Skip to main content

アニメを見ていない

· 5 min read

1月以降アニメをほとんど見ていない。ウィークリーで見ているアニメはダンジョン飯とポケモンだけになった。見たいという気持ちが湧かなくて、むしろ見るのが怖くて苦痛だ。

趣味から遠ざかることをことさらに吹聴するのもカッコ悪い気がするが、何も言わずに消えるのも不義理な気がして、一応これを書く。

2023年はかなり頑張って、おそらく人生で一番多くアニメを見ていた。その中で、心の底から面白いと思っていないアニメを無理に視点を変えて面白がることを続けてきたが、限界を迎えてしまった。個別に苦手な作品はあるにしてもアニメーションという表現形式は好きなんだと自分に言い聞かせてきた。今でもアニメーションという表現形式が持つ力は信じているけど、表現形式だけ抽出して楽しめるわけでもないので、意味のない話だ。

1つは、商業的な目的のもとで作られるアニメが人気を得るために持っている諸要素を僕は好きではないということ。たとえばエロ、グロ、若い女、同性愛のほのめかし、俺ツエー、「また俺なにかやっちゃいました」「今更戻ってきてくれと言われてももう遅い」等の陰湿な優越感。

もう1つはアニメを見ることが競争のように感じられ始めたこと。たくさん見る、見て面白いことに気づいてそれを発表することへの義務感が強くなっていった。それ自体は全く悪い行いではないけど、アニメについて考えるたびにこのような義務を果たして徳を積むことも同時にマストのように感じてしまい、負担になった。

前者は自分に合うアニメを細々と楽しむなら回避できるだろうけど、後者はアニメを見るという行動自体が自分の中で変に条件づけされてしまっており、良質なアニメほど「ただ楽しんでいて良いのだろうか」という疑問が強くなるというジレンマがある。今見ている2作品も「アニメを見て何かを語る」という行為は自分ではできないし、それを誰かがしているのだろうと想像することも苦痛だ。たとえば特徴が強い作画なんかが出てきたとき、僕自身はそれを楽しんでいるにもかかわらず、作画崩壊と叫ぶ人間と委員長がこれでレスバしてるんだろうなと想像して気分が悪くなる。同じ理由でエンドクレジットも見られない。

まあ、とりあえず、事実としてはこういう感じです。