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『かがみの孤城』と『金の国 水の国』と『BLUE GIANT』を見て業務連絡と近況報告

· 16 min read

かがみの孤城

9/10

毎回「最高だった」とか「非常によかった」とか書いてると言葉のありがたみが薄れてどんどん強烈な言葉を使わなきゃいけなくなるので、数字で点数をつけることにする(これもインフレしていくかもしれないけどw)。

ストーリー

原作は未読。思春期の中学生の傷つきやすい心にフォーカスしつつも、「学校が全てではない」「いつの時代も中学生なんて似たようなもの」「時間が経てば大人になってどうにかなる」という一歩引いた目線でのメッセージも含まれている。アニメは中高生に寄り添ってその心を純粋に儚く尊いものとして描くことが多いが、本作のバランスの取れた立場は好き。真田とか最後までフォローなく嫌な奴のまま終わったのもすごいよね(心を通して視聴者には嫌な奴に見えてたけど、視点が違えば印象も違うんだろうなと)。

今更本屋大賞の原作の良し悪しなんか語る必要ないと思うけど、謎がどんどん解明されていく密度とスピード感も良かった。後から思うとそうだったんだなという。さすがにこれだけ時代が離れると話してて気づくだろって思わなくもないけど、そうならなかった理由もまあ納得できる範囲内。

演出

原恵一の精緻なコントロールが良かった。前半は劇伴少なく、カメラもほとんど動かさず、繊細な表情芝居作画と声の演技に委ねている。演出によって視聴者の解釈の方向性を示しすぎないことで、キャラクターの行動や、それが周りにどう映るのかということを視聴者に考えさせ、ウレシノの爆発を視聴者に突きつけることができた。ちょっとした言葉や行動がきっかけになって、バカにしてもいいという「空気」が醸成されていく理不尽さを上手く演出したと思う。

物語が進むにつれて演出はだんだん派手になっていくが、そのペース配分も見事だった。音楽家がピアノとフォルテを巧みに使い分けて音楽を組み立てていくような、ピアノの重要性を理解した全体感のある演出だった。どれだけ大きい音を出せるかの勝負みたいな時代だけど、こういう演出ができる人間がいて、アニメを作ってくれるのはありがたいことだなと思った。

作画

井上俊之は城に来たところ、松本憲生は階段登るところだと思ってたんだけど、パンフレットの佐々木啓悟のインタビューではそれぞれ違う場所が挙げられていた(わざわざこの2人の担当パートを質問するインタビュアーはニッチ層の需要をよく把握している)。城に来たところは井上俊之じゃなかったかもしれないが(パンフレットに掲載されている原画の指示文字の筆跡も違う)、階段登るところはやっぱり松本憲生で単に挙げ忘れじゃないかなあ。『君の名は。』の担当パートと似ているので。井上俊之の確定した方のパートは、なるほど、『地球外少年少女』っぽいな…と思った。ある程度見てると、超一流アニメーターでも結構自分の作風をいろんな作品で使いまわすんだなと思うよね。そのキャラクターではなくてそのアニメーターの演技に見えてきてしまう。アニメ見すぎは良くない。

それ以外も全編通してかなり上手い。派手なアクションがあるような作品ではないけれど、キャラクターの表情芝居が繊細。あと見せ場で1コマを使いたがるのは原恵一の趣味なのかな。

金の国 水の国

3/10

あまりおもしろいと思えなかった。「スケールが小さい」「意味がない」と思うところが多くて、見る意味を感じられなかった。

2つの国を巻き込む大立ち回りかと思ったら城の中のあるエリアから別のエリアに逃げ込むというすごい小さい規模のかけっこに終始し、成り行きで王とピンポイントでお話して話術とカウンセリングで解決というのは物足りなかった。サーラが王を信じる心がミソだったわけだけどそもそもサーラと王の関係はほぼ描かれてなかったのでどうでも良かった(そもそも王がどうでも良くない…?)。

レオポルディーネはいいキャラだったのにクライマックスに向けて何の役割も演じなかった。ナランバヤルやサラディーンが国交樹立に先駆けて設計を始めるのも「いや国交樹立が先だろ」と思ったし(50年かかるなら数ヶ月前倒ししたって誤差だろ)、サーラとナランバヤルが別行動をしているパートでも離れていることや互いのことを想うシーンがあまりない(特にナランバヤル)ので橋のシーンも盛り上がらなかった。サーラの「この国の全ての水がお酒でも飲み干してみせます」みたいなセリフは面白かった。

クオリティ面でも、特に冴えた演出があるわけでもなく、作画も劇場に通常求められる水準を下回っていて見せ場も全くないのでかなり不満だった。というかこの不満が全てを悪く見せた可能性すらある。サーラの回想で城内の姉のカットだけちょっと上手かった。背景は良かった。ナランバヤルがスープの鍋をかき混ぜるカットは意図が全く不明で怖かった。

BLUE GIANT

9/10

大は天才で迷いがないので観客としても大が言うことを信じてついていくことができる。彼が才能でいろいろなものを乗り越えていくのが気持ちいい。すごく単純化すればそういう話だった。

繰り返される「ジャズのグループは永続的なものではない」というセリフで暗示されるように、JASSの3人は同じスピードで歩める3人組ではない。玉田が未来にジャズを辞めているようなインタビュー映像が中盤から入っているし、雪祈も最初に大の音を聞いたときに圧倒されて涙を流している。大は仙台から外国へ吹き抜けていく一陣の突風であって、東京もJASSも通過点に過ぎない。

最初に会ったときに雪祈が今のジャズはダメだと言う一方で大は「これまでジャズをつないできてくれた人」への感謝も持っている。大にとっては、天沼に言ったように「ジャズはジャズ」であって「今の」ジャズという区分すらないのだろう。初めは大の知識の浅さの表現かと思ったが、むしろスケールの大きさだった。

東京の大都会としての側面と古くて汚い側面を両方描き出すような荒い情感のある背景が良くて、そうそう東京ってこういう場所だよねと再発見させられた。高架道路には車がたくさん走っているけどそのすぐ下には大音量の練習も迷惑にならないような空隙がある(スカイツリーに抜かされた東京タワーにも良さはあるもんね)。東京には大きな駅やきれいな店があるけれど、JASSの居場所は高架下や深夜の道路工事バイトや狭くて汚い下宿だった。彼らの演奏も大観衆に向けてのものではなく、So Blueにたどり着いてもなおわざわざ来てくれたコアなジャズファンたちに向けてのものだった。音楽のメインストリームではなくなっているジャズは大都会東京の陰の領域とパラレルであり、だからこそ古くて汚いものを魅力的に描く美術の力はこの作品の縁の下の力持ちだったのかもしれない。

演奏シーンの迫力もすごい。原作者は「妙なイメージを入れない」とインタビューで述べているが、確かに現実空間で演奏する人間、楽器、聴衆を描く演奏シーンだった。その制約の中でシュウ浩嵩がリードしたであろう光や色、タッチ、縦にぐるりと回り込むような奇抜なカメラワークなどの多彩な表現(「サイケデリック」に片足を突っ込んでいた)によって、演奏の場の熱量が高まっていくことを表現していた。演奏者の動きを正確に表現するためにCGも使われていた。作画に比べると動きが硬く、なんか肩幅も広くなってるような気がしたが、これも表現の幅かな。

原作からのストーリーの再構成は、うまくやっていたと思うが完璧ではない。これはもう原作付き劇場アニメの宿命なのでとやかく言うつもりはないが…。各キャラの出番がコンパクトに圧縮されているうえにアニメ的な誇張が少ないキャラクターデザインなので人物の判別が難しかった。豆腐屋が誰なのかは見終わって調べるまで理解できなかった(しかも理解できないとストーリーの流れも途切れるのでこれは結構辛かった。みんな初見でわかるのかな)。最後の演奏シーンでいろいろな人の顔が映るけど半分くらい誰かわからなかった。雪祈の幼馴染とか大の兄とかいたのかな?

あとずっと練習場所にされていたTAKE TWOのアキコさんは「うちでライブして儲けに貢献しろよ」とは思わなかったんだろうか…?

業務連絡

ツイッターのライフログとしての信頼性が低下しているのでマストドンに移行しました。

https://mstdn.minnanasi.net/@min_nan_a_si

私は何気ない日常的なツイート、ちょっとしたアイデアのメモ、そして実況、それら全てが文化的な資産であり後世に保存すべき遺産だと思っています。然るに現在のツイッターは経営面・技術面ともに不安定で、「保存」の目的を達成できるか不安があります。具体的には、ツイートの検索と自分の全ツイートのダウンロードがある日突然使えなくなったら困ります。

近況報告

今期テレビアニメはそんなに見てないです。満足度が高いのは文句なしにウェルメイドな『ツルネ』、関係が深まり初めてラブコメとして一番面白い時期にある『長瀞さん』、河西健吾くんの名人芸がたっぷり楽しめる『久保さん』。そしてアニメスタッフに感謝しているのは『冰剣』と『人間不信』。どちらも隅々に至るまで画面を面白くしよう、視聴者を楽しませようというホスピタリティが感じられて、かたじけない。