※本記事内の画像は『アプリモンスターズ』『デジモンテイマーズ』『デジモンクロスウォーズ』より研究のために引用したものであり、それらの権利はそれぞれの権利者に帰属します。
ついにデジモンシリーズの新作『アプリモンスターズ』の放送が開始された。
デジモンのテレビアニメ(以下単にデジモンシリーズと称する)は以下のとおりである。
- デジモンアドベンチャー
- デジモンアドベンチャー02
- デジモンテイマーズ
- デジモンフロンティア
- デジモンセイバーズ
- デジモンクロスウォーズ
- デジモンクロスウォーズ〜時を駆ける少年ハンターたち〜
これらデジモンシリーズには「少年がデジモンと出会い、戦いの中で精神的に成長していく。少年の成長に伴ってデジモンは新たな進化を獲得し強くなる」という共通のフォーマットがある。とりわけ「進化」はデジモンシリーズの重要な見せ場である。強く大きくなるパートナーデジモンの姿によって登場人物の成長が視覚化されるとともに、強大な敵を倒し物語が次に進むという形で進歩がわかりやすく表現される。
一方で1作ごとに設定が少しずつ変化するのもデジモンシリーズの特徴である。その中で本記事で注目したいのは「舞台が人間世界か異世界か」という点である。
『アドベンチャー』『フロンティア』『クロスウォーズ』は物語の大部分が異世界で進行する。登場人物は非日常の緊張状態に晒され、彼らのバックグラウンドは主に回想によって提示される。
一方で『02』『ハンター』は人間世界が拠点となっている。具体的に言えば毎日自宅のベッドで眠れる。このタイプでは登場人物の日常生活を通じて性格や精神的課題を表現することができる。
『テイマーズ』『セイバーズ』は人間世界編と異世界編にきれいに別れているタイプである。
ただ、いずれの作品においても最大の敵は人間世界と異世界の両方に害をなす存在であり、それを防ぐのが登場人物の大きな行動指針となる。
さて、この視点において『アプモン』は同分類されるのだろうか。
私の見立てでは人間世界タイプである。しかもこれまでの作品の中で最も人間世界に寄せた作品になると思う。その根拠はアプモンたちのバックグラウンドである。
誰もが使うスマホアプリ
実はそこにはアプリの数だけ俺のようなアプリモンスター、アプモンが存在している
パソコンやネットが「難しい」「よくわからない」ものであった2000年前後に作られた作品群では、デジモンはその起源こそ人間のデジタル技術であるが、人間に管理されているわけではなく、人間からの影響も小さかった(これは『テイマーズ』に詳しい)。彼らは自らの世界で、自らの秩序のもとで生活を営んでいた。
スマホが爆発的に普及した2016年現在の『アプモン』でも、人間のデジタル技術がモンスターを生み出したという基本設定は変わっていない。しかアプモンたちはベースになったスマホアプリの影響を強く受けている。すなわち、人間の道具としての特徴をよく残している。これは「よくわからない」部分が隠されてデジタル機器がユーザーフレンドリーになったため、それらをモンスター化したときにも人間に近い存在にするほうが受け入れられやすいという考えだろう。まさに2016年のデジモンと言える。
そしてアプモンたちが人間たちにかつて無いほど近い存在であるがゆえに、アプモンたちが暮らす異世界で冒険するという筋書きは考えにくい。あくまでアプモンたちが人間世界で起こす問題に、人間世界で対処していく展開になると予想する。
さて、『アプモン』基本設定について簡単に考察をしたところで、本題に入りたい。それはOPである。
『アプモン』のOPは過去の作品へのリスペクトと同時に新鮮さが感じられる。そこで作風が近い『テイマーズ』と『ハンター』のOPとの比較を試みる。
奇しくも両方とも貝澤幸男が監督であり、OPのコンテ演出も氏(『ハンター』については推測)である。
ちなみに『アプモン』の古賀監督はデジモンシリーズへの参加歴は『ハンター』で一度コンテ演出をしたのみである。
1.日常に潜むデジモンの表現
『アプモン』
『テイマーズ』
『ハンター』
群衆をシルエット化(モノクロ化)する技法が3作品に共通している。これはデジモンの存在を知らない一般人と、デジモンと関わる主人公たちの差異を強調している。大人は知らない秘密のモンスターと一緒に冒険する、という設定は普遍的なものだろう。
人間世界とデジモンの交わり方については、3つの作品に独自の表現が見受けられる。
まず『アプモン』では、そもそも描かれているのが主人公たちのパートナーである。彼らは同時にスマホアプリでもあり、人間に常に付き添っている。敵ではないが、意識してみると少し不気味な気もするという絶妙な距離感だと思う。デジモンたちがやたらと大きく映し出されているのは、スマホアプリである彼らが特定のパートナーというよりはすべてのユーザーに奉仕していることの現れであり、また、便利さゆえにそれに溺れてしまうという恐ろしさを内包した存在であることの現れでもある。望むと望まざるにかかわらず、彼らはいつの間にか「大きな」存在になっているのだ。
『テイマーズ』は人間世界への適応に苦労するデジモンたちを逃げずに描いた作品である。左の画像では人間世界で人知れず暗躍するデジモンを人間の文明の象徴たるビルに投影することで、それに気づかない人間たちがどこか滑稽に感じられる。右の画像では人混みの中で楽しそうに手を振るギルモンと、ひっそりと佇むインプモンが描かれる。これはマイペースを失わないギルモンが人間社会においては異物となっていること、そして自分を殺して巧みに立ち回るインプモンは人間にうまく紛れ込めることを表現している。
『ハンター』ではデジモンたちが出現するのはデジクオーツという特殊な空間であり、人間たちへの影響は限定的である。ここに『テイマーズ』ほどの緊張感はない。
2.巨悪
『アプモン』
『クロスウォーズ』
『アプモン』は
スマホの奥に広がるインターネットの海で、
今"凶悪なるラスボス人工知能・リヴァイアサン"がとんでもないことを企んでいるらしい。
という公式サイトの説明がそのまま映像化されている。しかし終盤で他の敵(配下?)のような存在のシルエットがある。
『テイマーズ』ではインプモンがラスボスのように見えるのだが、実際のラスボスは奥でビルを蝕んでいるデ・リーパである。ミスリードを狙っているとも取れる。
『ハンター』では一応ここに描かれているのがラスボスのクオーツモンだが、実際はもっ不気味な姿をしている。
3.主人公とパートナー
『アプモン』
『テイマーズ』
『ハンター』
『アプモン』は主人公とパートナーの絆を表現するカットが明らかに多く、全ては挙げなかった。具体的には日常、出会い、バトル、進化などおおよそすべてのシチュエーションでハルとガッチモンが一緒に画面に映るようになっている。
『テイマーズ』の描写は淡白である。しかし「進化して強く大きくなるパートナーと絆を結び続ける」ことを表現したこのカットは、シリーズの伝統である暗黒進化を念頭に置けば重要と言える。
『ハンター』の絆描写も非常に薄い。かろうじて見つけたのがこれである。
4.ラストカット
『アプモン』
『テイマーズ』
(フジ→朝日→テレビ東京という流浪の歴史が見て取れて泣ける)
販促は基本…アレ?『アプモン』はいいのか?
『アプモン』はメイン格4人だけだが、『テイマーズ』『ハンター』ではサブキャラやその他大勢も写っている。このルールは序盤の集合カットでも同様である。
これは特に『02』でフォーカスされた、「選ばれなかった人間への配慮」という思想の表現と言えるかもしれない。すなわち、特別な力とパートナーを授かった人間の物語ではあるが、そこで伝えたいメッセージは普遍的なものであり、テレビの前の視聴者にも希望を与えたいというものである。
5.対応関係を見つけるのが難しかったところ
一つは主人公以外のレギュラーキャラの描写である。『テイマーズ』『ハンター』ではメイン格3人の出番は均等だったが、『アプモン』では主人公の描写がダントツに多い。パートナーデジモンがいればみなメインキャラという精神で均等に扱われるということは無いようだ。
1でも挙げた上図のAメロの一連はサブキャラの紹介パートでありながら、ハルの内向的な性格、亜衣への憧れ、そして勇仁との友情などの情報が盛り込まれている。同じ構図を繰り返すからこそ視聴者の目を小さな差異に向けることができる。歌詞も考慮すると、勇仁は非常に重要なポジションのキャラクターであると言える。
販促は基本。虚空でもがきながら手を伸ばしてアプリドライブをつかむハル。
「なんのために戦うのか」というのはデジモンシリーズの重要なテーマの一つである。この作品でそれがどうなるにせよ、自らの意思でアプリドライブを手に取るカットがここに挿入されていることは、ハルの戦う決意をきちんと描くという予告と解釈したい。
過去のシリーズと似ているところもあれば違うところもある。
あたかも本物のデジタル生命体のごとく、マイナーチェンジを繰り返して生き残ってきたデジモンシリーズならではの面白さである。
キッズアニメの帝王・加藤陽一を迎え、関Pからバトンを渡された『アプモン』がどのような展開を見せるのか、楽しみだ。