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『それいけ!アンパンマン きらめけ!アイスの国のバニラ姫』における「王」の精神性

· 5 min read

アイスの国の王位継承者は魔法のスプーンでアイスを生み出す役割があるが、バニラ姫はまだできない。練習に嫌気がさして国を飛び出し、コキンちゃんやアンパンマン達と出会って「食」で誰かを笑顔にすることの尊さを知る。アイスを生み出すことを姫の役割ではなく人を笑顔にすることと捉え直したバニラ姫は無事魔法を成功させ、色々あってバイキンマンを撃退してめでたしめでたしという話。だと思う。

一箇所おもしろかった演出があったのでその話をしたい。バニラ姫が魔法を成功させる直前に彼女のティアラが光りながら変形して王冠になる。バニラ姫はあの瞬間をもって本当の王(女王?)になったという意味だ。これは一見すると作品のテーマと矛盾している。魔法を成功させるためには王としての義務感ではなく人を笑顔にしたいという奉仕の精神が必要であるという精神を語ってきたはずなのに、魔法を成功させることが王になることと再び繋がってしまった。

これを整合的に解釈するのならば、人を笑顔にしたいという奉仕精神を持てることが真の王になる条件であった、つまり王というのはそもそも奉仕の精神を求められる存在で、対立するかのように見えた2つの精神は実は1つだったということになる。確かに冒頭の王族教育用のビデオにもアイスを食べた人々が笑顔になるシーンはあったし、アイスを生み出す魔法の呪文は「アイスマイル・ユースマイル」だ。

ただ、この読みがすっとハマらない感覚があるのは、作中での「王」というポジションが薄すぎるからだ。王は国民に対して責任を負うものだが、作中でアイスの国の国民のように描かれていたのはアイス生産ラインで働くモノを言わぬ労働者だけだった。そしてアイスは国外に輸出され労働者たちの手には渡っていない。バニラ姫が魔法を発動させるのは国を守るためというよりはむしろ世界全体の寒冷化を止めるためだ。父王どころか使用人もおらず、アイスの国でセリフのある住人はバニラ姫とジェラート大臣のみだ。これで王という役割に奉仕の精神が含まれていることを表現しようというのは無理がある。キッズ向けだしキャラクター絞りたかったのかなあ。

小ネタ

  • 空を飛ぶ魔法は最初から使えるのが面白い
  • 王の責任って何度も書きながらバースデー・ワンダーランド思い出してた
  • クライマックスで挿入歌が入りながらエフェクト作画繰り出してて極上だった