8/10
短編の連続の中に軽く縦筋を通した構成。おそらく原作を再構成しているのだろうと見ながら思っていた。そのせいか、興味深い論点をいくつも提示しているにもかかわらず、それらが十分に集約されることなくぬるりと終わってしまったという視聴後感だった。正直一話完結漫画を1本の劇場アニメにするときにこれ以上やるのは難しいと思っているが…
それに加えて映像面での爆発力もなかったのが惜しかった。高レベルのアニメーターを揃えて丁寧な映像を作っていたのはわかるが、この一瞬だけでもとは取れる!という映像・音響的な体験がなかったのは惜しい。アニメにした意味は?と厳しくも問いたくなってしまう。
もちろん悪い作品ではなく、人間の欲望と消費の愚かさと、それに対する希望の概念としての贈与や献身という抽象度の高いテーマを取り扱っていたという点でいい意味で「意識が高い」作品であり、この記事を書くにあたっても数日かけてじっくり考える余地があった。こういう作品が金をかけて作られるというのはありがたいことだ。
客は姿形がバラバラな動物なのになぜスタッフは人間ばかりなのか
最初の方はシンプルに、多種多様な動物たちは人間社会における多様性の比喩だと考えていた。それに対してスタッフが人間だけなのは、接客業ではわがままな消費者に対応するために無限の努力を求められ、その従事者には「個」が存在しないということを批判的に描いているのだと思った。
多種多様な動物たちが人間社会における多様性の比喩になっているのはたとえば『ズートピア』がそんな感じだった。ただ、見続けていくとこの枠組みは放棄して動物はそのまま動物として見たほうがよさそうだった。
絶滅・消費・贈与・献身
序中盤では多くの動物たちを絶滅に追い込んだ人類の消費文化の象徴が百貨店であり、同じ消費文化をVIAたちに提供することが贖罪とされてきた。
しかし実際には同じことを役割を変えて行っているだけでは百貨店という場の罪はなくならないということにエルルは気づいている。それはカリブモンクアザラシが我欲を押し通した結果クレーマーになってしまったことに表れている。カリブモンクアザラシは本作でフィーチャーされたVIAの中で、ただ一人自分のために買い物をしたVIAだ。彼女と他のVIAたちの対比を通じて、誰かのために贈り物を選ぶことは尊く、百貨店やコンシェルジュはそれを手伝えるということが示される。
本作のクライマックスはウーリーとネコの和解だ。これは視聴者が百貨店に対して抱いていた観念をひっくり返す。
ここまでの多くの贈り物は同種の夫婦間、もしくはカップル間のものだった。百貨店はVIAの繁殖を促進しそれによって絶滅に抵抗しているように見える。そのあり方はトキワに「VIAの繁殖に介入する」というような言葉で批判されていた。
しかしウーリーとネコは異種の同性(ネコは少年とパンフレットにある)であり、この2人の友情は絶滅への抵抗にならない。そこが重要で、絶滅を巻き戻そうとしていたわけではないと宣言することで、これまでの登場人物たちも絶滅と戦っていたわけではないことが明らかになる。思い出してみるとニホンオオカミの彼女だって繁殖のために仕方なく付き合っているわけではなく、真の愛(とは?)があることが示されていたよね。
実のところこの作品は絶滅それ自体を悲劇としては扱っていないようだ。「強いものや賢いものが生き残るわけではない」「形あるものはいつか壊れる」という発言からは、絶滅というのは自然の摂理として起きるものだという価値観が窺える。加えてマンモスの絶滅は必ずしも人間のせいではなく、氷河期の終わりも大きな原因なので「百貨店が贖罪をする」という文脈からは少し外れている。ネコは人類に手厚く庇護されてきた動物なので、人間が動物を滅ぼすという筋立ても彼の存在で相対化される。
絶滅は起きてしまうし伴侶もいつか死んでしまう、そんな無情なこの世界だけど、彫像が作り直せるように孤独からは回復できる。そして百貨店という場、コンシェルジュという仕事はそれを手伝える。そういうことを言いたかったんじゃないでしょうか。
冷静に考えてですよ、諸星すみれボイスの少年とツダケンボイスのおっさんの組み合わせ、アツくないですか?
ダミーの本筋?
見て考えて友達と議論して↑という風に解釈したので、結果的に秋乃の成長という縦筋はほぼダミーだったなあと思う。同じくサービス業を描いた『若おかみは小学生!』に比べると、仕事の持つ意味にはより説得力があったかなあ。
エルルが百貨店のあり方を変えていく可能性を秋乃に感じているというセリフがあったが、具体的にどういうことだったのかはよくわかってない。秋乃だから、という展開は特になかったと思うのよね。
未解決ネタ・小ネタ
- 割とジェンダーバイアスは感じた(別にいい)
- クジャクの位置づけ
- 贈与ならば消費・絶滅は免責されるのか
- 北極は失われたものの痕跡を永久に保存する場所という意味なんだろうな
- EDで人類文明も存在しないことが示唆される衝撃
- 最後のエピソードでテーザがジョンジーに北極百貨店の動画を撮ってあげるくだりは、やってることがYouTuberであって、要は消費の雰囲気というものそれ自体をコンテンツにしているという点(YouTubeで言えば開封動画とか)で、動物を絶滅させた人間の消費の論理と同じことをやっているように見えた。結局そこに戻ってきて良いのか?
テクニカル
- 井上俊之って500円で買えるものを探して歩き回るあたり?
- 声優みんなよかったなあ。中でもツダケンはさすがの存在感。たった数秒で作品の価値を引き上げるような演技をしていたね