガネを忘れた三重さんを助けることで距離を詰めていくが、三重さんが困って自分に頼らざるを得ない状況を利用して接近することに罪悪感を持つという真摯さがある。それはそれとして三重さんへの感情が行き過ぎて内面はちょっと気持ち悪いレベルに達しているけれど、伊藤昌弘殿の体当たりの演技のおかげで等身大の余裕のなさが感じられて良かった。特に6話の席替え回は必見。SNSでギリギリのエロ画像収集して三重さんに差し替えて想像してる。

作品紹介

目が悪いのにメガネをよく忘れる三重さんを小村くんが助ける中で仲良くなっていくラブコメ。明らかに周りの人間にバレバレなレベルでイチャイチャしているのにクラスメイトのスルースキル高すぎだろ!と思っていたら終盤で周知の事実だったと明かされるお約束は美しかった。

「見える/見えない」とか三重さんの距離感が近すぎることを題材とするこの作品にとって、CGでガチガチに作り込んだGoHandsの背景・レイアウトはプラスに作用していたと思う。異端のルックではあるけれど、これでいいんだと信じて彼らなりの美を提示してくる心意気にはいつも感服する。作中の背景は高円寺・吉祥寺、あと部分的に心斎橋から取られている(GoHandsのスタジオが大阪と高円寺にある)。全話完全社内原画で同クールに2本を2年の準備期間で走り切るGoHandsの力はすごい。全部社内でやることを前提にいろいろな最適化ができてるんだろうか。

https://mstdn.minnanasi.net/@min_nan_a_si/statuses/01HB7R6GXJ4HJEHBWDXJJDFSYP

好きめがOPの小村くんが花びらに吹き上げられるカット、赤毛のアンのオマージュだということを知った https://www.nicovideo.jp/watch/sm26033864?from=422

菊入正宗(アリスとテレスのまぼろし工場)

CV榎木淳弥
年齢14?

©新見伏製鐵保存会

顔が丸っこくてまだ子供っぽい趣を残していて、髪が長くてサラサラで、友人にも女っぽいと言われて胸を揉まれている。それでいて声変わりは完了していて、こう、何ていうのかな。大人の体つきに変化していく全段階として、手足がボリュームを伴わずにひょろっと長いようなデザインはよく見るんだけど、丸さ、肉感のある顔つきってのは結構新しい挑戦のような印象を受ける。それでいて他人が信用ならないような鋭い目つきもすることもあってさ…。小説版だと五実入浴介助中の心情とか自慰禁止令とかあるので読みましょう(大した内容じゃないので期待はずれだって怒らないでね)。榎木くんの演技と素の境界線を行くような喋りが合っていて、盛り上がるキスシーンで「でも。すごい、心臓動いてる。はやい」という小学生みたいな感想が榎木ボイスで出てくるのが、未熟な2人が衝動に突き動かされている様子がありありと伝わってきて良かった。

作品紹介

岡田麿里の最新作。大体いつもの。過剰にねっとりした思春期の性描写からの愛の力で全部なんとかなるんやーという剛腕展開、でも今作はだいぶロジックも納得感があって技術的によくなったなと思った。脚本家監督の作品だからかクライマックスがテンポの良いセリフベースで進んでいたのが面白く、気持ちが大事だよというテーマにも合っていたのだなと思う。石井百合子のデザインはMAPPAの作画力の後押しを得たのか更に繊細さを増しつつも量感が感じられ見事。

番外 これもうショタってことでよくない?賞 ドット(ポケットモンスター(2023))

CV青山吉能
年齢不明

©Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku ©Pokémon

初登場以前から「姪」と言われて性別が確定していたが、僕は信じていない。着ぐるみYouTuberとしてはハイテンションで大人気だが、リアルではインドアで人間嫌い。そんな類型的なキャラクターが少しずつ変化していく様子を、たっぷりと話数をつかって贅沢に描いている。リコよりも身長が低いロイよりも更に低い。外見は野暮ったく無頓着で、目隠れそばかす服はだけと属性盛り合わせ。下がタンクトップなのも無頓着と言うか無防備で良い。御三家のクワッスをパートナーとしているが、OPやクレジットでの扱いはリコ・ロイと同格ではない。

作品紹介

『ポケットモンスター』シリーズの26年ぶりに主人公を交代しての新作。シリーズ構成佐藤大とシナリオコーディネーター(とは?)松澤くれはを迎えて、ある程度これまでのポケモンのお約束(バトル脳とか)もなかったことにして、1つの長大なストーリーラインを持つ新しい作品になっている。特に外伝系ポケモンアニメから抜擢されたコーニッシュの音楽が素晴らしく、多彩な音色を活用して等身大の感情の機微から壮大な冒険まで幅広く表現している。

作品賞 『柚木さんちの四兄弟。』

©藤沢志月・小学館/「柚木さんちの四兄弟。」製作委員会

両親をなくした4兄弟(23,13,12,6)が助け合いながら仲良く生きている話。1,2話程度で完結する短めのエピソードが多かった。

  • 隼(23, CV:岩崎諒太)
  • 尊(13, CV:戸谷菊之介)
  • 湊(12, CV:櫻井みゆき)
  • 岳(6, CV:寺澤百花)

湊の成熟

湊と尊は1歳差の同学年だが尊は声変わりしているし身長も高い。思春期は急激に成長するので、1歳差でも大きく体が違ってくる。しかしこれは裏返せば湊も1年以内に声変わりや急激な身長の伸びが来る可能性が高いということだ。そう考えると、6話で湊と宇多は友情を確認したが、互いの性別に無頓着で友人でいられる時期はもうすぐ終わるのだなということが予感されてすこし寂しい。

湊はいろいろな面で尊をライバルとして見ているが、身体発達の面だと尊と同等になるかは疑わしい。というのは湊は未熟児で体が弱かったのでその影響があるかもしれないからだ(一般的には中学入学時には既に差はなくなっているそうだが、作者がどこまで考えているかは不明…)。

8話では岳と湊はいつも一緒に入浴することが明らかになる。この日はイレギュラーで岳と尊が一緒に入るのだが、尊が岳を経由して湊の発育の情報を手に入れている可能性がある…いや逆の方がありそうか?両方ありそう。

4兄弟だからできること

4人いると2人関係は6本発生する(方向まで考えれば12本)ので、シンプルに物語に使える手数が多い。誰かが秘密を持つという話型にしても知ってる人間を選ぶ方法はざっくり2^4で16通りになるし、「ooが知っているということを知っている」というように複雑化していくこともできる(そこまでやると視聴者の負荷が高いが…)。

from/to
-苦労をともにする包容一目置く
苦労をともにする-溺愛愛しつつライバル視
認めてほしいライバル視-兄貴ヅラ
敬愛達観話しやすい-

兄弟の中での年齢差によって、親との思い出が違うというのもこの物語で重要な意味がある。隼だけが家庭が貧乏だった時代を知っているので、弟たちにはできる限りのことをしてやりたいと思っているが、その思いが100%理解されることは多分ないだろう。逆に岳だけが親が授業参観に来てくれたことがないので、岳に寂しい思いをさせてはいけないと3人は一致団結する(しかしその3人の中でも尊と湊はそれぞれ半分の時間しか来てくれておらず、ある意味では親を長期間独占した隼が一番恵まれているという見方もできる)。

周囲のサポート

4兄弟の仲がいいからこそ、問題を言い出せず抱え込んでしまうことがある。そういうときに霧島家や隼の同僚がサポートしてくれてなんとかなるというエピソードもあって、それもまた真摯でいいなと思った。やはり23歳の隼が3兄弟の保護者役をやるのはあまりに大変で、こぼれ落ちてしまうこともある。そもそも4兄弟の絆が強いのも両親の死によって否応なしに支え合いが求められた結果と見ることができ、その場合その絆の強さを肯定的にばかり描いてしまうのは痛々しい。創作物の中でなら両親の死を4兄弟の物語を書くための「設定」と割り切ることもできただろうが、ちゃんと苦労や危機も多いところを書いてくれるのが真摯だ。

表現

本郷みつると川崎芳樹のゴールデンコンビでほぼ全編を演出している。細かいところまで行き届いていてエラーがないだけでなく、本郷みつるが得意とする非セルアニメ風アニメーションや抽象表現も取り入れられていて、キャラクターの心情をより切実に感じることができた。立体の形を正確に表現するために三面図が使われるのと同じで、多様な表現手法によって人間の心はより細かく強く表現される。脈絡なく謎のてんとう虫とクワガタがキャラクターの情報を紹介するミニコーナーも、「本郷みつるだぁ…」と懐かしい気持ちになる。

作画の品質も全編通して力の抜けた箇所が全くなく、特に7話の子供の取っ組み合いは本気で頭に血が登っている速度感覚と、不安定なポージングが超上手い。OPでも4兄弟の性格を動きの違いだけで表現する志の高い(アニメにおいて、アニメーションの力で物事を表現しようとする挑戦の志が高いと言わずしてなんと言う)カットがたくさんあり、成功している。

その他一言コメント

白石純太(CV:河西健吾)―『久保さんは僕を許さない』

色も存在感も薄いけどなんか自室の湿度が高くて変な匂いがしそう。ティッシュもゴミ箱もベッドから届く位置にあるし。趣味の漫画のちょっとえっちなシーンでうっすら汗ばみながら毎日シコってそう。もしかして認識阻害を活用した大胆なプレイをしているという可能性もある?

桜田ゆうた&千川みなと(CV:青島れな&阿部里果)―『お兄ちゃんはおしまい!』

狙いすぎだろ!と言いたいところだけどここをちゃんと狙ってくれる作品はあんまりないので感謝してます。

キズナ(CV:小松未可子)―『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』

元気よくバタバタと動いてかわいい。

清瀬明良(CV:戸谷菊之介)―『UniteUp!』

スッキリしていて親しみやすい秀逸なデザイン。銭湯の子。可愛くていい子なんだけどアイドルアニメの常としてキャラクターが多すぎて彼個人の話はあまりなかったなあ。

チトセ(CV:田村睦心)―『劇場版 らくだい魔女 -フウカと闇の魔女-』

ザ・田村睦心のイケメン彼氏。あんまり活躍しないなあと思ったら最後にやってくれました。黄瀬和哉原画どこ?

佐伯直(CV:土屋神葉)―『青のオーケストラ』

海を超える執念深い性欲の持ち主ですよ。ショタ時代もたっぷり見せてくれて良かった。

ロイ(CV:寺崎裕香)―『ポケットモンスター(2023)』

ダブル主人公かと思いきや意外とキャラクターの掘り下げが見られない。リコがかなり屈折した内面の持ち主なのと対比して真っ直ぐな性格。リコより身長が低い(重要)。

レッツ(CV:佐藤はな)―『ゴー!ゴー!びーくるずー』

かわいい。

パオ(CV:白那美アンジュ)―『ゴー!ゴー!びーくるずー』

フォルムがアレ

竹早春希(CV:伊瀬茉莉也)―『天国大魔境』

姉への性欲を歪んだ形で成就させてしまった。しかも冷静に考えるとマルとも兄弟分のような関係になっていて二度美味しい。

ルッタ(CV:弘松芹香)―『冒険大陸アニアキングダム』

なりゆきで王になった男。俺もMAOボイス関西弁の幼馴染が欲しかったよ。父親が偉大な守り番(とは?)だったというような話があった気がする。

久我ふみお(CV:長縄まりあ)―『おとなりに銀河』

長縄まりあのショタという新型兵器。脳に良い。小さい男の子がダボッとした服を着ていて体の輪郭があまりわからないというのもそれはそれでよい。無造作な髪型に大きめのメガネという野暮ったい感じも年齢感がある。

カイン・フォン・シルフォード(CV:南條愛乃)―『転生貴族の異世界冒険録〜自重を知らない神々の使徒〜』

5年修行して成長したのにちゃんとショタに戻って帰ってくるの偉い…偉い?中村憲由はすごい。

チュン(CV:花江夏樹)―『雄獅少年(ライオン少年) -少年とそらに舞う獅子-』

もとより概念型ではあったけど18歳って言われてびっくりした。記事参照。

ピート=レストン(CV:杉山里穂)―『七つの魔剣が支配する』

らんま1/2。狙いすぎだしあるあるな設定なように見えて、この作品の根底の設定に割と性の話が絡んでくるのでじっとりとしている。

いがぐり(CV:誠(ヨネダ2000))―『いきものさん』

いわゆるデータベース的なキャラクターの情報はほとんど提示されないにもかかわらず、愛の深さと形は強く印象に残っていて、こういうキャラクター造形もありなのだなあと感心した。

ルーデウス・グレイラット(CV:内山夕実)―『無職転生 II ~異世界行ったら本気だす~』

2021年に引き続き2度目の登場。そうする価値があると思えるくらい豊かなキャラクターデベロップメントがあって良かった。

https://mstdn.minnanasi.net/@min_nan_a_si/statuses/01H9ZWN3XEE48N691Y86KZTE8Y

ルーデウスは対人関係はよく考えて理性的に行動していて、その現れが杉田の過剰なモノローグなんだけど、理性では男だと理解しているはずの人間に本能的にどうしようもなく惹かれていき、彼自身が理性と本能の間で葛藤する様子、コントロールが効かなくなっている様子が見ていて微笑ましい #無職転生

牧眞人(CV:山時聡真)―『君たちはどう生きるか』

宮崎駿が6年かけて繰り出してきた狂犬。物静かでいい子でありながら内面に衝動的な凶暴さも隠し持っているという造形はさすが。記事

ナゼニ(CV:岡本信彦)―『オチビサン』

かわいらしいデザインに優男風の声だけど、獣です。

朝雛悠(CV:古屋亜南)―『オーバーテイク』

年齢相応の迷いや世慣れなさ、デリケートががありながらもあまりそれを面に出さないガードの硬さは現代風だろうか。でも視聴者にもあんまりキャラクター見えてないと思う。

ミェンロン(CV:村瀬歩)―『SHY』

ヒーローならちゃんとピンチに陥らんかい!

六田守(CV:阿部敦)―『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』

数年に一回姿を表す距離感の近い未来人の面影を忘れられないまま過ごした、画面に映らなかった彼の人生を見たいね。

黒須エクス(CV:斉藤壮馬)―『BEYBLADE X』

チームメンバーと戦うために最強のチームを脱退するほどベイブレードへの情熱が強い。日常生活ではとぼけていて味覚が変。腹筋が出来ない。こういう超然とした役も斉藤くんは得意。

風見バード(CV:梅田修一朗)―『BEYBLADE X』

いきなり街に来たところから始まる、バックグラウンドが謎の男。個性は弱いこと。腕立て伏せをするシーンで割としっかりとした腕の筋肉が描かれている。分類としてはホビアニ主人公だろうが男性声優が当てられているのは時代の流れなのだろうか。OPEDもキャラデザもCMも対象年齢ちょっと高そうだもんなあ。

レオニス・デス・マグナス(CV:井上麻里奈)―『聖剣学院の魔剣使い』

大なろう時代に生きる古き良き時代のラノベアニメの末裔。魔王としての威厳ある態度とお姉さんにドギマギするショタムーブ

ミギ&ダリ(CV:堀江瞬&村瀬歩)―『ミギとダリ』

ここに入れたんだけどキャラとしての魅力よりは作品の完成度があまりに凄まじいのでぜひ見てください。1つの作品が同時に笑えて泣けて怖いってなかなかできることじゃない。

シュタルク(CV:小林千晃)―『葬送のフリーレン』

これはだいぶ概念ショタの部類ですね。でも顔の造形は幼めに寄せてる。長い移動を終えて宿屋に泊まれる日に何をやっているのかという話なんですよ。ちっさいらしい。

ヤマト(CV:梶田大嗣)―『ビックリメン』

足が速くて素直でよく驚いてかわいいね。

ピーター(CV:榊原優希)―『ビックリメン』

女性向けコンテンツ特有の男性声優小学生。でもかなり自然に高音出てて違和感なくてすごいね。10話で教会の少年合唱団に参加しているシーンがありかなり面白い。高音男性声優が演じる少年は少年合唱団に参加できるのか。実際は声変わり初期なら裏声で混じることも多いだろうが。

少年魔術師(CV:伊瀬茉莉也)―『ゴブリンスレイヤーⅡ』

ネギ・スプリングフィールド

プラム・シュナイザー(CV:藤原夏海)―『帰還者の魔法は特別です』

この手の作品で主人公に懐く弟分のポストがあるのは割と謎で、内心では女の子なんじゃないかと疑っている。チート薬師のエジルくんみたいなものか?「細剣」の使い手。

アベル・レムノ(CV:松岡禎丞)―『ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~』

中身20歳の同級生に誘惑されるウブな12歳、良いですわ良いですわ〜。主人公のですわ〜な振る舞いに比べて年齢相応にに乗馬や剣術大会で青春していて良い。

シオン・ソール・サンクランド(CV:堀江瞬)―『ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー~』

アベル松岡に対してより成熟した雰囲気を出さねばならないこちらが堀江なの、面白いキャスティングだよね。堀江を未熟な方に振りたくなるけど、確かにこれも成立する。ダンスシーンは素晴らしい出来。

エミール(CV:小泉萌香)―『ポーション頼みで生き延びます!』

孤児であったところをカオル殿に洗脳され、親衛隊になって爆弾を投げたりしている。ちょっと演技力が…

ミナライ(CV:松浦愛弓)―『全力ウサギ』

ホワホワしているようでいて結構ノリのいいところもあって良い。最終回では成長も見せてくれた。

十朱大吾の幼少期(CV:國立幸)―『め組の大吾 救国のオレンジ』

少年が股間を揉まれる映像。

山本泰明(CV:松野晃士)―『窓ぎわのトットちゃん』

これは単なるキャラクターではないのかもしれないので真剣に。足が悪くても果敢に他の人と同じことにチャレンジする勇気があり、学年が上がるにつれてトットちゃんとしっかりと支え合うようになった。

あとがき

今年はかなりマッスルアニメ視聴をしていて、1年で150作品ほど見ました。特に秋は65作品ほど見ていたけれどこれは本当に辛くて、生活が犠牲になるうえに、好きじゃないアニメまで見るために好きなアニメについて研究する時間も失われる。アニメ視聴を娯楽とするなら明らかに間違った行動だけど、まあバカなことをするのって楽しいじゃないですか。それと真面目な話をすると、昨今のハイエンドアニメが広く人気を獲得する状況の中で、じゃあ誰が他のアニメを供養するのか、人気原作への集中的な資本投下によってむしろアニメの持つ表現の可能性は狭まっているのではないかという思いもあった。ショタには特に関係ないけど。

数をこなすことは今年で一旦クリアしたこととして、来年は質の向上を目指すというのもアリかもしれない。全ては作品とのめぐり合わせ次第だけど。今気になっているテーマは「ガゼボ」です。西洋風の庭園の中のドーム状の屋根があるエリアで、お茶したり談笑したりする場所。そこそこいろんなアニメで出てくる。作品横断系のテーマではなく単一作品を深く研究するというのもやりたいけど、これはそこまでやれる作品に出会えるかというのもある。

普段は https://mstdn.minnanasi.net/@min_nan_a_si でZIKKYOUしてます。来年もよろしくお願いします。

· 11 min read

8/10

短編の連続の中に軽く縦筋を通した構成。おそらく原作を再構成しているのだろうと見ながら思っていた。そのせいか、興味深い論点をいくつも提示しているにもかかわらず、それらが十分に集約されることなくぬるりと終わってしまったという視聴後感だった。正直一話完結漫画を1本の劇場アニメにするときにこれ以上やるのは難しいと思っているが…

それに加えて映像面での爆発力もなかったのが惜しかった。高レベルのアニメーターを揃えて丁寧な映像を作っていたのはわかるが、この一瞬だけでもとは取れる!という映像・音響的な体験がなかったのは惜しい。アニメにした意味は?と厳しくも問いたくなってしまう。

もちろん悪い作品ではなく、人間の欲望と消費の愚かさと、それに対する希望の概念としての贈与や献身という抽象度の高いテーマを取り扱っていたという点でいい意味で「意識が高い」作品であり、この記事を書くにあたっても数日かけてじっくり考える余地があった。こういう作品が金をかけて作られるというのはありがたいことだ。

客は姿形がバラバラな動物なのになぜスタッフは人間ばかりなのか

最初の方はシンプルに、多種多様な動物たちは人間社会における多様性の比喩だと考えていた。それに対してスタッフが人間だけなのは、接客業ではわがままな消費者に対応するために無限の努力を求められ、その従事者には「個」が存在しないということを批判的に描いているのだと思った。

多種多様な動物たちが人間社会における多様性の比喩になっているのはたとえば『ズートピア』がそんな感じだった。ただ、見続けていくとこの枠組みは放棄して動物はそのまま動物として見たほうがよさそうだった。

絶滅・消費・贈与・献身

序中盤では多くの動物たちを絶滅に追い込んだ人類の消費文化の象徴が百貨店であり、同じ消費文化をVIAたちに提供することが贖罪とされてきた。

しかし実際には同じことを役割を変えて行っているだけでは百貨店という場の罪はなくならないということにエルルは気づいている。それはカリブモンクアザラシが我欲を押し通した結果クレーマーになってしまったことに表れている。カリブモンクアザラシは本作でフィーチャーされたVIAの中で、ただ一人自分のために買い物をしたVIAだ。彼女と他のVIAたちの対比を通じて、誰かのために贈り物を選ぶことは尊く、百貨店やコンシェルジュはそれを手伝えるということが示される。

本作のクライマックスはウーリーとネコの和解だ。これは視聴者が百貨店に対して抱いていた観念をひっくり返す。

ここまでの多くの贈り物は同種の夫婦間、もしくはカップル間のものだった。百貨店はVIAの繁殖を促進しそれによって絶滅に抵抗しているように見える。そのあり方はトキワに「VIAの繁殖に介入する」というような言葉で批判されていた。

しかしウーリーとネコは異種の同性(ネコは少年とパンフレットにある)であり、この2人の友情は絶滅への抵抗にならない。そこが重要で、絶滅を巻き戻そうとしていたわけではないと宣言することで、これまでの登場人物たちも絶滅と戦っていたわけではないことが明らかになる。思い出してみるとニホンオオカミの彼女だって繁殖のために仕方なく付き合っているわけではなく、真の愛(とは?)があることが示されていたよね。

実のところこの作品は絶滅それ自体を悲劇としては扱っていないようだ。「強いものや賢いものが生き残るわけではない」「形あるものはいつか壊れる」という発言からは、絶滅というのは自然の摂理として起きるものだという価値観が窺える。加えてマンモスの絶滅は必ずしも人間のせいではなく、氷河期の終わりも大きな原因なので「百貨店が贖罪をする」という文脈からは少し外れている。ネコは人類に手厚く庇護されてきた動物なので、人間が動物を滅ぼすという筋立ても彼の存在で相対化される。

絶滅は起きてしまうし伴侶もいつか死んでしまう、そんな無情なこの世界だけど、彫像が作り直せるように孤独からは回復できる。そして百貨店という場、コンシェルジュという仕事はそれを手伝える。そういうことを言いたかったんじゃないでしょうか。

冷静に考えてですよ、諸星すみれボイスの少年とツダケンボイスのおっさんの組み合わせ、アツくないですか?

ダミーの本筋?

見て考えて友達と議論して↑という風に解釈したので、結果的に秋乃の成長という縦筋はほぼダミーだったなあと思う。同じくサービス業を描いた『若おかみは小学生!』に比べると、仕事の持つ意味にはより説得力があったかなあ。

エルルが百貨店のあり方を変えていく可能性を秋乃に感じているというセリフがあったが、具体的にどういうことだったのかはよくわかってない。秋乃だから、という展開は特になかったと思うのよね。

未解決ネタ・小ネタ

  • 割とジェンダーバイアスは感じた(別にいい)
  • クジャクの位置づけ
  • 贈与ならば消費・絶滅は免責されるのか
  • 北極は失われたものの痕跡を永久に保存する場所という意味なんだろうな
  • EDで人類文明も存在しないことが示唆される衝撃
  • 最後のエピソードでテーザがジョンジーに北極百貨店の動画を撮ってあげるくだりは、やってることがYouTuberであって、要は消費の雰囲気というものそれ自体をコンテンツにしているという点(YouTubeで言えば開封動画とか)で、動物を絶滅させた人間の消費の論理と同じことをやっているように見えた。結局そこに戻ってきて良いのか?

テクニカル

  • 井上俊之って500円で買えるものを探して歩き回るあたり?
  • 声優みんなよかったなあ。中でもツダケンはさすがの存在感。たった数秒で作品の価値を引き上げるような演技をしていたね

· 5 min read

広告で偶然見かけて、読んだら存外しっかりと面白くて7巻まで読んだ。面白くて満足したのだが、同時によく見るラブコメの先にあるセックスまでガッツリ見せられて、自分には手に入らないものがとても美しく描かれていて参ってしまった。一応付言しておくと創作物を読んで辛い気持ちになるというのは作品にパワーがあって自分に刺さったということなので良いことだと思っています。

私はショタコンなので、法と社会が認める範囲内で、相互に肉体的欲求と思慕の対象となってセックスを行える2人組って羨ましいなって思った。

『瓜を破る』の香坂まい子は、当初は「セックスを経験してみたい」という漠然とした思いしか持っていなかったにもかかわらず、鍵谷千里と偶然知り合い相互理解を深めてセックスに至る。そのセックスは気遣いのある幸福なもので、読んでいても幸せな気持ちになった。もちろんこれは創作物の美化された話なので(美しくないエピソードもたくさん描かれている作品ではある)真に受けるのはバカなのかもしれないが、手に入らないものへの憧れを焚きつけるには十分だ。

エロ本ではなくちゃんとした恋愛漫画なので、2人とも性格の良い人間であって、相性も良く、かつ丁寧に相互理解を深めていったこと(つまり肉体的欲求が全てではない)はきちんと描写されているが、それと同時にお互いに対する肉体的欲求が最初からそれらを強力に促進していたこともまた描写されている。相互が肉体的欲求な対象になる2人の間には、セックスが生まれるハードルって低いのだなあ。

2人の出会いも仕事の関係者で趣味の一致というシンプルなものだ。そういう素朴な関係からでも意思と能力でこういう関係に到れるという話は、逆説的に能力の欠如によって市場に参加すらできない人間をより惨めにさせる。

「セックスなんかしなくても人は生きていける」「作られた欲望だ」と言う人があるかもしれないが、人間というのは皆セックスをした人間の遺伝子を受け継いでいるのであって、この行為が人間にもたらす満足感が無意味とまで言うのは生物学的な基盤を無視した空論、栄養さえ足りていればサプリで生きられると言うようなものだと思う。それにできないよりできたほうがいい。

羨ましいな。自分が知らない、手に入らない充実(相互の肉体的なつながりを含む愛情の交換)があることが。

いい大人がこんなことを言うのはアニメばっかり見てきて精神が未成熟だからだと笑いたければ笑ってくれよ。怒らないとは約束しないけど。

· 14 min read

なぜか公式見逃し配信が2つある

細やかな演出が行き届いた良いエピソードだった。

絵コンテ冨安大貴
演出中田誠
脚本松澤くれは
作画監督大西雅也
作画監督大野泰江
作画監督忍田雄介
総作画監督伊藤京子
メインアニメーター忍田雄介
カラースクリプトおつまみ

※本記事内の画像はアニメ『ポケットモンスター』18話より研究のために引用したものであり、それらの権利は©Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku ©Pokémonに帰属します。

OPカット

テレビ放送/dアニメストア/ニコニコ生放送ではOPがカットされ、普段OPで表示される分のクレジットは最後にOPが挿入歌が流れているパートで表示された。YouTube版(ポケモン公式YouTubeチャンネル・テレビ東京公式 TV TOKYO)ではOPがあった。

納品タイミングかなにかの関係でYouTube版ではOPを入れる再編集作業をしたのだろうが、テレビアニメでOPを抜くのはそれはそれで演出の一貫なので、そのまま見せてくれたほうが嬉しかった。

会話の裏のポケモンの遊び

開幕、キャプテンピカチュウについて話す子どもたち…のポケモン。人間の会話に興味がないのか、パートナーが相手をしてくれないからか、ポケモン同士で勝手に遊んでいる。こういう細かい描写があると、ポケモンの性格や交友関係がわかって楽しい。描くのは大変そう。冨安大貴はこういうこだわりが強い印象があるけど、実際のところポケットモンスター(2023)は常時このくらいやっててすごい。むしろその作風を作ったのが冨安監督というのは言えるかもしれない、サンムーンに詳しい人教えてくれ。

ちなみにロイは前回ドットの部屋に来たときは一人だけ椅子に座らされていたんですが、今回はベッド。

ツボツボのジュース

甲羅の 中に 木の実を ためる。 やがて 木の実は 体液と 混ざり おいしい ジュースに なるのだ。

とのことだが、知らなかったので見たときはかなり驚いた。

よく見るとポケモンたちの飲み方も三者三様で面白いし、それぞれ飲みやすいように器が違うので、オリオが準備してあげたんだろうか。クワッスの目に感情がない。

というか私は悪い大人なので『アウトレイジ ビヨンド』を連想してしまった。8:11

芝居のあとにセリフが入る

細かい話だが、フリードが寄りかかってため息をつく芝居の後にセリフが入るというのが、ちょっと珍しい気がした。演出家やアニメーターが芝居をコントロールしている感じというのかな。芝居と間の感覚がセリフよりも先にある(若干芝居が失敗してる気がしなくもないが)。

場面転換の方法

電話で呼び出されたフリードが待ち合わせ場所の飲食店に到着するまで大胆に省略している。そもそも呼び出されたという情報さえ事前には明示されなくて、最後まで見て初めてそうとわかる。

これはマッチカット…と言うのかな?もっと関係ないものでカットをつないで意表をつくのがマッチカットだと思っていたので、同一人物の同一ポーズのことをマッチカットと言われると少し違和感があるが、呼び名を知らない。つなぎ方というよりはむしろ過程の省略という方向性で解釈すべきかも。

とにかく、PANやエスタブリッシングショットなしでシーンを転換するのは原則からは外れている。なぜ外したかといえば、これが回想であってリコたちに昔話を語って聞かせているという建付けだからか。あるいは、この頃のフリードの精神状態の現れともとれる。日々ぼんやり過ごしているので過程の記憶がない。

のれんくぐり作画ちょっと上手い。この直後に別アングルからリザードンののれんくぐり作画もあるけどそっちも上手い。リザードンののれんくぐり作画って過去に例があるんだろうか。

ボルテッカー竜巻

ポケモンの世界って野生動物が火を吹いたり電撃を出したりするので結構神秘的な世界だなって思ってたけど、夜明け前の暗い朝にボルテッカーで竜巻を起こす様子がまさにそうだった。

その種にギリギリ可能な変な行動をする個体って現実世界で言うとなんだろうなあ。レッサーパンダが二本足で立つ、みたいな?

木の実

まだ心を許してくれないピカチュウに木の実を差し入れるシーン。芝居作画が際立って上手かった。

2カット目、フリードとリザードンがたくさんの木の実を抱えて手前に歩いてくる。木の実を少し持ち上げてピカチュウに見せる仕草。少し木の実が跳ねる。人間の小さく速い縦揺れと大股でノシノシ左右に揺れながら歩くリザードンの遅い横揺れの対比。木の実は引き写しではなく歩行に合わせて揺れており、フリードの足はフレーム外に切ってあるものの服のシワで足運びが見える。細かいことを面倒臭がらない作画。美味しそうな食べ物をたくさん抱えて歩いてくるという状況のワクワク感が出ていると思う。

ピカチュウのしっぽスクワットは、最初はカッチリと描いておいてフリードの探究心が刺激される流れに説得力を持たせ、その後は少しデフォルメも入れてやっぱり変だよねと笑いにしていく。緊張と緩和の関係は筋トレそのものだ。

木の実を見たときのピカチュウの反応は動物的。遠巻きに匂いを嗅いで、食べられると判断したら持って安全な場所に移動して食べる。そのときにちょっと落としちゃったり、掴みそこねたり、歯型がついていたり。野生動物っぽい行動なんだけど、だからこそフリードを信頼して持ってきたものを食べてくれたことの重みが伝わる。

リザードンのしっぽの火

本当に細かいところなんだけど、フリードが倒れ込んだ風でリザードンのしっぽの火が揺れている。なんかもう細ければ細かいほど感動するモードになってる。こういうほんの小さい日常の出来事が、フリードとリザードンの間には数限りなくあるんだろうなって考えちゃう。

相対速度ゼロの空間

(この前の作画が素晴らしいんだけど、そこはもう言葉は要らないと思うので、見ましょう。盛り上がりすぎて人物なのかエフェクトなのかわからなくなる作画大好き)

相対速度ゼロの空間という概念が好きだ。2人が同じ速度で高速移動しているとき、その2人とそれ以外の人間の間には相対速度の壁があって会話等のインタラクションが発生しないが、2人の間には発生する。むしろ2人だけの空間ができると言っても良い。

このシーンでは、もちろん上空だから邪魔者がいないというのも大事なのだが、ピカチュウがボルテッカーによって到達した垂直上昇速度の世界にフリードとリザードンが入り込んだとわかるのが素晴らしいなと思った。その速度というのが憧れの大きさなので。

リザードンの首を叩く

これも細かい話ではあるんだけど、リザードンに急降下の指示を出すときにフリードがリザードンの首を叩いているのが好き。ウマにやるよね。人間と動物のコミュニケーションって本来触覚による部分が大きい。もちろんポケモンは動物ではないのだが、人間よりは動物に近い。言葉が通じてもポケモンはポケモンであるというのがポケモンの研究者であるフリードらしさなのかな。そもそもフリードは大事なことをしばしば言い忘れるし、ライジングボルテッカーズの「仲間の証」はハンドサインだ。

ポケモンと言語の話は最初に挙げた人間の会話に興味がないポケモンたちとも一貫している。

(そういえば数話前でポケモンたちに食事を与える前に「待て」「良し」をやってたのはすごい違和感あった。言葉が通じて理性がある生き物にする扱いじゃないだろ)

セルのタイムラプス

セルで船の建造過程のタイムラプスを描くのは、よく見る背景のタイプラプスとは全然意味合いが違うと思った。見る方としてはポケモン世界の社会科見学くらいのつもりで見ればいいんだけど、船の構造と、各作業工程で人間とポケモンがどう協力しているのか逐一考えながら60枚近く描いているのでかなりすごい。本来複雑で時間がかかる作業を圧縮して見せるための手法だから再現するなら当然大変。

20230827追記

友人からタレコミがあり、『ソードアート・オンライン アリシゼーション』のOPに都市の建築のタイムラプスがあるとのこと。

さらに先行研究を調べてみると、大匙屋氏のブログにまとめ記事があった。大部分が雲や光のものだが、『この素晴らしい世界に祝福を!』EDでは人間の活動もタイムラプスに含まれていた。

http://sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-523.html

· 10 min read

3/10

もう全然わからなかった。僕はわからないアニメは面白くないです。

もちろんわからないものは100回見ればわかるのかもしれないが(特に僕は映画館での初見理解がかなり苦手なので)、劇場公開中の作品に対して「細かく整理しながら何度も見れば面白いのかも知れない」とか言うのは、過剰に好意的だと思う。そういう評価は10年後に改めて下せばいいじゃないですか。

「わからないからつまらない」は狭量だって批判もあるかもしれないけど、じゃあ構成の美の欠如を補ってあまりあるような瞬間が、爆発が、イマジネーションの奔流がこの映画にあっただろうか?そういう力のあるビジュアルはなかったよ。自慢の食事シーンも、紙の式神たちも、動物たちの世界も、やはりかつて見たもののパワーダウンだ。どんよりと静まった海原に頼りない船がポツポツと寄る辺なく浮かんでいる様子。これ『雨を告げる漂流団地』で見たよ(キレちゃった駿から出てくる表現は実は他の人間でもできるという意味では「後継者問題」は解決してるのかもしれない。他の人間は逆にもっと頭を使わなきゃということです)。仮にパワーある表現があったとしても、やはりそこに構成が不在だと記憶には残りにくい。よく児童文学系のアニメだと夢のようなイマジネーション溢れる舞台が次々移り変わっていくような展開があるが、あれ覚えられないですよ。

ただもう宮崎は確信犯ですよね。しょうがない。僕は『もののけ姫』と『風立ちぬ』が好きなんだけど、もののけから辻褄の放棄はどんどん加速して、風立ちぬだけは少し取り戻している(さすがに史実ベースなので)という認識なので、そもそも晩年期の宮崎作品ってこういう方向性だったんだ、ということを思い出した。

一番すごかったのが冒頭の大平晋也ですよ。これはもちろん『虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜』のバージョン違いであって悪く言えば「そこ止まり」なんだけど(アニメを見すぎている方が悪い)、『風立ちぬ』と同じく一応ちゃんと顔を描いてるのはさすがにジブリに対する敬意なんだろうか(さすがに本田雄に描かせてないよなあ…)。でもこれは中盤終盤が序盤に負けているという点、ファンタジー世界が現実側に負けている点の2点で良くないアニメーター采配だったんじゃないかなあ。宮崎駿は原画修正をやってないということはないだろうけど、しわや身体運動の腰の使い方を見ると本田雄の絵になっている部分が多かったね。

だからやっぱり、僕にとってのこの映画ってファンタジー世界に行くまで。でも視聴から時間を置いてその部分のことだけ考えてみると、案外いいアニメだったのかもと思う。

母親を失った眞人の継母と父親に対する感情が、極めて少ないセリフによって(むしろ、セリフが少ないことによって、か)表現されていくのは禁欲的で美しく、はっきり言ってエッチだなと思った。そもそも眞人くんだいぶ「イイ」よね。声変わりはしてるんだけど、あの時代だからプロポーションは細め。それでも同時代の子どもたちの中では良いものを食べていたんだろうけどね。

母親の死の傷が癒えぬまま、田舎へ来てみると母に似たちょっと若い女が継母になっていて、しかも妊娠していてお腹を触らせられる、もうそんなの感情がグチャグチャになるじゃないですか。ショタの感情がグチャグチャになるのはね、美しいんですよ。お腹を触るときのものすごい表情、僕はその中に女性の体への恐怖と不潔感を見ましたが、素晴らしかった。性愛に無頓着というわけではないが、母親への肉体的な親密さを完全に卒業したわけでもない、絶妙な年齢感ですよね。

作家論を持ち込むならアオサギ鈴木とか大叔父高畑かとかどうでもいい話じゃなくて、ここじゃないかなあ。駿という男の女性観。妊娠できる年齢の女性は恐怖の対象なんじゃないですか(適当)。考えてみれば宮崎駿って少年と性の話って正面切って描いたことあったのかなあ。全作品見てるわけじゃないので自信を持っては言えないけど、彼の描いてきた少年は基本的にもうちょっとカラッとしていなかったか?そう考えると、これは記念碑的な作品ですね。

はっきりとは説明されない自傷行動の話も好きだった。誰かに罪を着せる気か?と思いきや、父親にはただ「転んだ」と言い張る。それも含めて父親をコントロールしていたのか、翻意したのか、自分を見てほしかったのか、何の目的もないが衝動的にそうしたのか。眞人くんの精神がじんわりと痛めつけられていく過程があり、その噴出としての、長短どちらの主和音にも解決しない、ただただ血が鮮やかなだけの自傷。

あとはアオサギへの異常な攻撃性。そりゃ喋るしキモいし母親死んでないとか言い出すし怪しさマックスなんだけど、それにしたってあそこまで殺意マシマシの手製武器作るか?普通。いやあのくらいはむしろあの時代の男の子は普通なのかな…タバコも盗むしさ…。

総じて抑制的でありながら、そのところどころに顔を出す激情。その緊張感が僕はこの作品で一番良かったところだと思う。

ファンタジー世界に行ってからは、眞人くんの拘束シーンしか覚えてないです。

· 8 min read

9/10

伊藤智彦の2022年のアニメ振り返りインタビューで言及されていた作品。予言(願望?)の通り日本語吹き替え版が作られ上映されている。

「力」のアニメーションだった。「ライオンになる」という目標のシンプルな力強さと、それを具現化する映像のパワーに圧倒された。途中で「一番高い柱には登るな」とチアンが行っていたので絶対登るじゃん〜って思って見ていたけど、観客の期待に大筋でちゃんと応えながら、少し捻って独自の落とし所を見せてくるというのは、予想が成就する安心感と裏切られる驚きのバランスという観点でパーフェクトに近いと思う(『月がきれい』3話もそれができていたからすごいんですよ)。

大筋は王道だったので率直に言ってあまり語ることがないが、細部を切り落とす判断が巧みだったと思う。地元のライバル(義という名前らしい)とか、チュン(女)とか、チュン不在の3人の練習や興行(演技してお金もらってたんだよね、たぶん?)とか、決勝の対戦相手の青チームとか、もっと書こうと思ったらいくらでも余地はあった。でもそういう細部の充実ではなく、チュンがライオンになる道と、その試練である格差と貧困の描写にフォーカスしていた。それでいて、細部の話も使い捨てるのではなくクライマックスのシーンにつながってくるのがアツかった。逆にそこまで深入りしなかった要素だからこそ、獅子舞があるからつながったんだという感動があったのかも。

描かれなかったとは言っても、チュン(女)や義にも物語はあったはずだし、最低限の描写からそれを読み取るのも面白い。チュン(女)は本当は獅子舞を続けたかったけど「女だから」という周囲の圧力で辞めざるを得なくなっている。そんな彼女が妥協の末に掴み取ったポジションが「広報」だったのかもしれないし、自分の獅子頭を託す相手としてチュンを選んだのも単に「英雄の花」だけが理由じゃなく、何かしら自分の境遇と重なるところがあったのかもしれない…とかね。

義も、チュンが獅子舞をやろうとしているときはバカにするが、獅子舞を諦めて出稼ぎに行くのを見たときは神妙な表情を浮かべていた。獅子舞に専念できる環境が実は得難いものであるとわかったのだろうし、働きながらも鍛錬を続けて実力を保って戻ってきたチュンを見て尊敬するに至ったのだろう。

チュンが18歳というのは聞いて驚いた。ビジュアルも行動もそんな感じしないので。中国も18歳で成人なので「僕はもう大人だ」は文字通りの意味。でも貧しくて進学できず田舎暮らしだとああいう感じになるんだろうか。ただ、自分が置かれた境遇の惨めさを理解し、それを変えるための行動力があるという点、そして父親に代わって家族を支える責任感は年齢相応の頼もしさだった。

広州の屋上でチュンが獅子舞の練習をするシーン、練習日誌のようなものがあるので継続的に練習はしていたのだろうが、いつからだろう。獅子頭を部屋の隅に置いてあまり触っていないというような描写もあった気がしているんだけど、その後チュン(女)に会って再会したんだっけ…?そのあたりの経過はあまり把握できなかった(だからチュンが戻ってくるのかは本当にヒヤヒヤしていた)。

映像のクオリティは高い。まず日本のアニメを見慣れた目からすると、キャラデザの目が小さく、髪の毛が細かい。もちろん十分それで芝居が成立していたので良い。広州に出たあとにチュンの体格がよくなっていたのが芸が細かい。CGならではの長尺カメラワークもあるし、レイアウト、照明も一級品。花が舞い散るような物量の表現もよし。獅子舞の動きは、獅子頭自体のディテールが重いうえに動きもリッチだったので情報量過多になりそうだったが、動きの方がオーバー気味に表現されていたので問題に感じなかった。獅子頭が2つ登場するところはストーリーのキーポイントになるが、どちらも赤で(チームカラーなのでバラすわけにはいかないだろうが)判別が難しいのが惜しかった。でもチュンがチュン(女)からもらった獅子頭で乱入するところは最高だったなあ。

ギャグの入れ方のセンスは中国風を感じた。振りからオチまでが短いハイテンポギャグを大量にいれるやつ。

· 8 min read

8/10

楽しくて気持ちいい映画だった。単なる大集合お祭り映画に見せかけた、独自のテーマを持つ作品に見せかけた、やっぱり大集合お祭り映画だった。きちんとエンターテイメントしていた。

一方で物語、虚構、受け手による再解釈などのテーマの表現にもある程度挑戦していたように思う。そのエンターテイメントとテーマのかみ合わせ…というかエンターテイメントに芯を通すためのテーマ設定とも思えるんだけど、これらの関係について整理して語るにはあまりにも情報が多くて、映画館で見るだけでは難しいなと思った(あと意図的に結論を出してない要素も多そう)。とりあえず断片的にでも書いてみる。

バトル、合体、変身、共闘、告白みたいなエンターテイメント的な要素をメガ盛りにすると、視聴者には多分「都合が良いな」「お祭り映画だからそりゃあやるよね」というような、少し引いた感情を起こさせてしまう。見たいものだけがたくさん詰まった作品というのは作中の言葉で言えば「痛みのない世界」「やさしい世界」であって、却って虚構性が増して視聴者の心を捉えきれない(『マトリックス』において最初に作られた苦痛のない楽園のような仮想世界に人間は適応できなかった)(何にでもマトリックスをかける男)。

だからエンターテイメントを全力でやるためには、エンターテイメント(=作り物)は本当に良いものだろうかという問いかけが必要だった。この問題意識はテレビシリーズでも同じで、執拗なまでに玩具販促アニメのエンターテイメントのフォーマットをなぞりながらも、それを客観視するキャラクターもいて、五十嵐海が担当したエピソードでは作り物の世界からの脱出が描かれる。

本作ではそんな作り物の具体例として無数の平行世界があるものとした。たとえば裕太たちが生きている世界は新条アカネによって創作された世界だから、作り物である。

もう一つ本作に導入された作り物は演劇の脚本である。テレビシリーズの『GRIDMAN』『DYNAZENON』をまるごと内包するこの脚本は、なみこによって何度もあっさりと修正させられる。エンターテイメントなんて面白いかどうかが全てで、そこに込められた思いなんてなんの意味もないという価値観を表現している。この価値観は作中ではっきりと否定されてはいなかったと思う。最終的な演劇の脚本で六花が書きたいこととエンターテイメント性のバランスがどうなったか明示されてないと思うので(「奇抜だけど笑えた」とは言われていた)。

たぶんトリガーは自分たちがアニメを作っているということにすごく自覚的なんですよね。そして真面目。だからわざとアニメのお約束を前提としたギャグをやってみたり、アニメという虚構の中で虚構と現実の関係を描いてみせたりしているのではないか。グリッドマンシリーズでは原作へのリスペクトもあってギャグ面は控えめだったけど、たとえば『SSSS.DYNAZENON』2話ではバトルシーンで挿入歌が流れるが、コクピットの中のカットでは挿入歌にくぐもったエフェクトをかけることで、あたかも挿入歌が作中の現実空間で流れているかのようなギャグをやっていた。それにアニメの世界の中にもう一階層虚構の世界を作るというアイデアは『SSSS.GRIDMAN』9話でも『SSSS.DYNAZENON』10話でやっている(裕太が世界が狂っていることに気づくシーンでは明らかにこの2つの五十嵐海エピソードを意識していたよね)。

どういう細かい流れがあったかは忘れたけど、人間だけが作り物に感動して涙を流せるという描写によって作り物もいいよねって話になる。虚構のエンターテイメントを全力で肯定できる道具立てが整うと、前述のような要素がガンガン入ってくるし、自身がアニメであることを認識した上で作り手が視聴者に目配せするようなギャグ(アノシラスのクソデカ生首とか)も入れられるようになる。

そもそもアニメが自分自身を脚本として俯瞰視するメタネタというのは『エヴァ』の最終回でやってたわけだから、この作品でやってるのはメタネタのメタネタとも言える。『エヴァ』つながりの話をすると、グリッドマンが地面に倒れ込んでワンテンポ置いて右手がカメラの近くに落ちてくるカットに見覚えがあって、クッソ汚い動画で恐縮なんだがこれの3:40だったんだけど、コメントを見たらこれ自体が『エヴァ』のパロだったらしい。

映像はディモルガン(ムチの怪獣)と戦うシーンが一番好きだった。地面からディモルガンとグリッドマンを見上げるレイアウトが多く、CG を使って特撮の重量感を再現しながらも、トリガーが得意とする金田的なポージングも組み合わさっていて、そこって組み合わせ可能だったんだ!と驚いた。

一番盛り上がったのは『インパーフェクト』が流れたところかな。『uni-verse』も良かったけどやはりテレビで何度も聞いていた曲の重みには勝てない。

· 4 min read

※本記事内の画像はアニメ『逃走中』1話、『デジモンテイマーズ』OP、『デジモンクロスウォーズ』55話、『キラキラ プリキュアアラモード』OPより研究のために引用したものであり、それらの権利はそれぞれ © 本郷あきよし・東映アニメーション、© 本郷あきよし・東映アニメーション、© フジテレビ・東映アニメーション、©ABC-A・東映アニメーションに帰属します。

貝澤幸男様…(次は演出までやってくれてもいいのよ)

アオリで撮る町並み

建物を高く描いて広角で画面中央に向かって集中させる。

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

直接は描かないが、そこにいるものの表現としての影

『逃走中』

『デジモンテイマーズ』

シルエット

キャラクターの個性の主張を抑えて、舞台に溶け込んでいる様子を表現する。

『逃走中』

『デジモンテイマーズ』

反射(映り込み)

見ているつもりが、見られているのかもしれない。

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

ロープ

落ちる落ちないという緊張感の作り方

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

ハイコントラスト

みんな好きだよね?

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

カラフルなパターン

ディスプレイのドットパターンを超えてデジタルの世界に入っていくイメージなんだろうか

『逃走中』

『デジモンテイマーズ』

車の陰に隠れる(+口塞ぎ!?)

ウラの都市の障害物と言えば路上駐車(というか逃走中のフィールドってデジクオーツだよね)

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

縦 PAN 壁上り

16:9の画面は縦が狭いんですが、見えない部分が多いからこそ見るためにカメラを振るのが、人間が上を向くという行動にシンクロするんだろうか。 『逃走中』 『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

ガラス押し付け顔

擬似的にカメラの向こう側の視聴者に変顔してるってことなのかな。かわいい。

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』

リング

特徴と言うには一般的すぎる気もするけど、貝澤幸男はこういう円形の配置を好むんですよね。

『逃走中』

『デジモンクロスウォーズ』『デジモンクロスウォーズ』『デジモンテイマーズ』『キラキラ プリキュアアラモード』