ネタバレは続きの方に書いた。
テレビアニメ1本分程度の尺の短編が3本。テーマ上の連関は一応ある。舞台は全て中国。映像美やら脚本テクニックやら、かなり新海を継承している、というかもはやコピーと言ってもいい。しかしコピーだからこそ、それでも同じにならない部分が際立つのであって、コミックス・ウェーブ・フィルムというブランドの進化のために価値がある作品群だと思う。尋常ならざるメシ作画があってそれだけでも一見の価値がある。 <食>陽だまりの朝食
ビーフンを祖母と2人で食べた幼少期の記憶、毎朝通ったビーフン店で意中の女子の登校を眺めた少年期の記憶が、それぞれあっさりと失われてしまったエピソードとともに回想される。
物語は現代に戻り、ふと都会のチェーン店で食べたビーフンは記憶の味には及ばなかった。そこで祖母の危篤の知らせを受け、急ぎ故郷に戻り祖母の最期を看取った。思い出のビーフン店の片方はまだ経営していたが、そこの席から見つめた初恋の人はもういないし、通っていた中学校も廃校になっていた。
冒頭から異様に反射率の高い水たまりやキラキラした町並みが出てきてなるほどビジュアル面ではかなり新海風を意識しているんだなと思ったら、20代男性のモノローグが始まってそこまで似せるのかと驚いた。内容も都会で物質的には恵まれた暮らしを送る主人公が、特に理由はないが精神的には追い詰められているというもの。
圧倒的な、というか異常なディテールで描き込まれたビーフンの調理風景(このためだけに見に行く価値がある)に合わせて、主人公のシャオミンが故郷で食べたお気に入りのビーフンのこだわりの調理法を語る。それが人生に疲れたというモノローグと同じテンションなので、お前はゴローちゃんかと笑ってしまった。
筋を要約すると「祖母を看取るために故郷に帰って思い出のビーフン食った」というだけの話であり、全編にわたるモノローグでいろいろと心中は説明されていたがほとんど覚えていない。実写畑のイ・シャオシン(易小星)監督が自らの体験をもとに作ったというこの作品は、主人公が成長したというわけでもなければ世界が救われたというわけでもない。都会に暮らす主人公が「食」を媒介にして故郷の田舎を回想し、最後にそれらの思い出が過去のものになったことを確認するというほの悲しい、叙情的な作品である。新海をリスペクトした精密かつ美化された背景は都会と田舎の空気の違いを雄弁に表現していたし、室内楽風味の小編成の音楽がパーソナルな感情への集中を促していた。「新海誠が作った孤独のグルメ」という呼称は広めていきたい。
<衣>小さなファッションショー
イリンは人気のモデルであり、ファッションを学ぶ妹のルルと2人で暮らしている。業界での名声は高く、イケメンの彼氏がいて後輩にも慕われている。しかしモデルという仕事の目的を見失っていた。イリンは後輩に仕事を奪われたことをきっかけに自分が若さを失いつつあることを意識し、ルルやマネージャーの心配も無視して体型維持のために無茶な生活をするようになる。それが祟って大事な仕事の最中に倒れてしまった。モデルを辞めようと思ったイリンは軽い気持ちでルルに「服飾のことを教えて欲しい」と言うが、それは姉に経済的な負い目を感じつつ本気で服飾を学んでいたルルのプライドを傷つけるものであった。しばらくルルと気まずい日々が続くが、マネージャーの手回しでルルの作品で突発のファッションショーをすることになり、初心に返ったイリンはモデルの仕事を再開することを決意した。
なかなか難しい、率直に言って3作の中で一番退屈な作品だった。もちろん悪い作品ではないのだが、技法面で新海をなぞっているというわけでもなく、ストーリーにすごいオチがあるというわけでもなく、特筆すべき点が見いだせない。伏線のようなものは随所に仕込まれているものの上手く活用されていたとは言いがたい。強いて言えばマネージャーのスティーブ(オカマ; CV.安元洋貴)が声・作画ともに遊び心をもって描かれていた点か。なお同行者は百合を嗜むので聞いてみたら、アリらしい。
<住>上海恋
一人暮らしを始めたリモは荷物から、そこにあるはずのないカセットテープを見つける。それは中学生の頃に幼なじみのシャオユと交換しながらメッセージをやり取りしていたテープだった。2人の人生の分岐点にさしかかる直前で渡されたテープを、リモは聞いていなかった。今すぐ聞かなければという思いに駆られたリモは、カセットテープの再生機器を求めてマンションから見える石庫門(中国の集合住宅の建築様式)の中にある祖父母の家に向かって走り出す。そこはかつてリモとシャオユが幸せな時間を過ごした場所でもあった。
思い出の場所を走りながらリモは中学時代を回想する。シャオユは親に進学校の受験を命じられた。リモは親の言いなりで志望校を決めたシャオユとそれでも一緒にいるために、シャオユには秘密で同じ高校の受験を決めた。しかし一方のシャオユはリモと離れないように受験でわざと失敗することを決めていた。そのメッセージを吹き込んだカセットテープはリモのもとに届けられるが、シャオユに追いつくために猛勉強中のリモはそれを聞かず、存在すら忘れていた。結局リモは合格して石庫門を去り、不合格となったシャオユと離れることになった。
舞台は現代に戻る。リモはかつてシャオユとともに過ごした祖母の家で過去のシャオユのメッセージを聞き、涙する。数年後、石庫門を保存して観光ビジネスを営むリモのもとに、留学から戻ったシャオユが訪れる。
シャオユの気持ちを知らないリモと、リモに気持ちが届いていないことを知っているシャオユ、そしてシャオユの気持ちを無視していたことに気づいたリモという重層化されたすれ違いが時間を超えて解消されるという構成はまさに新海節を感じさせる。テーマは『住』であり、場所をベースにした回想がリモの職業(建築家→観光ビジネス)とも絡み合い、見事に全体を統一している。今こうしてあらすじを整理することですごい作品なのではと思い始めた。
中学時代の交流の描写は素直で、新海らしい屈折は感じなかった。小道具としてカセットテープとテープレコーダーが使われていたが、これは世代によっては理解できないだろう(同じテープ上に連続して新しいメッセージを録音できるという性質が)。舞台としては歩道橋が繰り返し用いられた。階段を登るとか、狭い場所をすれ違うとか、道路から見上げるとか、様々な使われ方をしていて面白かった。
小ネタ
- 『陽だまりの朝食』で中学生同士の喧嘩でナイフで足刺すシーンとかあって中国怖い
- 『上海恋』で教室に中国の国旗が飾ってあって、日本ではないなと思った
- プロローグとエピローグは大した内容はない。プロローグが空港で『陽だまりの朝食』でも飛行機移動のシーンがあったので、3作とも空港を利用するシーンがあってプロローグは偶然タイミングが一致したシーンを描いているのかなと思ったが、そういうわけではなかった。
- ED曲『WALK』(ビッケブランカ)は好き。
- パンフレットは一般的な劇場アニメのものよりだいぶ劣る。クレジットは公式サイトと同じくらいしか載ってないし、紙面が狭いので情報量も少ない。800円は高い。
- ジェネリック新海は普通に面白かったのでジェネリック細田もやろう。ジェネリック宮崎はもう足りてる。