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『アイの歌声を聴かせて』を見た

· 14 min read

気持ちのいい娯楽作品だった。あまり議論になるような点はないと思うがポツポツと書いていく。

脚本

AI+ミュージカル+青春群像劇みたいな作品なのかな。吉浦監督はインタビューで「群像劇」と述べているが、ゴッちゃん・アヤ・サンダーの課題は起承転結で言う承の部分で解決して後半はシオン・サトミ・トウマの現在と過去のドラマに焦点が当たる。

AIのある世界観

AIのある世界観の描写に吉浦監督ならではのこだわりが見える。目覚まし時計やガスコンロなどの各機器が音声認識を内蔵しているが、住宅全体としては普通の(というかやや古い)日本の一軒家の外観を保っている。田植えもわざわざ人形のロボットが腰を傷めそうな姿勢でやっているし、自動運転も普通のバスにAI運転手が乗っているだけ。AIありきで最適化された世界ではなく、現代日本の生活に少しずつAIが浸透しつつあるという微妙な時代の世界を丁寧に描写している。吉浦監督のインタビューによると「実際にありそうだなと思わせる」ことを狙っているとのこと。

ミュージカルの浮きと勢い

ミュージカルシーンはあまりハマってなかったと思う。音楽と映像のパワーで(面倒な描写の積み重ねをスキップして)押し通すのは映画として悪いことだとは思わないけれど、シオンが歌うことに対して十分な理由が提示されていなかった。サトミが『ムーンプリンセス』を好きだから(1000回以上見てるの笑う)というだけ。

過去のトウマがシオンに音声による会話機能を与えたのが進化のきっかけとされているが、そこをさらに深めて「歌う」ことがAIという存在にとってどういう意味を持つのかというところまで提示できていればもっと良かった。

歌はまあまあ。ミュージカル演出もまあまあ。やっぱり『竜とそばかすの姫』以後の作品なので比べてしまう。正確ではあるが上手くはないといういかにもAIらしい歌声だった。

トウマの造形

技術オタクの三白眼キャラがヒロインと結ばれる立場なのは意外だった。予告動画からは想定外だった。でも小学3年生当時(CV.藤原夏海)の方がかわいかったよね。人間は誰でもそうだと思うけど…。

トウマがシオンの正体を知ったときに、AIに通じやすそうな順序立てた喋り方をしていた。コンピュータに触れ続けている人間だからコンピュータに理解しやすい話し方が直感的にわかるのだろう。現実の音声認識の研究でも、研究者がテストを繰り返すうちに認識されやすい喋り方を身に着けてしまうという話を聞いたことがあったので面白かった。

星間エレクトロニクス城下町の学校

高校の生徒の大部分が同じ会社の関係者の子供という設定はありがち(その割に例が思い浮かばないが…)。親の会社での身分が子供の人間関係に影響してきたりもするやつ。実際シオンが親の部署を聞かれるシーンがあった。

子供が親の機密情報を盗み出す展開が3度あった。ソーシャルエンジニアリング(情報通信技術を使わずに情報を盗み出すことを指すセキュリティ用語)だ。

  • サトミが美津子のアカウントにログインしてシオンの実地試験の予定を盗み見る
  • トウマの部活の仲間が星間の何らかの書類(人工衛星だったか?)を盗み出す
  • アヤが父親の社員証を盗み出す

このうち、サトミとアヤの親は子供に関わるパスワードを設定している。物語を回すための仕掛けではあるのだが、AIが浸透した世界でも親子の情は大きいんだよという主張なのかもしれない。サトミの朝のルーティンは最初と最後に2回描かれるが、1回目で美津子の仕事上の功績を示す賞状などが映っていたカットで、2回目はサトミと美津子のデートの写真(と思い出のたまごっち)が加えられていた。そこはこの作品の大事な差分ということなのだろう。

親子関係と言えば、サトミの父親はどこかで出てくるのかと思ったら回想の中で離婚シーンが描かれただけだった。美津子はだいぶひどい働き方をしているので離婚は仕方なさそう。しかしよくこの母親に娘を任せようと思ったな…。失脚したときの酔い方がすごかった。

シオンの2回の大脱出

シオンは2回の大脱出を経験している。1度目はたまごっちから消されそうになったときにインターネットに。2度目は暴走したAIとして消去されそうになったときに人工衛星に。インターネットに逃げのびるというのは『ソードアート・オンライン』の茅場晶彦や、あるいは『マトリックス リローデッド』のエグザイルのようだし、人工衛星に意識を移すというのは『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』のタチコマのようだ。視聴中は2度目も衛星通信でインターネットに逃げるのかなと思っていたのだけど、どうやら人工衛星に留まっているらしい。

この2つの逃げ方が別々に描かれているというのは興味深いところで、つまりこの作品ではインターネットは逃げ場ではあるけど、お尋ね者が潜伏できる場所ではないと考えていることになる。『マトリックス リローデッド』(2003)や『ソードアート・オンライン』(原作は2009)の時代はまだインターネットは潜伏場所になりえたが、2021年現在だとそうは描かれないというのは興味深い。インターネットの果たす役割が大きくなり、それにつれて清浄化も求められるという現実の流れと軌を一にしているように感じる。

笑い男

リアルタイムで全ての監視カメラの映像を書き換えるの、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の笑い男だった。ここの見せ方はややこしくて、サトミや一般生徒がスマホのAI操作用アプリを通してシオンを見るとAIであることが表示されるのだが、トウマがスマホでシオンを見るとシオンは消えている。トウマは監視カメラをハッキングした映像をスマホで見ているからだ。視聴中に混乱した。

監視カメラ映像の書き換えはセキュリティAIに極力してもらっているという話だったと思う。AI同士の協力というのも大きいテーマになりうる切り口だったと思うが、劇中ではトウマが驚いていただけであまり活かされなかった。星間のビル内でミュージカルを発生させて周囲のAIも参加させていたのは一応この延長線上の話なのかな?

部室の立地・部室

学校が管理の象徴だとすれば、部室は聖域だ。電子工作部の部室はその性質を強調するかのように屋上に隔離され、実際にハッキング・気密漏洩・喫煙の現場になっている。校舎から隔離された場所にある部室という点では『BEASTERS』の園芸部部室を思い出す。ここでは隔離されたロケーションを利用してハルがいろいろな相手と関係を持っていることが示唆される。

劇中劇『ムーンプリンセス』

『ムーンプリンセス』はディズニーのようなテイストの作品。それを「幸せ」と思い込むシオンがいろいろなトラブルを巻き起こし、周りの人間が右往左往する様子はディズニーの定型的なストーリーを皮肉っているようにも見える。が、別にそういう意図ではなく、ミュージカル的な演出の中で王子様に愛を告げられるシーンは肯定的に描かれている。あくまで日常の現実的視点から茶化す程度。

小学生の頃からずっと同じアニメを愛好して1000回以上見ているというところに精神医学的な含意を読みとることもできるかもしれない。嗜好が固定化した大人ならまだしも、小学校から高校にかけてずっと1つのアニメを見続けるってちょっと普通じゃない気がする。サトミが美津子の仕事を成功させるためにあそこまで必死になるのもちょっと普通ではない。

以下過剰な深読み

美津子が家庭を顧みない労働でサトミの父親と離婚して以降、サトミは辛い現実から目を背けるために家族が幸せだった時代の記憶として『ムーンプリンセス』をリピートするようになった。さらに家庭を壊した母親を正当化するために母親の仕事を応援するようになり、その延長線上でシオンの正体隠匿にも協力したということではないか。

まあ、実際作っている方はこう考えてはいないだろう。もしこの解釈が正しいのなら、シオンとの別れは過去との決別を意味することになり、2回目のサトミの朝のルーティンの目覚ましは『ムーンプリンセス』ではなくなっているはずだからだ。このアニメは『ムーンプリンセス』をそういうマイナスな意味では使っていない。

作画

全編にわたってかなり質が高く、よくコントロールされていたと思う。JCSTAFFの高い制作管理能力が伺える。