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『竜とそばかすの姫』における最悪インターネット描写が最高だった

· 10 min read

作品に対する総評みたいなやつは別に書くかもしれない。

最高の最悪インターネット描写

インターネット大好きな僕は大部分のネット住人の描写に対して(悪い意味で)「あるある」と感じたので挙げてみる。

母親の死に対するコメント

これはヤフーニュースのコメント欄、通称ヤフコメのUIがモデルになっていた。ヤフコメはインターネット言論空間の中でもかなり治安が悪い方だ。

母親の死のシーンを見たとき、展開の安直さと、素人の危険な無茶という2点で「いかにもネットで叩かれそうなシーンだな」と思ってしまった。しかし細田は僕のこの反応を完全に予期していて、そのものズバリネットで叩かれるシーンが入った。ここでもう「やられた」と思った。

このような無謀な賭けは勇気を讃えられるよりもむしろ「期待値が最大になる選択をしなかったこと」をもって批判されるのが今のネットの空気だ。ちょっと前なら人情を慮った前者の反応が多かっただろうし(本当か?)、創作物の中くらいは甘えて前者のようなコメントを描いたり、あるいは何も描かなかったりすることもできた。だってそもそも赤の他人が母親の行為をどうこうと評価する必要なんかない。「とりあえずなんか言いたい」というのもインターネットの病気だ。

しかし細田は母親の行動にネットで批判が集まり、それをすずが見てしまうところまで含めて物語に組み込んでいる。インターネットがある世界を妥協なく描いている。

ジャスティス

あくまで自警団であり、Voicesに認められた活動ではないという点は自治厨の多い界隈(いわゆる「腐女子の学級会」)を想起させる。

企業にスポンサーされている点に注目すれば、インターネットの自由もカネの力には勝てないという話につながる。それはGAFAだったり、ネットのいたるところに広告を出すめちゃコミやビビッドアーミーだったり、あるいは巨大市場を背景に「間違った」発言を取り締まる中国のvtuberファンたちかもしれない。スポンサーの中にどこかの国の機関とかが混ざってたら面白いなと思ったんだけどさすがにそれはなさそう(羅小黒戦記の2019年上映時は放送前に中国当局チェック済みという表示があったんですよ。冗談ではない)。

ベルをアンベイルしても特に何も起きなかったのを見てスポンサーが次々と離れていくビジュアルは、広告を剥がされた保守速報だ。さらに広くいわゆる「キャンセルカルチャー」の可視化と言ってもいいかもしれない(ただし自治厨の側がそれを食らうというのは面白い)。

アンベイルが個人に対する攻撃という認識が既に全世界に共有されているというのも興味深い。人は自らを偽ったり隠したりしながらインターネットをしている(だから暴かれるとダメージを負う)というのが前提になっている。米山隆一が黒瀬深を開示請求した話を思い出した。

インフルエンサーたち

FOX(野球選手)

自分の辛い過去を告白しながら人々を励ます優等生ムーブ。いかにもアメリカの社会的地位が高い人っぽい。ツイッターとかで翻訳とともに流れてきそうだし、その後で無断転載bot(フォロワーを稼いでからアカウント売買されるやつ)で繰り返しネタにされそう。

彼の告白動画に対するコメントは「感動した!」「立派だ!」みたいな特に単純なものが多くて印象的だった。YouTubeのコメント欄っぽい。

イェリネク(アーティスト)

これはイメージつかない

おばさん(AmazonとUber Eatsの人)

一番ヤバい人タイプの人。日常的に嘘を発信し続け、一部のリテラシーの高い人には嘘つきだと見破られているが堂々とやりつづけることで一定の影響力を獲得している。「自分は被害者である」という形式の発信が効果的であることを利用し、利益を得ている。

竜は大部分のUのコミュニティからは嫌われているが子供の間では人気がある。これは今で言うとひろゆきっぽいと思った。人々が竜の正体について憶測するパートで脱税してる金持ちという候補が上がっていたはずで、ひろゆきも損害賠償請求を踏み倒している。

竜の知人を騙って知名度を稼ぐ配信者たち

有名人の醜聞がニュースになるたびにYouTubeに投稿される「○○の息子です」みたいなやつね。

最悪をきちんと描くからこそ希望も描ける

最終的に細田守は「それでも誰かとつながって救いになれるかもしれない」という希望をネットに見出している。

細田は寓話の人だから直球で「インターネットは」とは作中では言わない。しかしネットについて物語る上で必要な要素はきちんと現実から拾い上げて、強調して作品に取り込んでいる。その目の鋭さに僕は感服した。この2021年に僕が見たかったアニメだった。

ネットで何億ものフォロワーを獲得しても最終的に達成できるのは2人の子供を救うことだけだった。全然釣り合いが取れていない。この困難さを正直に描いているからこそ、細田の抱いた希望は夢物語ではないと感じることができた。

それにしても細田はなんでこんなにネットに詳しいんだろう。ネットの単純化された人格が寓話を描くのに向いているというのはあると思うんだけど。

僕と『竜とそばかすの姫』

僕はインターネットが好きだし嫌いだ。自由や解放、出会いをもたらすはずだったツールは同時に抑圧・負荷・分断を生み出している。そしてそれはコロナ禍においてリアルのコミュニケーションが激減し、人々の不安が増大することで一層顕著になっている。

どうしてこうなってしまったんだ、もっとどうにかならないのか、そんな思いにピタリと寄り添って希望を見せてくれたこの映画は、まさに「自分のために歌ってくれている」と感じた。