素晴らしかった。以下ネタバレあり。記憶で書くので間違いがあるかもしれない。
監督インタビューでも述べられているが、この作品で最も重要なメッセージは「想像力の大切さ」だ。そしてそれを表現するために、想像力を欠いた世界である「カグヤ星」と想像力に満ち溢れた「ウサギ王国」が対比される。
カグヤ星は進んだ科学技術力を持っていたが、強力な兵器を使った余波で国に隕石が降り注ぎ、光と自然を失った。その後はAI兵器「ディアボロ」が星を乗っ取り人間を支配していた。セリフで説明されただけなので説得力はいまひとつだが、人々の想像力の欠如がそのようなAI兵器の誕生を許してしまったとされている。
ウサギ王国はのび太たちが自らの想像力のままに作り上げた世界だ。「ピッカリゴケ」と「どこでもじゃぐち」によって光と水が供給されている。つまりAIであるドラえもんやひみつ道具(科学技術)はのび太の想像力の具現化のために用いられ、生命を育んでいる。また、自由な想像が必ずしも良いものばかりを産み出すわけではないことが、ウサギ怪獣の出現によって指摘されているのも興味深い。
序盤、のび太たちがウサギ王国で歓待を受けるシーンは挿入歌を使って楽しく「想像力」豊かなアニメーションで描かれている。フィクションの物語をアニメーションで描くということはすでに「想像力」のなせるわざである。のび太たちが想像力を発揮してウサギ王国を創造したことは、アニメスタッフが想像力を発揮してウサギ王国を描くことと対応するし、だからこそこのアニメの(特に序盤の)作画の良さは、そのままこのアニメのメッセージである「想像力の大切さ」を補強する。ドラえもんがディアボロに向かって「想像力は未来だ!」と叫ぶシーンは、このアニメの関わった全てのスタッフからメッセージでもあるのだと思う。
終盤のカグヤ星での戦いでのび太たちは一度窮地に陥るが、そこにウサギ王国のムービットたちがなだれ込んできてカグヤ星の兵士たちを叩きのめすシーンは痛快だ。それはウサギ王国とカグヤ星の戦いであり、想像力によって生み出されたムービットと想像力の欠如によって生み出されたAI兵器たちとの戦いであり、楽しく誇張の効いた動きと不気味なデザインの戦いでもある。「想像力」とキャラクターに言わせるのは容易いが、それが脚本と作画の複数のレイヤーで表現されて説得力を持って伝わってきた。
脚本の技術的な問題は多く、同行者はそれが気になったようだ。「おやつ」がなんなのかイマイチ伝わらない、ノビットが何でもあべこべにしてしまうキャラクターであるということが視聴中はわからなかった、異説バッジの役割がどんどん複雑になる、ディアボロの正体バラシが唐突、特に理由もなく「生命は有限だから素晴らしい」と言い出す(GRIDMANかよ)など。これはおそらく尺の問題だ。キッズ向けで2時間は長いので、もっといろいろなシーンを入れたかったがしょうがなく2時間ということなのだろう。
また、ドラえもんのお約束とは言えのび太やノビットが理不尽にバカにされるシーンやジャイアンが暴力を振るうシーンはあまり好きではなかった。
以下雑感
- 銀髪ケモ耳半ズボン美少年ショタ…銀髪ケモ耳半ズボン美少年ショタ!!正直これで2億点
- 音楽はまあまあ。良かったり悪かったりで全体的にうるさい
- ゲスト声優はディアボロ以外みんな下手
- ルカ役皆川純子は結構いい。低めの苦しそうな少年声を出す人だが、神秘的なルカに合っていた。
- アル役大谷育江はとてもいい。声のパワーだけで天真爛漫さと得体の知れなさを表現できる人だ
- ワープ航法やらデススターやら甲冑の中ボスやら、スター・ウォーズ意識か?
- ウサギ王国創造シーンではコケをちょっと撒くだけで辺りに光が満ちてて完全に聖書の「光あれ」だった。他にも水を無限湧きさせたり粘土をこねて生命を作ったりしているがこれはもはや天地創造であり、ドラえもんの力が神の領域に踏み込んでいることの表現にもなっている(なお生命を作れるのは神と人間だけ…というポケモン映画の予告を思い出して笑っていた)。その力をいつものび太の無邪気な願望の実現のために使わせる『ドラえもん』はそもそも「想像力」を強く信じた作品であり、本作がそこにフォーカスしたのは必然的というか王道なのかなと思った。
- のび太がルカと初めて会うシーン、すすきのなびきやのび太の細かく分かれた髪など美麗
- ウサギ王国の娯楽が人間世界とほとんど変わらなかったけどこれもリアルな「想像力」って感じ
- のび太とルカが2人並んでスペースカートの下に入ってバッテリー交換をするシーンエッッロ
- 月面レースがカグヤ星に見つかるきっかけだったので、これのび太たち月面に行かなければエスパルたちは平和に暮らし続けられたんじゃない?って思ったけど、そもそもアルが月面を出歩いて月面探査車に見つかったりルカがのび太を月面で救ったりしなければ…とも言える。エスパルたちが隠遁生活に飽きてた(あの時点ですでに力を捨てて普通の限りある生命として生きたがっていたことは、ルカがドラえもんに異説バッジの効果を詳しく質問することから推測できる)からどのみち時間の問題だったのかな。レギュラーキャラとゲストキャラが絡むタイプの劇場アニメでレギュラーキャラが余計なことをしなければゲストキャラは平穏な生活を続けられていたのでは?というマッチポンプ問題はよくある。この問題はレギュラーキャラがゲストキャラと絡むことはレギュラーキャラの意志とは関係なく必然であったと説明できれば回避できる。
- 月から帰って気球でもう一度行く展開は冗長だったので「これは誰かが気球で月に行く絵を描きたかったんだな」と思ったらパンフレットで監督が早速白状してて笑った
- スネ夫の「前髪が決まらなくて」は最高。ベストセリフ賞。橋で悩んでいるのもいいよね。橋は境界の暗喩なので、どっちにしようか迷う気持ちを表すのに向いている。水面に月が映っているのもいい
- パンフレットのクレジットには原画も作画監督も載っていない。ひどい
- ルカを鎖で拘束して連れてくるシーンで性的に興奮した
- エスパルたちからエーテルを吸い出すシーンでルカくんの凝った緊縛が見られるかと思ったら普通の培養液的アレでがっかりした。なお緊縛ノルマはルナでクリア(違うだろ!!)
- ドラえもんが最初の二匹のムービットを「アダムとイブ」と呼んでいてもしやと思ったら案の定ムービットがすごい勢いで繁殖してて笑った。ということは成長する体になったエスパルたちもそういうことですね。1000歳越えている割にエスパルたちの言動が幼いという指摘もあろうが、生殖可能年齢の前で成長が止まっているというのは大きいのではないか。参考として『精霊の守り人』(上橋菜穂子)では11歳の男の子はまだ生殖能力にエネルギーを割いていないから(モンスターが卵を産み付けるのに)最高という設定があった。
- ゴダール夫妻が残した宝石にコケが2かけらついていたのが細かいけどいい
- 別れのシーンは感動的だったのかも知れないけど異説バッジの効力について理解が追いつかずよくわからなかった
- 「有限の生命」を賛美する風潮はなぜかアニメによくある。『天元突破グレンラガン』もそうだったが、グレンラガンは螺旋=DNAにフォーカスすることで有限と無限と言うよりはむしろ「世代交代によって変化する存在」と「変化を拒んだ存在」を対比していた。それを本作にも適用すれば、ディアボロは1000年もの間(実際の期間は定かではないが)単一の存在が支配を続けていたためにカグヤ星を復活させることができなかったと言える。描かれはしなかったがウサギ王国には健全に代表者を交代させる制度があって国としての新陳代謝がきちんと行われていたが故に繁栄しているのだろう。