※本記事内の画像は『キズナイーバー』6話より研究のために引用したものであり、それらの権利はキズナイーバー製作委員会にあります。
こんにちは。栄西です。
キズナイーバー6話が素晴らしかった。当初から何かあるだろうと匂わされていた牧の過去が明らかに。作画演技音楽すべてがうまくかみ合っていたが、特に絵コンテの主張の強さが気に入った。そこでキズナイーバー6話の小林寛さんの絵コンテについて検討していく。
アニメの研究においても蓄積性というのものが大事なので、まずは先行研究のレビューから入る。
1.先行研究のレビュー(簡単に)
先行研究はこれら↓
『ブラック★ロックシューター』第4話 絶望をどうやって映像的に表すのか - あしもとに水色宇宙
アニメ演出家・小林寛の構図に酔いしれる - OTACTURE (id:ukkah / @ukkah)
これらの記事をまとめると、小林寛さんの絵コンテの特徴として
- 光と影の対照
- 人物の横向き・端寄せ配置
- 奥行きのあるレイアウト
- カット割りによる人間関係の表現
- 不安定なカメラ位置(位置関係の攪乱)
が挙げられている。いちいち当てはまりを指摘はしないが、ここに注意しながら読み解いていく。
2.キズナイーバー6話について
絵コンテは小林寛さんと山﨑雄太さんの連名。小林寛さんは1・2・4・6話に絵コンテで参加しているがすべて連名であり、かつ演出はしていない。この6話も本来ならば完成映像の特徴を安易に小林寛さんに帰属できない状況だが、先行研究を参照するとこの6話にはかなり小林寛さんの影響があることが伺える。
6話の脚本上の構成は以下の通り。
- S1 アバン
- Aパート
- S2 勝平宅
- S3 回想
- S4 牧の帰途
- S5 市長室
- S6 車中
- S7 ファミレス
- Bパート
- S8 喫茶店
- S9 牧の帰途②
- S10 勝平宅②
- S11 学校
- S12 ホール
3.分析
S1.アバン
瑠々と牧が歩くのを真横からとらえている。
状況説明のための引きのカット(エスタブリッシングカットというらしい)はあるものの、会話する2人は基本的に同じカットに映らない。
左寄せの瑠々と右寄せの牧が発言の度に交互に映る。この話数の会話はこういう見せ方がかなり多い。
背景が紫と茶色…のような微妙な色合いになっているのも面白い。
後半ではこの規則性が崩れる。これ以降注目したいのはライティングであり、常に瑠々の顔が影になり、牧の顔が照らされている。
瑠々が牧に覆いかぶさるカットは5話の牧が由多を組み伏せるカットを思わせる。
S2.勝平宅(S3の回想は省略)
合宿編を終えた後の状況説明
演劇のセットのように部屋を真横から映したカットが軸になっている。
このシーンでは同じ人が発言するカットのレイアウトは全く同一である。疑似的に限られた個数のカメラを切り替えながら撮影しているようなものである。このようなレイアウトの流用はこの話数を通して非常に多くみられる。
定点観測的な映像を作ることによって作品世界の独立性を強調する、つまり登場人物の行動や作中の出来事をリアルに(⇔作り物)感じさせ、撮影者・制作者の存在を意識させないという効果があると考える。
それぞれのカメラにおいて同フレームに収まる人物の組み合わせは以下のとおりである(回想後)
- 天河(+日染)
- 千鳥(+勝平)
- 日染+仁子+勝平
- 牧
天河と千鳥のカットは左寄りと右寄りで対になっている。フラグが立ちつつある天河→千鳥の好意を暗示しているのか。
しかし2人の間には勝平が挟まっており、千鳥のカットに勝平の一部が映り込むことで千鳥の思いは勝平に向いていることを示唆している。
日染+仁子+勝平は変人3人組ということだろうか。
牧が他の5人と同時に映るカットは1カットのみであり、牧が他のキズナイーバーと距離を置いていることが視覚的にも表現されている。
奥行きを望遠で圧縮したカット。小林寛度20くらいか。
S4.牧の帰途
左に向かって帰る牧を仁子が追う。アバンと位置関係が一致している。
真横・真正面の均整の取れたレイアウトの中に突如現れる斜めのレイアウト。仁子の発言から受けた衝撃の大きさを物語る。
回想によって「仁子、バカだもーん」というセリフが瑠々の「私、バカなの」というセリフに対応することが示される。牧は自分と友達になろうとする仁子を見て瑠々を連想し、心の痛みを感じる。牧が瑠々との関係によって何らかの傷を負っていることを示唆している。
S5.市長室
うって変わって園崎のパート
このシーンは一部を除いて2つだけのカメラで撮影されている(=使われているレイアウトが2通りしかない)
2つのカメラの視線は真正面から衝突しており、絶対に両者が同じカットに映ることはない。
園崎と市長の間の対立関係を暗示している。
S6.車中
奥行きと光をうまく使った小林寛カット。役満とは言わないまでも満貫くらいはつくだろう。位置関係の説明も兼ねている。
「本当の罪は忘却ぶりっ子」
ガラスに映る自分に向かっての発言。園崎自身の罪ということなのだろう。
S7…特に見どころがなかったので省略
S8.喫茶店
対面しての会話だが福澤と牧は同じカットには映らない。
牧は福澤の要求に応じるつもりがないからである。
同ポジションの効果の一つは差異の強調である。
ここではいきなりの由多の登場をコミカルに印象付けている。
S9.牧の帰途②
アバン・S4とは逆に右側へ歩く牧。それを追う由多。
由多が仁子とは違うアプローチで牧に近づこうとしていることを表している。仁子は「友達」という形にこだわっているが、由多はストレートに牧の内面に迫ろうとしている(呼称もこのシーンの途中で「穂乃香ちゃん」から「あんた」に変わっている)。
牧の態度も仁子に対しては「友達はいらない」という消極的な反応だったのに対して、由多に対しては「本気で嫌いだ」という攻撃的なものになっている。
(上手下手に絶対的な意味を付与するのは好きではないが、敢えて言うなら下手から上手への移動は物語の転換の兆しだろうか)
S10.勝平宅②
再び勝平宅。シーンの前半ではカメラが窓を向いており逆光。キャラの顔の影の面積が大きくなる。
キズナイーバーの誰かの心が痛みが伝播し、全員の気持ちが沈んでいることを表現している。視線もバラバラ。
転換点となる由多からのメール。カメラ位置がぐるりと転換している。
S11.学校
2人のテレビクルーと牧が奥行きを持って配置され、牧が追い詰められている様子を表現している。
こちらも、割と奥行きを感じる。平面的なカット割りとのメリハリが効いている。
劇中のイベントそのものが派手な場合と、劇中のちょっとしたイベントに(疑似的な撮影者が)意味を付与して伝えたい場合がある。
この話数では多くが後者であり、そこでは意味の付与に適した平面的なレイアウトが用いられる。一方このシーンはこの話数の盛り上げどころであり、牧をテレビ局から救うというそれ自体派手なイベントが描かれている。この場合では空間をリアルに描いてイベントの描写に注力しているのだろう。
流れの中ではインパクトがあるけど、このカットを取り出すとなんかなあ。
悲しげに安堵する表情の作画、声優の演技、どちらも見事。
まとまりがなくなってしまうので触れてこなかったが、このような真正面アングルも繰り返し用いられている。
S12.ホール
ラストシーン。緊張極まる勝平と園崎の対峙。
ここでも会話のキャッチボールに合わせて細かくカットが切り替わり、同時には映らない。
さらに園崎は顔すら映らない。緊張をかきたてる。
図示してみると割と不自然なカメラ位置設定となっている。
①は園崎の目線と読むこともできるだろうが、それなら勝平が中央に据えられていないことに違和感がある。
勝平と園崎が一つの空間にいることがわかりにくいレイアウトによって、この会話が親密なものではなくむしろ対立をはらんだ不穏なものであることが示される。
これまでの規則的なカット割りを打破したアップ。静かな語り口ではあるが、映像によって言葉の重みを強めている。
さらに新しいカメラ位置からのカット。園崎をなめて勝平を映すことで、勝平の言葉を受けた園崎の内心を考えさせる。
再び、同ポジションは差異を強調する。「軽蔑します」と言い残して勝平は去っていった。
表情こそ変わらないものの、直後の激しい打鍵は園崎の心が激しく揺れ動いていることを表現している。
さらに深読みすると鳴らした音は「ラ」であり、一般的にオーケストラのチューニングに用いられる音である(実際はこの1オクターブ上だが)。そのような調和をつかさどる「ラ」の音を激しく鳴らすことは「均整のとれた世界観や統一感、調和」への抵抗(ぎけんさんの考察を参照)なのかもしれない。
4.まとめ
絵コンテは2人の連名だったにも関わらず、濃い目の演出で統一感が保たれていました。
どのような役割分担が行われていたのか気になります。
しかし小林寛監督、定点観測(同ポ)とか真横アングルとか真正面アングルホント好きですね。
絵コンテを通した演出の押しの強さからは細田守を連想しました。