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『未来のミライ』の面白い論考置き場(ネタバレ)

· 6 min read

随時更新する。

尾羽打ちさん

『未来のミライ』超絶大傑作。鳥瞰図を多用して何を見せたいのかと思いきや、自分の起源を見せていく構造だった。俯瞰により観測者の視点を与えるが、ある時に俯瞰で映された人が、天を仰ぎ見て手を伸ばすという、当事者の視点が織り交ぜる。上下の構図が逆転する。必死に生へしがみつく動作に感動。

— 尾羽打ち (@EOSikarosu) 2018年7月21日

『未来のミライ』自転車練習をする芝生という空間と、お父さんと妹がいるベンチとの距離によって生じる隔たり。親に見守られているが、親と別の場所に存在する不安感の提示が上手い。芝生上では、他の子供と触れ合い社会性を身につける場所、他人が見守る中で補助輪なしで走ろうとするという通過儀礼。

— 尾羽打ち (@EOSikarosu) 2018年7月21日

「社会性を身につける」は同意見。「通過儀礼」という言葉は思い浮かばなかった。

『未来のミライ』子供ディザスタームービー。ガキが暴れて物を散らかす背徳さを持つスペクタクルに酔う。その大暴れに批評性を持った、扉の冷え切った断絶が恐ろしい。扉の向こうから聞こえてくる叱り声と泣き声。扉から締め出され外に放り出され、雨に打たれる子供の不憫さ。

— 尾羽打ち (@EOSikarosu) 2018年7月21日

なんでこのシーンで雨が降ってたのか気になっていた。子供は親の支配に服しつつ家の中で暮らすか、さもなければ外で雨に打たれて生きるしかないってことだね。

『未来のミライ』未来のくんちゃん、絶対変な性癖に目覚めてるだろ。取り繕ってるじゃねーよ。

— 尾羽打ち (@EOSikarosu) 2018年7月21日

らぷたんさん

「未来のミライ」感想(ネタバレあり)

くんちゃん・ミライちゃん・ゆっこが同じ目標を達成することで家族のまとまりというものをくんちゃんに教えていく。

この3人組を家族としてみる視点はなかった。確かにゆっこは人間になってるしミライは未来版だけど、間違いなく家族だ。

くんちゃんが好きな電車で東京駅へ行ったり、新幹線でつれていかれそうになったりとくんちゃん自身に焦点が当たってることが分かりやすく表現される。

駅や新幹線はくんちゃん自身から出てきたもの(気づいてなかった顔)。

最後にミライちゃんを家族として受け入れることで、翻って自分自身を見つめ直す構成になっている。

家族としてのつながりを自分というものを認識できるとしても、おとうさんの息子でもおかあさんの息子でもゆっこの餌やり係でもなくどうして「ミライの兄」だったのか。敢えて自分より幼いミライを参照点とした家族関係で自分を定義したのは、守られて愛を与えられるだけでは家族のつながりの本質は理解できないということか。その点「ゆっこの餌やり係」でもいい気がする。でもそう思われては困るからゆっこ人間体はおっさん。