※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。
『月がきれい』1・2話を見た。思春期の恋愛を淡い絵柄で描くというとあたかもどこかで見た要素の継ぎ接ぎのように考えてしまいがちだが、本作の脚本はよく考えられ、構成されている。同時に演出も、全面に出てくることこそないが、丁寧に脚本に寄り添っている。本稿では1・2話の脚本・演出について簡単に考察する。
目次
- 1話の脚本・演出
- 2話の脚本
- 2話の演出
- 怪電波
1話の脚本・演出
1話はキャラクターや舞台の紹介の必要があり、小太郎と茜の関係はそれほど深く描かれてはいない。1・2話を総合的に解釈する上で理解しておきたいのは、1話では小太郎から茜への積極的なはたらきかけは存在しないということだ。ファミレスでの出会いや係で一緒になるなどの偶然的要素はあるが、主体的な意思を持って関係を変化させたのはもっぱら茜である。
1話のクライマックスである茜が小太郎にLINEでつながろうと持ちかけるシーンの演出は見事なものだった。
窓からの入射光によって茜の顔と手元が2つに区切られている。そして手元に握っているのは彼女が緊張を紛らわすために握るイモである。
イモを握る手の動きは彼女の内心の緊張を反映している。一方で顔は勇気を出して小太郎とコミュニケーションを取ろうとしている。
もともと彼女は外向的な性格ではなく、新しいクラスの教室に入る前にもイモを握って緊張を緩和する必要があった。しかもそのときも自分から友達を作りに行くのではなく、昔の知り合いに話を振ってもらって仲間に入るという形だった。つまり彼女にとって、よく知らない人に話しかけるというのは大変緊張することなのだ(もちろん小太郎はファミレスで偶然出くわした相手、秘密を共有する仲間であり、緊張は多少は緩和されているだろう。偶然の出会いをきっかけに人間関係が大きく変動するというのもそれはそれで思春期らしい初々しさがある)。
この緊張した内心と勇気ある行動の対比が、光と影によって鮮明に表現されているのがこのカットである。
そこに手元と顔のカットが続くことで、両者の対比関係は一層鮮明になる。
2話脚本
2話の脚本は実に上手く構成されている。最初に確認しておきたいポイントは3点である。
- 1話とは逆に茜は全く主体的な行動を起こしていない
- 最終的に茜を笑顔にしたのは拓海ではなく小太郎である
- 小太郎は小説を他人に見せるようになった
①茜は主体的な行動を起こしていない
体育祭という特殊なシチュエーションが設定されており、茜は自分で行動を選択する場面がなかった。
これに対して拓海は茜と体育祭の勝敗を競い、小太郎は茜のイモを探している。
②最終的に茜を笑顔にしたのは小太郎
拓海は千夏・葵の手引きで茜と二人きりになり、バトンを落としてしまった茜を慰める。
そのセリフは以下の通り
「落ち込んでんの?」
「大会じゃなくてよかった」
「予選では本気出せよ。県大会狙えるんだから」
「水野ならできるって。頑張ろうな」
そしてその反応はこれ。
拓海の慰めでは茜の気分は晴れなかった。
小太郎は茜がイモをなくしてしまったことを知り、一人で探し、見つける。
これによって茜は大いに安堵し、以下のように心情を吐露する
「あーよかったー。あたしこれがないと緊張して。今日もほら、失敗しちゃって、人に見られるの苦手なんだ。もうホントハズいんだけど、でもやっぱ走るの好きで。ホントダメだよねあたし」
小太郎はさらに以下のように返す
「いや、そんな。恥ずかしくない。水野さんはそのままでいいと思う」
拓海と小太郎、どこで明暗が別れたのだろう。これは複数の要因が複合的に作用している。
- 小太郎の成り行き上の優位性…(ファミレスで会った)秘密を共有する関係。かつ、茜がイモをなくしたことを偶然耳にし、それを探す時間もあった(比良はリレーに出場していた)。また、小太郎も200m走で転倒しており、いわば転倒仲間だった。
- 拓海の立場上の不利…拓海は茜とは第一に陸上部の仲間である。だからこそ拓海は陸上の話題で茜を慰めたが、このタイミングで「大会は頑張ろう」というのは意味がなかった。このときの茜は陸上選手として、そしてスクールカースト上位グループのメンバーとして、外面を取り繕って強く振る舞うことに疲れてしまっていた。
- 小太郎の正直なメッセージ…序盤の200m走の活躍を見て小太郎は茜のことをかっこいいと感じていた。そして彼は、プレッシャーがかかっていなかったときの彼女の走りから感じたことを素直に彼女に伝えた。彼女の素の姿を褒めたのである。
③小太郎は小説を立花に見せた
2話アバンで小太郎は太宰を引用して小説を他人に見せない理由を述べている。
「だって太宰は言っている。人は人に影響をあたえることも出来ず、また、人から影響を受けることも出来ないと」
しかしラストでは小説を立花に見せて添削を受けている。その理由は茜の心情の吐露を聞いたことである。
「人に見られるの苦手なんだ。もうホントハズいんだけど、でもやっぱり走るの好きで」
好きなことにひたすら取り組む姿の美しさを、小太郎は茜を見て知った。そしてそれに影響を受けて、恥ずかしさを捨てて自分も小説にひたすらに取り組むこと覚悟を決めたのだ。だからこそ「人が人に影響されないなんて、大嘘だと知った」のであり、逆に人と人の間で影響を及ぼしあえることを信じ始めたからこそ、小説を他人に見せる意味を見出した。そういう意味で「~大嘘と知った」というセリフは結果であると同時に原因でもある。
2話演出
この展開に合わせて、演出レベルではオーバーラップによるシーン転換が効果的に用いられている。
冒頭、夜中まで小説を執筆する小太郎が朝の食卓で眠そうにしているシーン。
もう1つ、今度は立花に添削を受けるシーンからその夜の執筆につながる。
この2箇所のオーバーラップによるシーン転換は明確な対比構造となっている。
1つ目では執筆活動が社会生活に悪影響を及ぼしている。2つ目は社会から得た心境の変化やアドバイスを執筆に活用している。
つまり自己から社会への一方的な活動だった執筆活動が、自己と社会の間の円環構造に発展したのだ。
自己と他者の関係で悩みがちな思春期の少年にとって、この成長は意味のあるものだろう。
おまけ~怪電波~
1話に続き2話でも描かれ話題になった「紐シャドー」
思春期の少年が自室で一人で興じること…それは自慰である。
年頃のペニスは第二の脳…あたかも自らの意思を持つような存在
予測不可能な振動をする紐はまさしくペニスのアナロジー
それを手を使って激しく刺激する…自慰、自慰である。