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『鶏の墳丘』を見た

· 10 min read

7/10

既に多くの人が指摘している通り、話の筋書きはかなりわからないことが多い。と言いつつもホワイトノイズを見せられていたわけではないのだし、むしろわかる断片は間違いなくあった。断片から個々人の感性と照らし合わせて自分なりの『鶏の墳丘』を描き出すことが可能だと思うし、人間がそのようにして「物語」を見つけ出すことに執着するという性質自体もこの作品のテーマの一部であったように思う(だから見当外れなこと書いても恥ずかしくない!)。

どういう話?

人間に近い形をしたロボットたちが社会生活を送ったり戦争をしたりする。各シーンの意図するところは不明瞭で、脈絡なく(作ってる方にはあるのかもしれないが)素早くシーンが移り変わっていく。そのテンポ感についてはこの表現が面白かった。

その社会で作られた映像作品という建付けで4本?の劇中劇が存在し、それらはタイトルも明かされるので意味するところは汲み取りやすい。「画一的な教育」や「スマホによって人間の距離が変えられてしまった」ことを批判的に描いていたのは、素直に受け取って良いのではと思う。また、ロボたちの労働、創作活動、性行為、出産、教育のような日常生活を描いたと思われるシーン、そしてロボどうしが更に大きなロボに搭乗して撃ち合う戦争のようなシーンも多数ある。

メタ物語論?

終盤では、それまで挿入されていた物語の断片のように見える『administratorなんちゃら』『青空のなんちゃら』(すみません、うろ覚え)『穴』などの要素が、人類のあるグループが残した物語ジェネレーターによって作られていたことがわかる。私達がなんだかわからない映像の中になんとかして見出そうと思っていた物語の断片は、そもそも物語の断片たることを意図して作られたものだった。人間が生の事象の羅列の情報量を扱う非効率に耐えられず物語として形式化・縮約しようとする性質を、本当に形式しか持たない「物語」によって指摘している。それは人間の限界を指摘したいのか、物語というものを祝福したいのかは、僕にはわからなかった。

話がストレートに進まずにわからなくなっている(それゆえわかろうと探し始めてしまう)のと同じように、音楽を1音ずつに分割してキャラクターの足音に1音ずつ当てはめているところがあった。そうであるところとそうでないところがあった意味はよくわかっていないのだが、音楽もまた連続する1つ1つの音の間にメロディーを知覚する人間の性質によって成立している芸術である(この性質の強力さは、たとえば音脈分凝という現象にあらわれている)。それは物語が1つ1つの描写の連続に意味を持たせることと同じなので、この作品において音楽がバラバラに解体されるのは一貫性がある。

余談になるが、音楽をバラバラに解体しながらSEとして使うやつ、これですよね。

アニメーションでの触覚表現と異化効果

CGが硬い。ロボットだから材質として硬いのは考えてみれば当たり前だが、動きも生き生きとはしつつもやはり人間とは違うと感じられる硬いものであって、SEも硬質なものが当てられていてプチプチ的な気持ちよさもあった(キャラクターに意味のある言葉のセリフはなく、記憶が正しければBGMも少ないので、すごくSEに意識が集中させられる)。アニメーションは触覚は伝達できないものの、視覚と聴覚の合わせ技でみんな硬い!ということを強く印象付けられた。硬さを強調するシーンとして、実写映像?のハチを触ろうとするロボの手が描かれ、ハチはロボの手は刺せないんだろうなと気付かされるというところがあった。昆虫に指を差し出すというのは人間の日常的な行動に思えるが、考えてみれば人間は柔らかいのでハチに手は出さない。同様にカニロボのハサミが人型ロボを挟んでいるシーンも、人型ロボが押しつぶされている様子がないので、苦しんでいる印象を受けなかった。CGが変形描写を苦手とし硬く見えてしまうことは前々から感じているが、本作はそれを活かしている。

日常における材質の表現に加えて、ロボが破壊されるシーンも過剰なほどロボらしく、破片が変形等しないでバラバラになって飛び散る描き方をされている。もちろん有機物である本物の人間であれば血や内臓が飛び出し、人間があるべき形を失うその落差にスプラッタ的な恐怖を感じるはずだが、ロボが破壊されて粉々に飛び散るシーンにはそのような血なまぐさい恐怖感・嫌悪感は感じにくく、むしろ快楽があった。

材質も動きも人間とはまるで違うロボたちが、人間を模した四肢を持ち人間のような生活を送っている。それを見ていると、ロボがやるとこんなに違って感じられるんだという驚き、これを我々はやっているんだという気味悪さを感じ始める。我々人間はタンパク質で出来た体を見慣れているからなんとも思わないが、人間と全く材質が違う種族が人間の生活を見たら、その肉体感覚にびっくりするのではないだろうかと…。考えてみれば他の生き物の肉体を歯ですり潰して酸で分解して自らの一部とするとか、明らかにデカすぎる頭部を持つ子どもが子宮口の拡張によって無理やり生まれてくるとか、非タンパク質生命体にとって見れば驚天動地の生態なのではないか。

破壊や殺害を楽しまされたり日常生活を気味悪く感じさせられたりと、おかしな感覚を呼び覚まされるというのは、まさに見る価値のある映画だったなと思う。