非常に良かった。
ペットボトルロケットのところで泣いてました。宇宙船を飛ばすために、電気を起こすために、発電用の給水塔から団地に管を通さなければならない。大目標をドリルダウンしていった結果主人公にとって丁度よいタスクが発生するというのは、悪く言えば都合が良いんだけど、ずっと宇宙が好きだった悠真がロケットを飛ばすこと、それが彗星のように夜空を切り裂いて団地の屋上に届くこと、そしてそれによって悠真とナナコがつながること、全部がこの物語にとって重要なファクターだったので、物語としてもビジュアルとしても、砂時計のくびれ部分のように全てが集中する本当に素晴らしいシーンだった。音楽も良かった。ちなみに僕は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の時計台の雷でタイムマシンを起動するシーンを思い出してました。
人間とは違う「虹の根」の知性のあり方として、水を中心にバイオ系のテクノロジー(カエルの皮膚の菌がどうこうとか、水に何かを混ぜて発電とか)が用いられていたのが面白かったです。よくあるスーパーハッカーの超高速タイピングのような描写ではなく、子どもたちが普段の遊びの延長であるかのようにロケットの発射準備を進めていくことができたのは、設定と描写をつなげるアイデアの勝利と言えるし、また一方では高度な技術も日常的な好奇心の延長にあるという子供向けのメッセージにもなるかなと思いました。「虹の根」やロケットのビジュアルはみっちぇ氏が素晴らしい仕事をしていました。ここで地球や人類と大胆に異なったビジュアルを提示できたことで、二月の黎明号の長い旅や交流に重みが感じられるようになり、宇宙というものの広さ・途方もなさも表現できていたと思います。太陽系を出るまで37年(でしたっけ?)、虹の根につくまで12000年ですからね。すごいスケールだし、それを(宇宙スケールにしては)「短い」と悠真が言ったのは、彼の宇宙に対する知識の深さを感じられて良かった。
人工衛星に搭載されたスタンドアロンの人工知能というアイデアは『攻殻機動隊SAC』『アイの歌声を聴かせて』『地球外少年少女』とかで見た。あらゆるデバイスがネットに接続されている時代に、人間の管理を離れたAIが存在できる場所として人工衛星が選ばれるのは必然なのかなと。特に『地球外少年少女』は宇宙を題材にしているという点も共通だけど、本作が宇宙との交流を肯定的に描いている一方で、『地球外少年少女』は宇宙を危険な場所と捉え、安全地帯である宇宙ステーションの中での冒険が主に描かれた(まあそれだけではないのだが、そう見えてしまう作品だった)。人類の人工知能が半導体技術による汎用計算機で実現されている一方で、それと対置するように物質とパターンが知性になるというアイデア(早い話が魔法陣)も『地球外少年少女』と似ている。たぶん『電脳コイル』を見て『ぼくらのよあけ』を書いてるし、『ぼくらのよあけ』を見て『地球外少年少女』を作ってるし、『地球外少年少女』を見て『ぼくらのよあけ』(映画)作ってると思います(大嘘)。
声の演技の話をすると、朴璐美と悠木碧が良かった。人工知能がだんだんと人間のように感じ振る舞うようになるという変化を表現していた。そう言って思い出すのは『エレメントハンター』のユノ(中山さら)。彼女もメッセージを伝えるという使命を果たして死んでしまうんだけど、その直前のアリーとの交流の描写が素晴らしい。人間のパートナーとなる存在がタイムスケールの大きい旅に出る話は実は『アヴリルと奇妙な世界』ともつながってたりします。杉咲花は下手だと思ってたけど慣れた。
ここまで書いてきたように僕が好きな作品のエッセンスがたくさん取り込まれているので、振り返ってみると当然好きになるなと思いました。まああまりにも他のアニメを参照しながら見てるとこのアニメのどこを見てたんだよって言われちゃいそうなんだけど、執拗に描かれる悠真の上腕を見てました。キャラクターの肉の付き方を地道にフォルムで表現していくという点で丁寧な作画だった。動きで目を引かれるような箇所は特に記憶に残ってないけど、破綻した箇所もなかったので、劇場アニメとしては中の下くらい。話の密度が非常に高いなと思っていて、無駄のない原作をさらに劇場の尺(120分はターゲット年齢層を考えるとちょっと長いなという印象)に収めたらこうなったのかな。二月の黎明号を帰すという中心的なストーリーの周りに、サブストーリーとしてそれぞれのキャラクターの家族の話、SHⅢと人工知能にまつわる話、27年前の話などが詰め込まれていた。特に親と子の話は、子供が子供の中だけで秘密の冒険をするという子供向け映画のお約束を更にもうひと捻りし、親は親で秘密の目標があったが、今は子供を守ることが第一になっているという話になっていたのは諦念と質感があって良かった。
ただ、このストーリーギチギチ状態によって取り落したものもあった。たぶん原作では話数の切れ目だったんだけど映画になったときに上手く流れてないなという箇所があったり、原作ではもっと掘り下げていたんだろうなと思うような要素が未消化のまま残った感じはありました。具体的には親世代の話、銀之助の父親、花香とわこ、真悟とわこ辺り。わこが真悟を放り出すところは(パンフレットに原作の該当シーンが載ってるのですが)演出のリアリティレベルが上がってしまって意図が伝わりにくいだろうなと思いました。他にはキャラクターの行動を見せながらバックでニュースの読み上げによって背景設定を説明するような箇所も、視聴者の情報処理能力の限界を超えるので難しかった。これはいろんなアニメであるけど。悠真とナナコの関係については、作品世界の一般的な人間とオートボットの関係を描いた上で、悠真とナナコの特殊性も描かなきゃいけないのでかなり難しいんだけど、案の定イマイチだったかな。他のオートボットとして出てきたのが河合家だけだったので。
総じてとてもいいアニメで、10年前の漫画のアニメ化という企画から想像するような後ろ向きさが全くなく2022年のアニメになっていたなあと思いました。むしろ原作に先見性があったのかな。映像表現も、原作付きなのに別のキャラクターデザイナーや虹の根デザイナーを招聘して踏み込んだ表現を達成していた。