ネタバレあります。
根幹となるストーリーの仕掛けにガッチリとはまり、それが明かされるアイスランドの電話ボックスのシーンで素直に驚いて楽しんだ。だから視聴後感は非常に良かった。しかし今こうして記事を書こうとすると、作り手が伝えたいことを感じて、驚いてほしいところで驚いて、満足して帰宅した作品なので、あまり改めて書きたいことは思いつかないな…。
『スタンド・バイ・ミー』パートについて
かなり意図的に「アニメ」をやっていたと感じた。リアリティは忘れて、冒険は楽しく、会話はクサく。花田十輝がいなくてもいしづかあつこだけからこういう作風が出てくるのは意外だった。いしづかあつこが思う最高のキラキラした冒険を表現したのだろう。会話のテンポ感とか、どうでもいい言葉尻を捉えて話を茶化すとか、かなり友達どうしっぽい雰囲気を作れていた。メイン3人の冒険だけに焦点を絞っていたのが良かった。逆にここで雰囲気に乗れないと真顔で視聴するパートが長く続いてしまいそうだと思った。
また、このパートで「レールを外れる」とか「遠くへ行く」などの言葉を介して、ドローン探しの旅というひと夏のたった一泊の冒険と、ロウマとトトのマクロな人生観が接続されていたのが巧みだった。
ドロップの病気はおそらくガンで、病院にカツラがあったのは抗がん剤の副作用で髪が抜けるからという話だったのだろう。わかりやすい描写を入れずに断片的に匂わせるだけだったのは広く支持を得なければならない劇場アニメとしては結構攻めていると思ったが、ロウマとトトがだんだん気づいていく過程に視聴者をシンクロさせるという狙いもあったのかな。
アイスランドパートとオチについて
全てが終わってしまった後に時間と空間を超えて想いが明らかになるというアイデアは即座に『君の名は。』を思い出した。新海誠のその美意識は『上海恋』の李豪凌に受け継がれ、2022年の今まさに『時光代理人』に結実している。が、先に思い出すべきはもちろん『宇宙よりも遠い場所』で、いしづかあつこが同タイミングで新作を出してくるところにはなんとなく縁を感じなくもない。
アイスランドの絶景の中に電話ボックス(実在するという話だったのか!)が存在するという絵が強い。高校生がスマホでインスタしてドローンで空撮して遊ぶ現代に「奇跡の出会い」というものはもはやない。そんな時代にそういう物語を作り出すため仕掛けが日本とアイスランドの距離であり、現在と中学時代の時間差であり、電話ボックスという相手が不確定な通信手段だったのだと理解した。
チボリの話はもう少し。彼女の写真に対する考え方がロウマに影響を与えたことを丁寧に書いてはいるが、それが全体の物語に対してどう位置づけられるのかよくわかっていない。最後にちょっと映った理由もわからない。特典の冊子を見ると映画には含まれなかったが監督の中にはかなり彼女に関して深いバックストーリーがあるようなので、いろいろ考えてみるのも良いだろう(これに関しては本編に入れきれなかったことが手落ちになっているとはあまり思わない)。
- ↑アニメを見るのが上手い友人に教えてもらったんですが、自分の町から出ないロウマにとっての高嶺の花がチボリで、成長して彼女に近づけたという話らしい。なるほど。
その他どうでもいい雑感
花火の中を飛行しながら撮影する表現は『クリオネの灯り』『天気の子』の系譜。映像として映えるというだけではなく、ちゃんと物語の中で意味がある使われ方で良かった
完全にどうでもいい話だが、久々に『クリオネの灯り』のOP見たら布施木一喜が副監督に入っていることに気づいて驚いた。布施木一喜は『獣の奏者エリン』で演出をしまくっていた人。『獣の奏者エリン』は上橋菜穂子作品なので『鹿の王』とつながったな!
最近見ている『神霊狩/GHOST HOUND』(2007)ともつながりを感じた。『神霊狩』における幽体離脱時の視点はそのままドローンの映像表現として現実のものになった。また、太郎が時折聞いている無線?(ラジオ?今見てる話数ではまだ不明)も現代のインターネット配信サービスと比べるとだいぶ不確実で不透明な通信手段であり、電話ボックスと似ている。『神霊狩』ではホラーの道具として使われているのだが。