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サザエさん『こちらはカツオ放送局』に見る大家族の多様性

· 12 min read

※本記事内の画像はアニメ『サザエさん』より研究のために引用したものであり、それらの権利は長谷川町子美術館に帰属します。

はじめに

カツオはうっかり自分のテストの低い点数を全校に放送してしまい落ち込んでいる。

波平の叱責

波平は「勉強して見返せ」「一度引き受けたこと(校内放送)を途中で投げ出すのは無責任だ」などと正論で叱責するが、カツオのやる気は戻らない。それは「バカバカしい、校内放送くらいでなんだ」というセリフに見られるように、カツオの苦しみに寄り添っていないからだ。カツオは今苦しいのだし、明日学校でからかわれることが怖いのだ。

このシーンで波平の顔はアップにならず、お決まりの食卓レイアウトだ。これは波平が家という共同体の中で、家長という立場で発言していることを意味している。

マスオとフネ

マスオは「気持ちはわかるけどねえ」とだけ言っている。カツオの気持ちはわかっているが、家長の波平の言うことには逆らえない立場が伺える。

フネは「頑張って最後までやり遂げなさい。カツオならできますよ」と言う。言葉は優しくなっているが、内容は波平と同じだ。

このシーンではフネの顔がアップになる。フネの顔を横から写すレイアウトで、フネは目線を下げている。あくまで目上の人間が目下の人間に言葉をかけているということだ。

サザエの寄り添い

一方でサザエは自分も校内放送で失敗したという経験を語る。カツオは自分の苦しみが理解されたように感じた。その結果、語る前は「他人事だと思って」と言っていたカツオが「それじゃあ僕と同じじゃない」と口にしている。

このシーンではサザエがカメラ(=カツオ)を正面から見つめる、『サザエさん』では珍しいレイアウトが使われている。サザエがカツオの苦しみをしっかり見つめて寄り添おうとしていることを表現している。

復活のカツオ

やる気を取り戻したカツオは校内放送でサザエの失敗を面白くおかしく語り成功する。このシーンもいろいろな読み方ができる(カツオがサザエへの感謝の気持ちを素直に表現しているとも取れるし、他人の衝撃的なエピソードで自分の失態を忘れさせる企みかもしれない)が、そちらの考察は他のサザエオタクに任せたい。

家庭内の多様性

このエピソードで効いたのは共感ベースのサザエの励ましだったが、波平の厳しい言葉も正論ではあり、そのような視点がカツオを成長させることもあるだろう。家庭内に年代も性格もバラバラの大人がたくさんいることがカツオの健全な成長を助けている。

家庭内の多様性がこのエピソードのテーマであることは明白で、今回取り上げたシーンより前の「なぜカツオが放送係に誘われたのか」というシーンでも家族それぞれから意見が出ていた。

  • そりゃあ決まってるよ(カツオ)
  • おしゃべりだからよ(ワカメ)
  • なるほど。話題に詰まってもカツオならなんとかしてくれると思ったんだな(波平)
  • 言わなくても良いことまでペラペラよくしゃべるものね(サザエ)
  • それだけ頼られているってことじゃないかい(フネ)
  • あぁん、僕もそう思うよ(マスオ)

カツオのトーク力という点は一貫しているが、ニュアンスには差がある。

スタッフ

開幕でカツオと中島が絡み、カツオが女の子にいいところを見せようとする展開だったので雪室先生の脚本と思ったのだが、予想に反して浪江先生だった。

演出は山﨑茂。彼が担当したエピソードは以前も取り上げている。本エピソードでは繊細なレイアウトの使い分けによってカツオに向けられる言葉の性質を表現して見せた。他に注目したいカットを2つ紹介する。

低いアングルからワカメを写して、ワカメがカツオの復活に安堵する感情にフォーカスしている。これがあることでワカメは単にカツオの行動を自宅に報告する伝書鳩ではなくなっている。

廊下から客間を貫通して茶の間まで見えるレイアウト。やや珍しい。無理やり意味を読み取るのならば、家族の象徴として茶の間のテーブルを見せたかったのかな(たぶんそこまでの意味はない)。