月がきれい10話を見た僕はブチギレていた。
演出・作画・演技の噛み合いの悪さもさることながら、強引な展開をショッキングなキスシーンと挿入歌で納得させる低レベルな脚本だったからだ。
その後なんどか見直し、自分なりにこの話数に関する結論を得た。
必ずしも肯定的なものではないが、しかし書き残さねばならないという強い意識のもと、これを書く。
繰り返し検討したところ、私の視聴感を悪化させたのは「善意と悪意の釣り合いが取れていない」ところである。
具体的に言えば「小太郎は茜に悪意を向けたのに、自らその謝罪をしていない」ということだ。
小太郎が茜にしたことを列挙する
- 呼び出したのにそっけない態度をとる
- 比良と2人でいた事を確認する
- 町内のおじさんに囃し立てられ「そんなんじゃないから」と言う
- 不機嫌な態度の理由を聞かれても答えようとしない
- 「ムカついた。他の男子。別にいいけど」
- ロクに会話もせず茜を置いて去る
- 茜を泣かせた
とにかく、このとき小太郎が茜に対して悪意を持って接していたことは間違いない。
ここで重要なのは、茜は小太郎に対して全く悪意など持っていないのだ。悪いことをするつもりもなく、したとも思っていない。
比良が茜に告白し、それを小太郎が勝手に目撃しただけなのである。
つまり、小太郎が茜に対して悪意を持って接した理由は、純粋に彼の嫉妬心である。
ではこの諍いはどうやって解決されたか。
塾で光明高校の資料を見つけた茜は、それが小太郎のリクエストであることを察知し、小太郎と氷川橋の上で話をする。
小太郎は茜と同じ高校に行く強い決意があることを茜に語る。
それを聞いた茜は思わず小太郎の胸に顔をうずめ泣きながら「ありがとう。うれしい」と言う。
小太郎「この前、ごめん」
茜 「私も、ごめんね。喋れなくて。もう嫌われたかなって」
小太郎「そんなことないよ」
この展開に私は強烈な違和感を覚えた。
まず第一に、小太郎が光明高校の資料をリクエストしたのは川越祭りの前だ。茜はそれを知らなかったのかもしれないが、ケンカの前の小太郎の行動をケンカの後に知って(茜にとっても、視聴者にとっても)何の意味がある?
川越祭りの後の小太郎が茜を変わらず大切に思い続けていることの証明にはならない。
小太郎が光明高校に行く決意を語った場面があるからいいではないかと思われるかもしれないが、そんなことを語るくらいならまず祭りのときのことを謝罪してくれ。
あれだけひどい態度をとっておきながら、謝罪もせずに自分が茜との関係のために努力していることだけは饒舌に語るのは全く好印象が持てない。
第二に、この仲直りの一連で常に茜が先に行動を起こしていることだ。
茜は何も悪いことをしていないのに、小太郎が勝手に狭量な嫉妬心を起こして茜に辛く当たってきたのだ。それを考えれば茜の方から小太郎に愛想を尽かしてもおかしくない。
にもかかわらず茜がリードして関係が修復されるのはどういうことか。
この茜の行動は、言ってみれば小太郎のダメな一面を見ても愛情が断ち切れなくて彼にすがりつづける、不健全な依存ではないのか。
小太郎も小太郎で、茜からの肉体的接触に流されてやっと謝罪の言葉を述べている。本当に悪いと思っているのか。
彼が自分の悪意に相応の報いを受けるか、あるいは反省して謝罪をするのが真っ当な展開であると予想していたので、この展開は悪い意味で予想外だった。
小太郎の狭量な嫉妬心と茜の不健全な依存が描かれた10話は、これまでの清く正しい関係とは一線を画している。
たしかに恋愛は美しいばかりではない。愛と独占欲は表裏一体だ。
しかし1話の中で仲直りまでするというのなら、もっと問題点を明確にしてそれをきちんと解消すべきではないか。
逆にとにかく愛し合っているから多少の問題はなんてことないなどというスケールの大きい話をやりたいのであれば、問題提起から解決まで1話でこなすのは無理だ。
なんとも後味が悪いエピソードだった。
6/18 22:39追記
コメントでの反論は歓迎です。
時間はかかるかもしれませんが必ず熟読してお返事します。