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· 8 min read

郊外の鳥たち

6/10

TLで大評判だったので見てきた。

「こういう話だった」と言えるような明確な起承転結はない。大人のパートと子供のパートが相互に曖昧なイメージの連関でつながりあっている。もしかしたら、つながっているという言葉すらも強すぎで、磁力のようにじんわり引き合っていると言うべきか。こういう映画も作れるんだなあという驚きがあった。

僕が好きだったのはどちらかと言えば大人のパートだ。カメラの使い方が独特で、ある程度距離を取った場所にカメラを置いて、その位置は固定したままゆったりとしたPANやズームによって人物の動きを追っていく。ハンディカメラのような臨場感はないが、固定カメラのような被写体と切り離された窃視感や背景の空間性を排した演劇感があるわけでもない。

この映画をこういう風に見る人どのくらいいるのかよくわからないんだけど、測量チームの4人組が結構好きだったんだよな。仕事上の遠慮のない言葉、仕事の中でも少し遊びのある会話、そしてオフの食事の仲の良さそうなコミュニケーション。会話の流れを作るために飲み物を注いで乾杯を発生させるとか、うっかり瓶を倒しちゃったときの反応とか。課長いい人だよね。中国語のイントネーションが激しいので会話を聞いていて退屈しにくいというのもあるのかもしれない。

測量という題材も興味深かった。端正なレイアウトにこだわる大人パートなんだけど、視聴者には水平・垂直に見えているレイアウトが、測量してみると実はズレているかもしれない。画面に見えない恐怖を描くという点で、これはホラーに発展する余地すらあったなと思う。だから、この4人が地盤沈下の原因を探っていく謎解きの話に展開していっても面白かっただろうな。

子供のパートは人数が多くて、僕は特に映像作品の顔認識が苦手なので混乱した(ハオ・太っちょ・黒炭・じいさん・ティン・きつねがメインだけど他にもいたよね?)。太っちょとハオの関係はどうだったんだろう。2人でベッドに入ったときに、布団の下でなにか激しく動いているカットがあったけど、それは「そういう」含意があったのかもしれない(無いと言い切れないよね、この作品)。

クソオタク的なメモをしておくと、廃バス→『電脳コイル』『僕だけがいない街』、廃団地→『雨を告げる漂流団地』。

パンフレットのページ数が多くて良かった。難解な作品だけにいろいろな見方が可能だろうが、非常に多くのインタビューやレビューが載っていて勉強になった。場面写も子供パートと大人パートの関連がわかりやすいように編集されている。

らくだい魔女 フウカと闇の魔女

6/10

60分の尺に占めるアクションシーンが多くてコスパ(?)が良い。魔女という題材上肉弾戦はないが魔法の撃ち合いは派手で、橋本敬史のエフェクトを大量に摂取できる。キッズアニメ特有の光と闇概念(光の何が良くて闇の何が悪いのかはあまり説明されない)とか、「仲間」推しとか、脚本的には詰めきれてないかなあという印象もあるが、一方でタイプ違いのイケメンキャラとかませてる友人とか、女児向け児童文学のお約束はきちんとクリアしていてそうそうこれだよ!という満足感もあった。出自とのギャップから失望されがちなフウカがメガイラを理解し、それによって和解に至るというエンディングには納得感があった。

作画が良いなと思うシーンが多かった。タイトルアバンの登校風景、説教→フウカ自室→禁固の部屋のレイアウト、メガイラ遊園地入口でのリリカとの対面〜鏡の迷宮の前半の芝居、メリーゴーランドに乗っての空中戦〜チトセの箒に相乗り、メガイラの玉座の間?での攻防、暗黒空間からの脱出。EDもかわいくて良かったね。1本の映画にするならバトルで山場が作れるこの話になるだろうけど、テレビシリーズでのんびり学生生活やってるのも見てみたかったね。制服がかわいいので。そういう「あり得たエピソード」を見せて視聴者の想像を広げられるのはいいEDだ。

チトセくんは途中まで体張るシーンばっかりで魔法使ってないじゃんと思ってたんだけど、フウカを救うところで見せ場作ってきて良かったね。しかしこれは、その筋の人にとっては「百合の間に挟まる男」に該当するのでは…?と心配になってしまった。

· 7 min read

10/10

原作を読んでないと若干飛躍を感じるところがあるので「完璧」とまでは言えないんだけど、考えれば考えるほど全てがいい作品だったなあと思えてくる自分の気持ちにウソはつきたくないので10点出しちゃいます。

CGの質が高くて驚いた。一般にCG(+モーションキャプチャーかな?)は動きをリッチにし複雑なカメラワークを破綻なく実現できるメリットがある。一方で弱点は変形で、それが表情芝居の硬さや物体の接触時の違和感につながる。しかし本作ではこの弱点を(おそらく膨大な手作業による修正?によって)克服している。10人が目まぐるしく移動するバスケの試合をほぼ実時間で表現するためにはCGは必須だったが、加えて試合中に細かく展開されるキャラクター同士のコミュニケーションや、激しいプレイのぶつかりあいなども違和感なく描かれており、エピソードの100%の魅力を引き出すために必要な努力だったなと感じた。技術の方向性とやりたいことが一致している作品を見るのは気持ちが良い。演出の宮原直樹がパンフレットのインタビューで「アニメ映画という括りを越え、スポーツ映画のスタンダードとなる可能性を持った映像」と語っているが、その通りだと思う。まあプロジェクトとして動き出したのが2009年とのことなので、13年もかけられる作品はそうそうないだろうが…。

予告を見たときに割と否定的な感想を持ったんですが、全くそんなことなかった。「俺達ならできる」は目まぐるしい試合との対比の静寂のシーンであるというコンテクストがないと理解できないし、その他の試合のカットも前後の流れがあると見え方が全然違った。

試合以外では2Dアニメーションの方が多かったかな。事前のイメージより多かった。井上俊之が来ていると聞いていたので気にしながら見ていたけどどこだかわからなかった。どこも劇場アニメーションとして満足できる水準だった。特に記憶に残っているのは冒頭の未清書の鉛筆線の歩き、少年リョータの崖登り、長尺俯瞰ケーキ切り、海岸を走るリョータ、桜木のダイブ後の観客の反応、ラストシーンで走ってくるアンナ。まあ明らかに井上俊之だなとわかるのは作品にとってはあんまり良くないことだと思うので、上手く紛れて良い作画をしてくれるのが視聴者としては一番嬉しいかな。

原作は未読。ストーリーは試合の間に回想が挟まれる、スポーツアニメでよく見る構成。家族の死を経験し、それを否認していたがやがて受容するという流れは典型的なものだ。かつて9歳のリョータに比べれば12歳のソウタは大きくて頼もしかったが、12歳で時間が止まってしまったソウタよりも17歳のリョータの方がさらにがっしりと頼もしく成長しているという反復と差分の演出が良かった。ストーリーのテーマを絵として納得できる形で表現するのは大事なことだ。

湘北も山王も全員魅力的で見せ場があったのが良かった。山王は坊主頭なので判別は難しかったけど…。序盤は顔合わせでお互いの強みを紹介する流れ。後半は河田の存在感と沢北のクールな強さ、それに対して「そんなタマじゃねーよな」と「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ」のシーンは痺れるカッコよさだった。桜木が漫画の主人公なのは知っていたが、全員超かっこいい動きをしているなかで桜木だけはギャグテイストの動きも混ざっていてそれも面白かった。

なんというか、僕なんかがどこが良かったとかそういう話をできるアニメではなかったな。全部なので。面白い原作を高い技術でアニメ化した結果当然に面白いという、横綱相撲アニメ。見ると良いと思います。

· 16 min read

かがみの孤城

9/10

毎回「最高だった」とか「非常によかった」とか書いてると言葉のありがたみが薄れてどんどん強烈な言葉を使わなきゃいけなくなるので、数字で点数をつけることにする(これもインフレしていくかもしれないけどw)。

ストーリー

原作は未読。思春期の中学生の傷つきやすい心にフォーカスしつつも、「学校が全てではない」「いつの時代も中学生なんて似たようなもの」「時間が経てば大人になってどうにかなる」という一歩引いた目線でのメッセージも含まれている。アニメは中高生に寄り添ってその心を純粋に儚く尊いものとして描くことが多いが、本作のバランスの取れた立場は好き。真田とか最後までフォローなく嫌な奴のまま終わったのもすごいよね(心を通して視聴者には嫌な奴に見えてたけど、視点が違えば印象も違うんだろうなと)。

今更本屋大賞の原作の良し悪しなんか語る必要ないと思うけど、謎がどんどん解明されていく密度とスピード感も良かった。後から思うとそうだったんだなという。さすがにこれだけ時代が離れると話してて気づくだろって思わなくもないけど、そうならなかった理由もまあ納得できる範囲内。

演出

原恵一の精緻なコントロールが良かった。前半は劇伴少なく、カメラもほとんど動かさず、繊細な表情芝居作画と声の演技に委ねている。演出によって視聴者の解釈の方向性を示しすぎないことで、キャラクターの行動や、それが周りにどう映るのかということを視聴者に考えさせ、ウレシノの爆発を視聴者に突きつけることができた。ちょっとした言葉や行動がきっかけになって、バカにしてもいいという「空気」が醸成されていく理不尽さを上手く演出したと思う。

物語が進むにつれて演出はだんだん派手になっていくが、そのペース配分も見事だった。音楽家がピアノとフォルテを巧みに使い分けて音楽を組み立てていくような、ピアノの重要性を理解した全体感のある演出だった。どれだけ大きい音を出せるかの勝負みたいな時代だけど、こういう演出ができる人間がいて、アニメを作ってくれるのはありがたいことだなと思った。

作画

井上俊之は城に来たところ、松本憲生は階段登るところだと思ってたんだけど、パンフレットの佐々木啓悟のインタビューではそれぞれ違う場所が挙げられていた(わざわざこの2人の担当パートを質問するインタビュアーはニッチ層の需要をよく把握している)。城に来たところは井上俊之じゃなかったかもしれないが(パンフレットに掲載されている原画の指示文字の筆跡も違う)、階段登るところはやっぱり松本憲生で単に挙げ忘れじゃないかなあ。『君の名は。』の担当パートと似ているので。井上俊之の確定した方のパートは、なるほど、『地球外少年少女』っぽいな…と思った。ある程度見てると、超一流アニメーターでも結構自分の作風をいろんな作品で使いまわすんだなと思うよね。そのキャラクターではなくてそのアニメーターの演技に見えてきてしまう。アニメ見すぎは良くない。

それ以外も全編通してかなり上手い。派手なアクションがあるような作品ではないけれど、キャラクターの表情芝居が繊細。あと見せ場で1コマを使いたがるのは原恵一の趣味なのかな。

金の国 水の国

3/10

あまりおもしろいと思えなかった。「スケールが小さい」「意味がない」と思うところが多くて、見る意味を感じられなかった。

2つの国を巻き込む大立ち回りかと思ったら城の中のあるエリアから別のエリアに逃げ込むというすごい小さい規模のかけっこに終始し、成り行きで王とピンポイントでお話して話術とカウンセリングで解決というのは物足りなかった。サーラが王を信じる心がミソだったわけだけどそもそもサーラと王の関係はほぼ描かれてなかったのでどうでも良かった(そもそも王がどうでも良くない…?)。

レオポルディーネはいいキャラだったのにクライマックスに向けて何の役割も演じなかった。ナランバヤルやサラディーンが国交樹立に先駆けて設計を始めるのも「いや国交樹立が先だろ」と思ったし(50年かかるなら数ヶ月前倒ししたって誤差だろ)、サーラとナランバヤルが別行動をしているパートでも離れていることや互いのことを想うシーンがあまりない(特にナランバヤル)ので橋のシーンも盛り上がらなかった。サーラの「この国の全ての水がお酒でも飲み干してみせます」みたいなセリフは面白かった。

クオリティ面でも、特に冴えた演出があるわけでもなく、作画も劇場に通常求められる水準を下回っていて見せ場も全くないのでかなり不満だった。というかこの不満が全てを悪く見せた可能性すらある。サーラの回想で城内の姉のカットだけちょっと上手かった。背景は良かった。ナランバヤルがスープの鍋をかき混ぜるカットは意図が全く不明で怖かった。

BLUE GIANT

9/10

大は天才で迷いがないので観客としても大が言うことを信じてついていくことができる。彼が才能でいろいろなものを乗り越えていくのが気持ちいい。すごく単純化すればそういう話だった。

繰り返される「ジャズのグループは永続的なものではない」というセリフで暗示されるように、JASSの3人は同じスピードで歩める3人組ではない。玉田が未来にジャズを辞めているようなインタビュー映像が中盤から入っているし、雪祈も最初に大の音を聞いたときに圧倒されて涙を流している。大は仙台から外国へ吹き抜けていく一陣の突風であって、東京もJASSも通過点に過ぎない。

最初に会ったときに雪祈が今のジャズはダメだと言う一方で大は「これまでジャズをつないできてくれた人」への感謝も持っている。大にとっては、天沼に言ったように「ジャズはジャズ」であって「今の」ジャズという区分すらないのだろう。初めは大の知識の浅さの表現かと思ったが、むしろスケールの大きさだった。

東京の大都会としての側面と古くて汚い側面を両方描き出すような荒い情感のある背景が良くて、そうそう東京ってこういう場所だよねと再発見させられた。高架道路には車がたくさん走っているけどそのすぐ下には大音量の練習も迷惑にならないような空隙がある(スカイツリーに抜かされた東京タワーにも良さはあるもんね)。東京には大きな駅やきれいな店があるけれど、JASSの居場所は高架下や深夜の道路工事バイトや狭くて汚い下宿だった。彼らの演奏も大観衆に向けてのものではなく、So Blueにたどり着いてもなおわざわざ来てくれたコアなジャズファンたちに向けてのものだった。音楽のメインストリームではなくなっているジャズは大都会東京の陰の領域とパラレルであり、だからこそ古くて汚いものを魅力的に描く美術の力はこの作品の縁の下の力持ちだったのかもしれない。

演奏シーンの迫力もすごい。原作者は「妙なイメージを入れない」とインタビューで述べているが、確かに現実空間で演奏する人間、楽器、聴衆を描く演奏シーンだった。その制約の中でシュウ浩嵩がリードしたであろう光や色、タッチ、縦にぐるりと回り込むような奇抜なカメラワークなどの多彩な表現(「サイケデリック」に片足を突っ込んでいた)によって、演奏の場の熱量が高まっていくことを表現していた。演奏者の動きを正確に表現するためにCGも使われていた。作画に比べると動きが硬く、なんか肩幅も広くなってるような気がしたが、これも表現の幅かな。

原作からのストーリーの再構成は、うまくやっていたと思うが完璧ではない。これはもう原作付き劇場アニメの宿命なのでとやかく言うつもりはないが…。各キャラの出番がコンパクトに圧縮されているうえにアニメ的な誇張が少ないキャラクターデザインなので人物の判別が難しかった。豆腐屋が誰なのかは見終わって調べるまで理解できなかった(しかも理解できないとストーリーの流れも途切れるのでこれは結構辛かった。みんな初見でわかるのかな)。最後の演奏シーンでいろいろな人の顔が映るけど半分くらい誰かわからなかった。雪祈の幼馴染とか大の兄とかいたのかな?

あとずっと練習場所にされていたTAKE TWOのアキコさんは「うちでライブして儲けに貢献しろよ」とは思わなかったんだろうか…?

業務連絡

ツイッターのライフログとしての信頼性が低下しているのでマストドンに移行しました。

https://mstdn.minnanasi.net/@min_nan_a_si

私は何気ない日常的なツイート、ちょっとしたアイデアのメモ、そして実況、それら全てが文化的な資産であり後世に保存すべき遺産だと思っています。然るに現在のツイッターは経営面・技術面ともに不安定で、「保存」の目的を達成できるか不安があります。具体的には、ツイートの検索と自分の全ツイートのダウンロードがある日突然使えなくなったら困ります。

近況報告

今期テレビアニメはそんなに見てないです。満足度が高いのは文句なしにウェルメイドな『ツルネ』、関係が深まり初めてラブコメとして一番面白い時期にある『長瀞さん』、河西健吾くんの名人芸がたっぷり楽しめる『久保さん』。そしてアニメスタッフに感謝しているのは『冰剣』と『人間不信』。どちらも隅々に至るまで画面を面白くしよう、視聴者を楽しませようというホスピタリティが感じられて、かたじけない。

· 31 min read

はじめに

すみません。10選と言いつつ、本当に良いと思えるショタは10人揃わなかったので7人+エピソード賞+番外+作品賞で許してください。もともとのレギュレーションをリスペクトすべきかと少し思ったけど、もう全然違う趣旨なので別に似せられても嬉しくないだろうなと…

それでは、お楽しみください。

過去分はこちら

エピソード賞: 『アオアシ』20話

©小林有吾・小学館/「アオアシ」製作委員会

  • 冨樫慶司(CV:小松未可子)
  • 黒田勘平(CV:堀江瞬)
  • 朝利マーチス淳(セリフなし)
  • 本木遊馬(CV:藍原ことみ)
  • 竹島龍一(CV:村中知)

冨樫とエスペリオンユース昇格組の確執の原因が描かれる小学生時代のエピソード。目の前の試合よりもプロ入りのために評価を積み重ねることを優先する黒田、無意識に同じ価値観を内面化していた竹島、そしてそんな価値観を真っ向から否定する冨樫。さらに黒田の極端な姿勢を一歩引いて眺めるような朝利(眠そうな顔がかわいい)、飄々とした本木も描かれており、本編の人間関係の把握に一層の深みを与えている。

声優の配置も絶妙。ヤンキー成分の入った直情的な冨樫には張りのある声の小松未可子。小学生の頃から完成された(凝り固まった)価値観を持っている黒田には本編と同じ堀江瞬。変えないという選択にも意味を持たせていて見事。両対応できる堀江瞬の声質にも助けられている。竹島はこの回想で最も複雑な心情を辿るキャラクターで、物事を器用にこなせているという自信が冨樫によって崩されていく。少年役の経験豊富な村中知が不安感なく演じてくれた。

作品紹介

『アオアシ』はサッカーアニメ。主人公・青井葦人が天才的な視野の広さを活かして、高校のユースチームで才能を開花させていく物語だ。特にマクロなサッカーの戦術を丁寧に見せる作風で、私のような素人にもサッカーの面白さが伝わってきた。制作のIGは伝統的にリアル系の作画を得意としており、サッカーの作画が上手いところが多くあった。恋愛要素は散発的であまり流れがわからなかった。

キャラクター10選(放送時期順)

中海修滋(プラチナエンド)

©大場つぐみ・小畑健/集英社・プラチナエンド製作委員会

CV山下大輝
年齢13

2クール目から登場したので見逃しそうになった。家庭環境からやさぐれてしまって赤の矢で自殺幇助して回っていた。徹底的にダウナーなキャラかと思いきや巨乳のお姉さんを見て取り乱したり、天才米田に心酔したり、なかなか見所があった。男はガタイがいいキャラが多かったので、小さくて丸っこいフォルムは際立っていた。

最終話では姿が大きく変わって声も完全に大人のものになるんだけど、違和感なく演じられていた。高音系男性声優は低音側に演技を広げるのは結構できるんですよね。

作品紹介

次の神を選ぶゲームが開催され、参加者がそれぞれの死生観を賭けて戦う。のだが、現実世界でもなかなか説得力のある答えを出せないテーマだけに、作中で各キャラが掲げる信念も借り物のようで、この作品ならではの到達点は示せなかったように思う。キャラ作画は美麗で、終盤は黄瀬和哉(!?)による美麗を超えて異様に力の入った迫力のある絵が楽しめる。

セービル(魔法使い黎明期)

©虎走かける・講談社/魔法使い黎明期製作委員会

CV梅田修一朗
年齢16?

公式で巨根設定のキャラクター。でもクドー(トカゲ)とホルト(女)がそう言ってるだけだから客観的にどうなのかは不明(そもそもヒトペニスって身長比で大きいらしいので)。謎に肩まで見せる服を着ている。ダウナー系だがかわいい女に囲まれてまんざらでもなさそう。

作品紹介

若者たちが村で魔法の修行をしながら戦ったり仲良くなったりする話。『ゼロから始める魔法の書』のボーナストラックのような内容で、メインキャラの素性が前作につながってなるほどー!ってなるタイプのアニメだったので、あまり単体としての話の広がりはなかった。キャラクターの掘り下げは丁寧にやっていたと思う。クオリティはまあ、手塚プロダクションですね…(でも『まめきちまめこニートの日常』はいい塩梅に作れていたので適性ってものがあるよなあ)。

アダム(インセクトランド)

©ARANCIONE/インセクトランド製作委員会

CV泊明日菜
年齢成虫

インセクトランドに移住してきたホタル。気持ちがたかぶると意思に関係なく光ってしまう。主人公らしい牽引力のある性格ではなく彼自身がメインを張る回はあまりないが、素直な心でインセクトランドの住人たちと交流していく。

泊明日菜は僕はこの作品で認識してすごく良い少年役だなあと思ったんだけど、一流のショタアニメ視聴者はパズドラ(2018)から認識していたのかな。調べてみるとメイン格は少ないが少年役の経験はかなりあるらしい。

作品紹介

『インセクトランド』は香川照之とロマン・トマによる絵本を原作としたNHKの短編アニメ。昆虫の生態がキャラクターの個性に落とし込まれており、自然の奥深さについて学びながら楽しめる。キャラクターはおそらく3DCGだが、2Dのノイズフィルタ?を載せることで背景と上手く馴染んでいる。香川照之の不祥事により22話までで放送休止となり再開されていない。ちなみにナレーションは櫻井孝宏。もう無理だゾこれ…

夜守コウ(よふかしのうた)

Ⓒ2022コトヤマ・小学館/「よふかしのうた」製作委員会

CV佐藤元
年齢中2

文字起こし置いときますね。

恋愛経験はないが好みはおっぱいがデカいタイプ。エロ本は持ってないが携帯にはその手の画像をときどき保存してのちのち恥ずかしくなって削除するも後悔、という流れを繰り返す。初めての精…

(最後のセイが「精」なのは字幕で確認した。「初めての精通」と言おうとしたのならそれは重言なのだが…)

キャラクターデザイナーの異常なこだわりによってめでたく乳首が実装された。そんなことある!?(ありがとうございます)

今年の体液美味ショタの双璧(もう片方はヴェルメイユ)

作品紹介

なんとなく学校に行けなくなった夜守コウが深夜徘徊してエッチな吸血鬼のお姉さんとデートする話。なんだけど早々にネタ切れして同級生とか吸血鬼仲間とか出てきて、それもあまり面白くはならなかったかなあ。中学生の自意識過剰なポエムとシャフト風の妙な演出と異様な色をした夜の街の雰囲気は良かった。

熊谷航祐(雨を告げる漂流団地)

©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

CV田村睦心
年齢小6

サッカー少年。いかにもコロリドが好きそうな素直になれない思春期の入口。なんだけど君たち本当にショタ好き??って思うくらい作中ではめちゃくちゃ危ない目にあってボロボロになっててすごい。脚本の出来が微妙でイマイチキャラとして愛せるところまではいかなかった。悲しい。

作品紹介

以前のブログ記事を参照。

宇崎桐(宇崎ちゃんは遊びたい!ω)

©2022 丈/KADOKAWA/宇崎ちゃん2製作委員会

CV三瓶由布子
年齢17/高2

花の弟。父親はフィジカルバリバリのスポーツトレーナーだが彼自身は髪色も顔立ちも完全に母譲りで、体格も運動能力もそれなり。真一に水泳で負け、おまけ巨根を見せつけられて心に深い傷を負う。『うざい先輩』もそうだったけど主人公の魅力を身体的な屈強さ(シンボルとしての陰茎を含む)によって担保し、それを引き立たせるためにフィジカル弱者を配置するという数学によって生み出された不憫な子。

作品紹介

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』は『宇崎ちゃんは遊びたい!』の2期。1期は花のキャラクターが好きになれなかったが、2期からは周囲のキャラクター(特に宇崎家)の描写が充実して楽しくなってきた。佐々木純人氏得意のギャグ演出。ちなみに全13話中11話で制作協力のクレジットがある。

ニール(万聖街)

©FENZ, Inc. / Tencent / TIANWEN KADOKAWA

CV山下大輝
年齢16

悪魔。人間の暮らしに憧れて地獄(なんと作中ではオーストラリアが地獄ということになっている。マジかよ)から人間と異種族が共生する万聖街に来た。とにかくかわいい。デザインも表情も仕草も声も全部かわいくてすごい。キャラクターの配置としては周囲を多種多様な異種族(男)に囲まれていてBLの風合いもあるのだが、彼は天使の女の子に恋している。その描写も割とちゃんとしていて、やはり中国アニメはお約束で済ませるところと力を入れるところのバランスが日本アニメと微妙に違って面白い。原語だとここまで声は高くない。山下大輝を信じろ…

作品紹介

天使、悪魔、吸血鬼、狼人間などの多種多様な種族がルームシェアしてドタバタするというコメディ。あの『羅小黒戦記』の寒木春華動画技術有限公司の制作で、ギャグのテンポや端々の芝居の丁寧さ、デッサン能力の高さ、ケレン味を重視したアクションのカメラワークなどが優れている。中国アニメってどれもキャラデザがすごく良いよなあって思うけどそもそも海を超えられる中国アニメはトップオブトップなんだろうなあ。

番外 これもうショタってことでよくない?賞 リンドウ(CV:小原好美)―『くノ一ツバキの胸の内』

©2022 山本崇一朗・小学館/製作委員会の胸の内

ちんちんない証明としてあれは不十分だと思う。僕はまだ信じてない。というかこのアニメ全部ショタで作ってください(懇願)

真面目な話、そろそろ小原好美の少年役はあって良くないですか?田村奈央だって『ヘボット』やったんだしさ。

作品賞: 4人はそれぞれウソをつく

©橿原まどか・講談社/製作委員会はウソをつく

  • 剛(CV:潘めぐみ)
  • 半蔵(CV:広瀬裕也)
  • 男になった関根(CV:斉藤壮馬)

リッカが超技術で事件を巻き起こし、関根がツッコむふざけたギャグ展開が基本フォーマット。しかし剛と翼の入れ替わり問題は『中学生日記』(ほとんど見たことないけど…スミマセン)のような、じっとりとした性と人間関係の問題を内包しながら少しずつ前景化し、クライマックスにつながっていく。その構成とバランス感覚もまた見事だった。

そこにある性への丁寧かつフラットな視線

©橿原まどか・講談社/製作委員会はウソをつく

そもそも性的な事象を題材にすることが多い。そこでは性を単純に欲求の解消という文脈で捉えるのではなく、割とフラットにネタにしている。もちろん娯楽作品なので程度の話なのだが。

1話で千代が返り血を「月のもの」と誤魔化すところから始まるすれ違いの小ネタ(1話ですよ!?)。

4話では剛が水着の女性のグラビア写真の「用途」を何も知らないリッカに問い詰められたり、それが千代に似ていると見せつけて困惑させてしまう。男の自分と他人の感覚が違うことをなかなか理解できず、しかし千代を傷つけたことにはショックを受け、思いつめて「学校をやめる」とまで言い出してしまう。それをちゃんと説明してやる関根はいいやつだよね。これは自身の記憶に照らして、中学生の頃は感覚の違いを想定せずに無神経なことを言ってしまうことがあったなあと納得したし、真面目だと思った。

後半では剛が本当に女になってしまい、プールで急に男に戻る。原作では股間の膨らみが復活する様子がはっきりと描かれていたらしい(未確認)のだが、アニメでは隠されていた。原作よりもアクセル踏みこんでる印象だったけどそこはアウトなのか…

関根(男)の破壊力

©橿原まどか・講談社/製作委員会はウソをつく

9話ではリッカのせいで他の3人の性別が逆転してしまう。ここでの男版関根はかわいい顔に斉藤壮馬の声がついててかなり最強構成に近い(『ハルチカ』か!?)。学ランのボタンを外してるのもめちゃくちゃ良くて、「いい子」ではないんですよね。身体的にはまだ子供っぽい細さ丸さがあって、でも年齢相応に少し服装を崩してみるところがあってね、こういう大人ぶってるキャラに斉藤壮馬は最高なんですよね…(伝われ)良い声なんだけど、どこかとぼけている風合いがあってね…

発想もすごい。

(せっかくだし、なにか男ならではの体験がしてみたい)

(剛(女)に対して)「させてくれませんか」

すごいですよこれ。性別逆転シチュエーションでせっかくなら何かしてみたいと考えるのはわかるけど、そこで試みるのがセックスなの、新海誠(『君の名は。』)ややぶうち優(『ないしょのつぼみ』6巻)をはるかにぶっちぎったスピード感。

関根は普段からそういうことに興味津々というのがわかって面白いし、自分の(男の)体をあくまで仮初のものと考えて、好奇心を満たすために利用しようとする考え方も狂ってて良い。あと相手が剛(女)なのはOKなんだ…いや好奇心の前では相手など誰でも良かったのか?僕のあらゆる思考が置いていかれる猛烈なシーンだった。

「男」になることと関係の終焉

©橿原まどか・講談社/製作委員会はウソをつく

最終回では剛の声変わりが始まり女子校への潜入も限界を迎える。声変わりを声優に真正面から演技で表現させようとしたアニメは珍しい(初めて見たかも)。単純に男だとバレるというだけではなく、そうなったらこれまで通りの人間関係は保てなくて悲しいというところまで考えていて奥が深い。これは直前の10話の遊園地エピソード・熱海エピソードがよく効いているのでぜひ併せて見てほしい。

男の第二次性徴の到来によって起きる不可逆的な人間関係の変化を描いた作品だとたとえば『映画 さよなら私のクラマー ファーストタッチ』がある。そういえば、声変わり描写をどうするのか気になっていた『僕の心のヤバイやつ』の市川の声優は堀江瞬と発表された。そもそも声変わりのエピソードをやるのか不明だが(カットすれば前後の差を表現する必要もなくなる)、高音系男性声優を使うのは妥当なソリューションだろう。以前出た実写PVだと声変わり直前くらいの子役が起用されていてよくマッチしていた記憶があるが、もう見れない。

その他

原作はそれほど人気ではないが、プロデューサーが猛烈に入れ込んでアニメ化したとのこと。原作を試し読みしてみたら絵柄の癖が強く、この画風で女子中学生のギャグを描こうとしたのはどうしてなんだろうと不思議に思った。アニメの絵はかなりマイルドになっている。作画のアベレージは中の上程度。下ブレがほとんどなく安定していた。星野真は注目すべき監督かもしれない。

その他一言コメント

五条新菜(CV:石毛翔弥)―『その着せ替え人形は恋をする』

勃起も自慰も夢精も披露した今年随一のノーガード男。さすがにショタかと言われると微妙なのでこの位置(自分の性欲を飼いならしていないという点では定義満たしてるし全然入れてもいいんだけどね)

マキシーム(CV:菊池こころ)―『インセクトランド』

菊池こころの声は脳にいいんですよ〜。実は性別不詳、というかハキリアリの働きアリだから設定的にはメスの可能性のほうが高いんだよな…まあええわ

和泉くん(CV:梅田修一朗)―『可愛いだけじゃない式守さん』

性欲薄そう。でもやるときはやりそう。梅田修一朗、声高い系でもないけどさわやかな純朴さを表現できていてすごく良いですね。サザエでも活躍してたし。

ダミアン・デズモンド(CV:藤原夏海)―『SPY×FAMILY』

村尾潤平(CV:山下大輝)―『ダンス・ダンス・ダンスール』

めちゃくちゃアツい青春してたけどちょっとまっとうに眩しすぎてランクインさせられなかった…7話の同年代男子で仲良くなる回が良かったですね、ハイ…

森嶋祥典(CV:田中美海)―『ヒーラー・ガール』

2年後くらいには新しい恋が始まってるんだろうけど、彼の12歳から14歳の心を支配したお姉さんはたぶん彼の人生を狂わせるよね。

ファルマ・ド・メディシス(CV:豊崎愛生)―『異世界薬局』

キャラとしては普通なんだけど作画がずっと良くて眼福だった。丸っこくてかわいい。異世界転生にしては真摯な話運び。ディオメディア天野翔太班は信じたほうが良い。

アルト・ゴールドフィルド(CV:広瀬裕也)―『金装のヴェルメイユ~崖っぷち魔術師は最強の厄災と魔法世界を突き進む~』

「悪魔を召喚できるほどの魔力濃度を持つ」(公式サイトより)。結構肌見せてくれて良かったっすね。うん。

葵洸輝(CV:向井莉生)―『組長娘と世話係』

父親の昔の親父(極道)の娘(=お嬢様)にちょっかいかけるツワモノ。

ゆうり(CV:早見沙織)―『最近雇ったメイドが怪しい』

メイン格ではあったけど、ショタのかわいさに興味がある作品ではなかったよなあ。

ふみお(CV:小林由美子)―『ちみも』

思ったより色々あった。身長あるね。

たかふみ(CV:大地葉)―『異世界おじさん』

もちろん幼少期の方。ダボダボの制服で女友達より小さくてホワホワの声ですよ。

デンジ(CV:戸谷菊之介/井上麻里奈)―『チェンソーマン』

幼少期のビロビロシャツもかわいいし、16歳になっても闇デビルハンターとして培ったしたたかさの中に年齢相応の未熟さが垣間見えるのもかわいいね。

ノマ・ルーン(CV:白砂 沙帆)―『不徳のギルド』

性別不詳系キャラがバカの一つ覚えみたいに美少女の外見で描かれる(聞いてるか恋愛フロップス?)のはうんざりだが、はっきりと陰茎の存在を前提にした描写が出てきたのはちょっと面白かった。

岸真悟(CV:藤原夏海)―『ぼくらのよあけ』

弱そう。姉に結構いじめられててほしい。なんか肉とか服とか質感重視に描かれてていやらしいんですよねこのアニメ。

ウレシノ(CV:梶裕貴)―『かがみの孤城』

小太り気弱系ショタに高音男性声優を当てるやつ(『漂流団地』にもあった)。率直にちょっと気持ち悪い行動してるなと思ったけど、それを自分で俯瞰するのは難しい年代だろうなというのと、そもそも2027年の中学生の常識は僕とは少しだけ違うのだろう。そういう想像力を引き出してくれるいいアニメだった。

総評

毎年のことながら、一年分のアニメ視聴を総括するというのは非常に大変だった。はっきり言えば義務感で書いてるから読みやすくも面白くもないんだろうけど、アニメに真剣に向き合うことができたか反省し、来年に向けてモチベーションを高める契機になった。アニメは見ないより見たほうが良いし、できれば真剣に見たほうが良いし、愛を持って見れれば最高だ。皆さん、一緒に頑張りましょう。

執筆方針の話をすると、とにかく今年のアニメショタを網羅的に紹介すべきか、魅力を感じないショタは正直に省くべきか少し迷った。どちらにも意義はあるのだろうが、今年はどちらかといえば後者の方針を取った。

お読みいただきありがとうございました。2023年もよろしくお願いします。

· 11 min read

ダブルヘッダーで見てきて友人と感想を話し合った。

夏へのトンネル、さよならの出口

ストーリーについて

クライマックスがあまり納得できなかった。カオルは一人でウラシマトンネルに入って何もせずに出てきただけで、意味ない行動を無理やりドラマにしているなと感じてしまった。トンネルに入ってカレンに会って、たとえば何らかの後悔を解決できたとか、カレンの本心を知るとか、そういうイベントを経て戻って来たなら意味があったなと思うけど、単にあんずのメール攻勢で翻意して帰ったんだったら、外国でも放浪していればよかったんじゃないかな。

その問題の原因になっているのはカレンや父のキャラクター造形の薄さだ。もちろん尺の都合で…という理由はあるだろうが、それでも削ったなら結果を引き受けなければならない。カレンが他人の幸せを祈る理由はわからないし、あの死に方で父がカオルを責める理由もわからない。そしてカオルがカレンに執着していた理由も判然としないし、だから取り返しに行ったのもあっさり諦めたのもよくわからない。本物かどうかも定かではない幽霊のカレンに「今の女と幸せになれよ」って言われて、それもそっかと引き返すのか…。

カオルがあんずの8年間のメールを圧縮して浴びるシーンも弱かった。あんず側が虚無感を抱えながら8年間過ごしている重みというのが感じられなかった。

小ネタとしての笑いどころは豊富だった。教室に掲げてあった「勇往邁進」は『ラブオールプレー』だし、妹死亡は『異世界薬局』、時間の圧縮は『メイドインアビス』で、実質今期アニメの集大成だった。カオルが唐突に結構太いひまわりをぶち抜いて過去の会話の再現をやり始めたところは尋常ならざるオタクの行動様式っぽかったし、漫画は作者が納得できなくても描かれたからには供養される(読まれる)べきであるというのもまたオタクの思想だろう。オタクに優しい。

映像演出について

細かい工夫が多く凝らされていた。レールを逸れた場所で見つかるウラシマトンネル、飛行機雲、鏡面、ひまわり、海と雲。

特に興味深かったのは境界の表現だ。まず前提として、この作品はウラシマトンネル内のモミジを境界とした2つの世界の時間的断絶を装置として使いながら、1組の男女の精神的な距離感の変化を描いている。

カオルとあんずが出会うシーンでは、最初はホームの柱が2人を遮っているが、カオルが柱を超えてあんずに歩み寄り傘を渡す。

Ⓒ2022 八目迷・小学館/映画『夏へのトンネル、さよならの出口』製作委員会

水族館でカオルが自らの目的を明かすシーン。最初は水槽のフレームが2人の間を遮っていたが、その後のカットではそのフレームがアーチの一部であったことがわかり、逆に2人を内側に包み込むようになる。さらにカオルが妹を取り返すという目的を話すとカオルの側に大きな魚(サメ?)が現れるが、あんずの側にもそれが現れ、やがて点対称にすれちがう。2人にそれぞれ大きな目的があり、ウラシマトンネルを利用したいという「共同戦線」の同士ではあるが、実は2人の目的は交わらず一緒には行けないことも暗示している。

雨を告げる漂流団地

ストーリーについて

長くて散漫で、説明不足も多く、監督が描きたいシチュエーションを順に詰め込んでブラッシュアップされないまま作られてしまった印象を受ける。全体の構成が悪い作品というのは、語ろうにもポイントを絞れないので難しい…。

この手の作品の王道は、主人公の内面的な課題が、主人公の冒険とシンクロしながら炙り出され、そして克服されるというものだ。しかし夏芽の内面的な問題とシンクロさせるには7人での命のかかった漂流という事件は重すぎたし、第3の主人公と言うべきのっぽという存在が複雑でわかりにくい。

  • 航祐と夏芽の物語開始時点での関係を読み解くことが難しい。過去の成り行きによって複雑にこじれているうえに、その過去の成り行きが複数回の回想によって少しずつ明らかになるからだ。
  • 夏芽とのっぽの心情を捉えるのも難しい。夏芽はつらい過去を抱えた思春期の少女だから読み取りにくいのは意図通りかもしれないが、命がかかった緊急事態にわけわからん行動をしてかき乱すのはイライラした。のっぽに関しては存在そのものが設定上ミステリアスなうえに彼自身の感情もあって発言が信頼できなかった。
  • 作品世界のロジックがあまり明かされない。特に団地脱出後は、突然衝突して沈み始めたり、突然嵐が来たり、救援が来たり、嵐を抜けたら危険はなくなってたり(沈まないんだっけ?)、状況と課題の把握が難しい。「漂流」というのは状況に流されるものだと言いたいのかもしれないけど、あからさまに謎を握ってそうなのっぽや、のっぽとの精神的なつながりをベースにわけのわからない行動をする夏芽がいる状況でこの作品を純粋な自然災害パニックとして解釈するのは難しい。

単純にシーンをバスバス減らしていくだけでだいぶ見やすくクリアな作品になっただろうと思うが…まあ描きたいものを描くのは監督の権利か。

テクニカル

ストーリー以外の作画・演出・演技・音楽はかなりいい感じだった。声優は特に少年役として田村睦心・小林由美子・山下大輝・村瀬歩というド安定と言うべきキャスティング。安定すぎて、ド素人の主演をベテランの周囲がカバーする構成なのかと思うほど。小林由美子は元気いっぱいの役、村瀬歩はミステリアスな役を期待通りに演じていたと思う。山下大輝は本当に芸達者だなあ。声の質は大きく変えないまま多彩な役ができる。田村睦心は叫びの演技を繰り返し要求されて違いを作りきれなかった感じがある。

OPは非常によかった。『ペンギン・ハイウェイ』に引き続いて阿部海太郎のメインテーマに乗せて清水洋のOP原画。阿部海太郎のピアノ・弦・管の馴染ませ方は良いですねえ。僕はクラシック寄りの劇伴が大好きです。

· 7 min read

演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は栗田博文。高木正勝(ピアノ)、奥華子(歌)、アン・サリー(歌)がゲスト出演。『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』の劇伴については、筆者は2017年の京都岡崎音楽祭も聞きに行っている。

セットリスト

Spotify のプレイリストとして公開されている。このプレイリストは期間限定なので、以下に書き写しておく。

  • 祝祭
  • 三千世界の迷い子
  • 充たされた子ども
  • 胸の剣
  • ほしぼしのはら
    • アン・サリーのボーカルつき(映画で未使用・サントラ未収録)
    • 2017年にも披露されていたはず
  • きときと - 四本足の踊り
    • 映画と関係ないCMでも使われた超有名曲。曲の構成はサントラ収録版と違う。
  • 雨上がりの家
  • おかあさんの唄
  • 仮想都市OZ
  • KING KAZMA
  • 栄の活躍
  • 1億5千万の奇跡
    • 映画の内容と合わせて観客に適当な光り物を振ってもらうという演出があったが、光る物(売ってたのかな?)は持ってなかったしスマホは電源切ってカバンにしまってたので反応に困った。あまり広がらなかった。
  • The Summer Wars
  • Trans Train
  • Marginalia Song
  • Of Angels
  • 夏空~オープニングテーマ~
  • スケッチ - ロング・バージョン
  • 少女の不安
  • からくり時計~タイムリープ
  • 変わらないもの - ストリングス・バージョン
    • 奥華子のボーカルつき
  • U
    • 中村佳穂のボーカルは録音
  • 歌よ
    • ボーカルなし
  • Dragon's Lair
  • 心のそばに
    • 中村佳穂のボーカルは録音
  • Faces in the Rain
  • A Million Miles Away - reprise
    • 中村佳穂のボーカルは録音
    • 光り物演出、こっちもやればよかったのに
  • Overture of the Summer Wars(アンコール)
  • ガーネット(アンコール)

感想

映画の1シーンが(ときどきセリフも)が巨大スクリーンで再生されながら、それに合わせてオーケストラが演奏するという形式で進行した。音楽自体の魅力もさることながら(これは後述)、細田映画の音楽で盛り上がるシーンだけを抽出して連続で見るという体験も面白かった。脚本の流れとか尺の長さの要因がなくなるので、通常の鑑賞以上に話の組み立てではなくエモーションに集中することができ、ああ、細田守って人間のこういう面を描きたがるよなあ…という発見があった。

演奏そのものの良し悪しを話すと、純オケものの曲(『バケモノの子』に多い)はもうひとつ魅力が伝わってこないという感じだった。本物のオーケストラがすぐそこにいるにもかかわらず音を全部マイクで拾ってスピーカーで流していたので、本来東京フィルならできるであろう繊細な音色や音量バランスのコントロールがあまり発揮されていない(2017年のコンサートでは生音だった記憶…自信ないけど)。スピーカー通さなきゃいけないのは理由があって、オケ+歌の曲では歌はアンプかけてスピーカーから鳴らすのでオケもスピーカー通さなきゃいけなくて(?)、それに合わせるように純オケ曲もスピーカー通すことにしたのだと思う。あとは本編映像からたまにセリフも流れるのでそことの音量調整もあるんだろうか。とにかく、標準的なクラシックのコンサートよりも格段に音量調整が難しかったはずなのでその辺の必要性なのだと理解している。たぶん席によってもここの印象は全然違ったんだろうなあ。

『竜とそばかすの姫』の劇伴は中村佳穂の歌ものが中心になっているのでどうするのだろうと思っていたが、ボーカルは録音でオケが生演奏という面白いパターンだった。でもそもそもミュージカルを指向する作品であって、伴奏も本格派オケサウンドになっているので、これは正しい判断だったし価値ある演奏だった。

アン・サリーと奥華子の生歌は聴き応えバッチリだった。アン・サリーの素晴らしい表現力と声の豊かさよ。語りのような自由なテンポの揺らしにオケもよく合わせていた。奥華子は少し緊張が感じられたが、オケと張り合うパワフルな歌声は録音とは違った魅力があった。

小ネタ

  • 足本憲治の名前がクレジットされてないのはよくないと思う
    • 高木正勝の作った曲をオーケストラ用にアレンジした人です
  • 特別協賛: 明治安田生命保険相互会社、協賛: 株式会社不二家、協力: Spotify
    • 明治安田生命はスタジオ地図のコラボCMが休憩中にスクリーンで流れていた
    • 不二家も同じタイミングでお菓子のCMが流れていた…気がする(内容が定かではない)
    • Spotifyは上述のプレイリストの件の協力だろうか

· 29 min read

2014年の放送当時に見て好きだったアニメ。配信はないと思っていたが、実はdアニメストアで去年の6月から配信されていた。5月末に配信が終了するので今のうちに再見してみた。

ブログを書こうと思ったのは8話に差し掛かってからなので、それより前の話数は最終話の後に戻って飛ばし飛ばし見ながら書いている。内容の質の違いはそういうことでご了承ください。

OP

原画に森久司。おそらく冒頭1カット?フラットにデザイン化されたラーメンとカレーライスは同じ米たにヨシトモの『食戟のソーマ』OP1との関連が感じられる。サビ直前、女性キャラの水着を見せるカットだが奥で男子たちもはしゃいでジャンプしているのは面白い。アウトロのメイン4人のカットはどれも美麗で非常に上手い。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

©附田祐斗・佐伯俊/集英社・遠月学園動画研究会

ED

清水洋の絵コンテ・演出・一人原画。崖の上でクレアをカルエルが抱きしめているカットは、背景の雲が動いているのか、それとも崖がイスラで動いているのか、どちらとも解釈できるところが面白い。最後に自転車で一人になってしまったカルエルをクレアの風が包み込んでいく…泣いてる。「必ずそこまで迎えに行くよ」

各話

1話『旅立ちの島』

状況不明の空戦から開始。1クール通した構成を考えると前半が割とのんびりした学生生活、後半が辛い戦いと大きく変化するので、予め方向性を示しておこう(そうすることで前半部分の後半につながっていく描写を落とさずに見えてもらえるだろう)という狙いだったのだろう。

Aパートは出帆式典から始まる。面倒くさい世界観や状況の説明よりもメインキャラクターたちの目線を優先するのは、この作品全体を通した傾向だと思う。

カルエルとクレアの初対面のシーンはクレアの芝居に遊びが効いている。カット割りを控えめにして引きでクレアの身振りをたっぷりと見せていくことでクレアのおどおどした性格(これはニナ・ヴィエントとの対比として重要)を表現している。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

そこからの自転車二人乗りシーン。さらりと「送っていこうか?」と言えてしまうカルエルはすげえよ…と思うが、敢えて深読みするならばニナ・ヴィエントに近づくために貴族とのつながりは役に立つという打算もあったのかもしれない。ここまでイスラは普通の街と同じように描かれてきたが、イスラで初めて体験する夕焼けと雲によってここが特別な場所であることを体験する。その神秘性とクレアとの出会いを重ねることで、「来たくて来たわけじゃない」「ただの厄介払いだろ」という感情が薄らいで、イスラでなら新しい何かを得られるかも知れないという期待を感じさせる(もちろんその期待はクレアがニナ・ヴィエントであるとわかることで打ち砕かれ、カルエルの心は再び復讐に呼び戻されるが、もはやそれもできず…という展開を辿る)。

湖に落ちてしまってからのシーンは圧巻。この作品の根幹となるのはカルエルとクレアの恋愛感情だが、それが生まれる過程をゆっくり積み重ねたり言葉で喋ったりするのではなく、ただ田中宏紀の圧倒的画力で一瞬で「わからせ」ていく。ここのBGMは数度現れるので覚えておきたい。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

ルナ・バルコが離水するときの水の作画は枚数をたっぷり使って質量を表現していて良い。イスラに着陸後のカルエルとアリエルの小芝居はデフォルメが効いている。1話は大抵監督が演出するが、それはこの作品でどこまでやっていいかというボーダーを示す意味もある。

2話『カドケス高等学校飛空科』

入学式、キャラ紹介。クレアを口説きに行くカルエルの意欲がすごい。クレアの「来てよかった。イスラに」に対するカルエルの「うん。ぼくも、だ」。マリアの「誰にも縛られずずっと自由に飛ぶの 」はこのアニメにおける「飛ぶ」という行為の位置づけなのだろう。復讐に囚われることと対置されている。

3話『風の革命』

引き続き学生たちの交流とカルエルの過去を回想で並行するパート。クレアがカルエルの正体に気づく過程が丁寧に描かれる。遭難。再び水上で足止め。もしかしてこれも1話の湖パートのリフレインか?大事なことは水上でやるというルールだったりする?

遭難するときの雲の中を飛ぶところの作画が良い。ここのアイデアの源流はラピュタの金田パート?

4話『星の海原』

今度はアリエル側から回想する回。ノエルやマヌエルが弟ができたことに対して、最初に父親にありがとうって言うのどういうこと…?

Bパートのドエロ半裸水上待機、エロすぎる。カルエルくんが。水に落ちるまでの流れの丁寧さにこの作品なりの、エロに対する誠実さ(安易ではなさ)を感じる。予め出しておいたゴムボートに雨がふって水が溜まっていたから水を出そうと思ったらバランスを崩して落ちるという流れ、非常に丁寧。クレアよりもクレアを見まいとするカルエルくんの方がエッチなんだよなあ。そしてまさかの白ブリーフ。これは支給品?身体の筋肉の付き方も絶妙で、なくもないけど大人ほど完成されてもいない。肩幅はがっしりし始めているが全体的に薄いというアンバランス感、プライスレス…。ショタの肉体美に関心がある人が描いてそう。

その腰つきは何?

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

ミハエルと共に初めて空を飛んだときの記憶。ミハエルは単純にいい人として描かれていてちょっと装置っぽさが否めない。そしてカルエルの過去の話から、彼がカール・ライールであることに気づき始めるクレア。帰ってからアリエルに叩かれながらも心配してもらえるカルエルと、ただ怒られて役目を果たすように求められるクレアの対比。悲しいね。

5話『風呼びの少女』

4ヶ月経過。夏。聖泉に接近。

湖での水練。ソニアとバンデラスの水着に対するお約束の反応。それを遠くから退屈そうに眺める漁師(2話にいた人かな?)。ちょっとシュールな味わいがある。「理系の私は周囲に引きずられるタイプなんで」←???アリエルがイグナシオを気にかける展開は面白い。イグナシオとしてはクレアの護衛(とカルエルの監視?)のためにつかず離れずの距離にいるだけなのだが。

カルエルとクレアが森の中で迷う。クレアが深刻そうにカルエルに何か訪ねようとするが、視聴者の期待を裏切って素性の話ではなかった。クレアとしてはまだ言い出す度胸がないということだろう。ラノベアニメみたいな(ラノベアニメです)流れでクレアにカルエルが覆いかぶさるシーン。BGMまで合わせて1話のセルフパロディだが、ここはギャグなので当然作画は田中宏紀ではない。

カルエルの行動原理が再確認される。飛空士になりたい気持ちは本物。しかしニナ・ヴィエントに復讐するという目的も確かにあった。ここではまだ「どうしたいんだろう。僕は。このイスラで」。イスラという「学園」で彼はまだモラトリアムの中にある。

戦闘訓練の中で急に空の一族が登場し話の流れが変わっていく。

6話『聖泉』

聖泉、スケールが巨大過ぎて画面見ててもなんだかよくわからない。

アリーメンの店がいつの間にかできている。構成の観点から言うとここから激しい戦いが始まるので、その前に一発和やかな学生生活、幸せなペア関係の描写を入れておいて落差を大きくするということだろう。

7話『散華』

ノー・アバン。空襲警報を聞いたシズカがブランコのロープを握っているのがなんとなく好き。ブランコは学生たちが作った遊び場兼密談場所であって、学生が学生であり続けることができなくなることを予期しての無意識の行動なのかなと。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

ミツオとチハルの触接が緊張感を維持しながら描かれる。この辺り緩んだ印象を与えないのは考証と演出の手腕だろう。2人がクラスメイトたちの会話を想像するシーンの、平静を装って軽口を叩く演技が素晴らしい。この辺りのシーンはもう本当に良いので、見ましょう…。

本格的な戦闘シーンが入るようになり、爆発や炎のエフェクトが見せ場になっている。

8話『鳥の名前』

凄惨な空戦。ことさら強調されるわけではないが、操縦席から振り落とされた操縦士が飛行機の破片に衝突するという痛ましいシーンが平然と含まれている。後部席搭乗者は生身を晒しながら単発のライフルで機関銃に対抗するという信じがたい戦い方をする。案の定機関銃でめちゃくちゃに撃たれてボロボロにされるわけで、そういうシーンもしっかりと描かれている。戦闘機の挙動は詳しくないがかなりしっかりと考証して描いているであろう動き方をしている。

キャラ作画かなり良し。特に病院のシーン。煙エフェクトはほぼ全てに橋本敬史の修正が入っているようだ。空戦に不可欠ななびきも上手い。

9話『きみの名は』

前回の凄惨なシーンをカルエルのフラッシュバックとして用いる演出は視聴者にもダメージが大きい。墓地の前でのカルエルとクレア会話は重要なシーンだし声優の演技も熱が入っていて素晴らしいが作画がついてこないのが惜しい。ここの悠木碧の演技は圧巻。

Bパート、クレアの食卓と学生たちの食卓、それぞれ真上から捉えた模式的なカット。アリエルがクレアの正体に急に気づいたのは何?湖に放り込まれるのは1話のリフレインと捉えて良さそう。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

作画はやや貧相。前話の反動だろうか。

10話『勇気の飛翔』

アバンではイグナシオが復讐の人であることが強調される。先生たちが味方になってる。2人組で飛行機に乗るという設定が活きてて、決死の任務に行くか行かないかで対立軸を作ることができる。

守りたい・逃げたくないから戦うという筋書き、しかも子どもたちがそれを言うというのはやはり辛い。守るための戦いだって人は死ぬ。カルエルがこれを言うのが「成長」として描かれるのは、僕には受け入れがたい。そういう時代になってしまった。ノリアキのミツオに対する感情、なるほどなあ。アリエルの叫びのシーンの芝居が上手い。

空戦パートにはいってからは顔アップが多くなり作画が良くなった。ミツオの幻影に手を伸ばすカット、驚きがあった。絶対死なねえぞという方向に行くのはノリアキらしい。

作画は厳しい。総作画監督修正が入っているカットとそれ以外がはっきりわかる。水作画にも橋本敬史の修正は入ってなさそう。

11話『恋歌』

空戦中のカメラワークのバリエーションが多い。1話の回想に戻ってきた。話の筋としてはカルエルが戦いの中で覚醒するくらいなのでそんなに言うことない。

煙作画に迫力がある。橋本敬史ではないものが混ざってそう。爆炎の中に突っ込む表現がかっこよかった。クレアの起こした風のエフェクトもかなり上手い。

12話『空の果て』

時系列のシャッフルが含まれていて少し混乱した。「好きなの?女の子として」の恐ろしさよ…。失恋月光ブランコが趣深い(悲しい)。調律をずらしたピアノの音色も寂しい。

アリエルが退出した直後のカルエルとクレアの抱擁シーン。回り込みも撮影も全力でやっているが、なんとなく演出的なアリエルへの当てつけのように見えてしまいちょっと笑ってしまった。2羽の小鳥を使ったメタファーも丁寧。

カルエルが伸ばした手がクレアに届くように見えるオーバーラップ演出。このアニメは割とこういうイケてる演出を唐突に放り込んでくるからちゃんと驚ける。作画が弱いのが惜しいが…。アリエルとイグナシオの関係はちょっと発展するのかなと思ったけどそういう話ではなかった。イグナシオが「バカ兄貴」と言うの、そうだったのかー!という驚き、アリエルの決め台詞を奪ったなという感慨、そしてそこにいつものBGMが乗ってくるのも良い。ああ、ここまで来たんだなあと思わせてくれるシーンがきちんと作れていて素晴らしい。

空の果てでの飛行機からの花吹雪散布もまた1話のリフレインになっている。ここの見せ方も過剰なエモに行くのではなく、これまでの飛行機の演出のテンションのままで行われるのが積み重ねを感じさせる。そして積み重ねたものを全て終わらせるイスラの破壊。ここには壮大な世界観(だって「空の果て」ですよ!?)が顔を出しているのだが、それを丁寧に説明することに心血を注ぐわけでなく、堂々とアニメを面白くするための道具だと割り切った見せ方になっていてしっかりコントロールできているなと思う。

13話『きみのいる空へ』

ほぼグランドフィナーレのような終わり方だった12話から一転、メインキャラを出さずに最後の1話では何をやってくれるんだろうという疑問を掻き立てるスタート。

ニナ・ヴィエント奪還のためにカルエルが身分を明かして自身の恋物語を語る。身分を明かしたところは大丈夫かよと思ったけど、ニナ・ヴィエントは民衆に慕われているから自然とこうなるのかな。

ソニア先生の「立派な大人になってくれ」という言葉。その裏には大人になれなかったミツオたちがいるわけで結構重いよね。旅が大きな犠牲を出したことを思うと、ニナ・ヴィエント奪還のためにもう一度行こうというのはそんなに簡単な話とは思えないし、それを簡単に許してしまう民衆の熱狂を、この作品はある程度冷ややかに描いているなと思う。「惚れた女のために世界中巻き込んで喧嘩しに行くってわけか?」というミハエルのセリフは正しい。

アルバス家での祝宴とその夜のシーン。特別に美麗な作画が叩き込まれていて素晴らしい。最終回のBパートというのはこうあるべきだなあ。弟!妹!と呼び合うシーンも、今となっては男女関係ではなくそういう関係でしかいられないという哀しさを表現するものになっている。

©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会

各キャラクターの後日談。特にミツオの実家のシーンは泣けた。ミツオの両親は彼の死を知っていたのかな?イスラが本国と通信できていたのかよくわからない。ある程度近づいたらできていた、くらいだろうか?それぞれの故郷の風景を全く違うものとして丁寧に描いていたのが良かったなあ。全然違う環境から一つの目標のために集まっていた奇跡を、後からじんわりと実感できる。

とかく物語は冒険をクローズアップしがちだけど、冒険が終われば若者たち(もはや子供ではない)は家に帰る。帰った先にまだまだ続いていく人生があるし、だからこそ帰れないのは悲しい。

論点

イスラ学園説

この作品の一番面白い仕掛けはイスラだ。まずイスラはいわゆる「学園」である。第一にイスラは隔絶した土地で、だいたい全貌が把握できる程度の小さくシンプルな社会になっている。第二に未熟な子供に成長の機会を与え(恋愛・学友・飛空士訓練)、同時に責任(防衛)を負わせる。これらはたとえば『ハリー・ポッター』のホグワーツや、『本好きの下剋上』の貴族院なんかと共通する性質だと思う。

そこにプラスして、イスラに神話的な意味と空飛ぶ大陸という性質を加える。ここが飛空士シリーズの共通部分ということになるのかな。これで大体の舞台が完成し、そこにロミオとジュリエット的な骨太のストーリーを乗せるとこうなる。

この世界の神話は水が流れていってまた吹き出してくるという水の循環の話だ。世界の全貌は不明だが旅路のほとんどは海上をイスラで飛んでいく。

これと意図的に重ね合わせているのか、キャラクターは重要な話を水のうえで行う。1話のカルエルとクレアの出会い、3話のカルエルとクレアの遭難、そして9話のイグナシオがカルエルを殴るシーン。まあ単純に絵になるという話かもしれない。

フォーカスの置き方

非常に重厚な世界観があるにもかかわらず、その説明をほとんどしないでキャラクターに状況を課すための道具として使っているのが印象的だ。一番大きなものだと「空の一族」が何者なのか全然わからない。世界の果てには滝があって水が落ちていきイスラが粉々になるのも「そういう世界だから」以上に膨らめることがない。飛行機が飛ぶメカニズム(さすがにあのプロペラであの機動は現実的には無理そう)も詳しく説明しないし、戦闘機の戦いのテクニックを視聴者にわからせる気もない。

とにかく「そこにあるけど説明はしない」ものが多い。あくまで集中すべきはキャラクターのドラマだということなのだろう。ただどうにもならない制約がそこにあって、それをどう合理的に解決するかという話に持ち込まず、その中でキャラクターがどう動くかにフォーカスできていると思った。

総括

ざっくり言うと、行って戻ってまた出発する話だ。そして愛の話だ。でも戦争の話だ。

おまけ

でもね、良いところを引き立たせるっていうタクティクスもあると思うんですよ(早口)

· 10 min read

前半

『ハイライト・ハイライト』(くノ一ツバキの胸の内 OP)

歌唱作詞作曲編曲
the peggies北澤ゆうほ北澤ゆうほthe peggies, 江口亮(Epic Records Japan)

BメロのD→Es→Eの階段状の転調が印象的(『プラチナ』みたい)。サビのメロディは「涙(B)枯れた後には」「私(D)が咲くの」の2連続下降音階と、その後さらに高い「ほ(Es)ら」に畳み掛ける繰り返しの気持ちよさがある。ここは厳密なシンコペーションのリズムが求められ、かつギチギチに詰まった歌詞を流れよく発音する必要がある。続く「身を焦がし挫けても」はなめらかな横の流れと若干のリズムの揺らしが入っている。その両方を自然体で歌いこなせる技術の高さ(に感心した。「踊れるように」はサビの後半に突入する準備として、サビの音の流れと似たことをやって予告編のような役割を果たしている(実はイントロもAメロの予告と言える)。

映像

出さなければいけないキャラクターが多いタイプのOP。主人公のツバキや班員のサザンカ・アサガオ・リンドウ、加えてベニスモモとモクレンあたりは扱いが大きい一方で1枚絵でサッと出るだけのキャラクターも多く、メリハリがある。全部のキャラクターを均等に見せようと思うと退屈な集合絵の連打になりがちなので、尺や曲の構成に合わせて取捨選択しているのは良いと思った。デコ。

作品

デコ。エッチ。

『Move The Soul』(群青のファンファーレ OP)

歌唱作詞作曲編曲
JO1PURPLE NIGHT(LAPONE ENTERTAINMENT)PURPLE NIGHT(LAPONE ENTERTAINMENT)PURPLE NIGHT(LAPONE ENTERTAINMENT)

全体的に伴奏が薄い。軽やかなベースのスラップが曲の雰囲気を作っていて、そこに最低限のドラムとシンセサウンドが乗っている。全員の歌唱力が高く多様な見せ場がある。Aメロはグルーブ感。1文字ごとの強弱のBメロのラップは声の迫力もあって良い。、サビの高音の伸びなど。も心地よい。

映像

テンポの良いモーショングラフィックスやド派手なCGが気持ちいい。アニメOPの一番な箇所であるところのサビの直前がウマの開眼カットなのはちょっと笑っちゃった。良い発想だとは思うんだけどウマの目は黒目大きくてイマイチ派手にならないのが惜しかった。超極上630度回り込みウユニ水飛沫ウマ疾走は歴史に残る1カット。この映像の後に枚数少なめでオバケとか使った騎手たちの映像が来るのはギャップが大きいんだけど、「Movin' on」のビート感の表現と考えれば正解なのかもしれない。

作品

バランスがすごく変な作品。アイドルから足を洗いたいという後ろ向きの話をずっとやっていて、6話終わってもまだ主人公がなんで騎手になろうと思ったのかよくわからない。周りのキャラクターもいつの間にか関係性を深めていつの間にか退場してたりする。作画は貧弱だが演出は意欲を感じる箇所がちょくちょくある。ウマを感じ取る(?)能力(??)を表現する映像はCGも色も美しい。音楽は澤野弘之が作っていて豪華。

『小喋日和』(古見さんは、コミュ症です。 ED)

歌唱作詞作曲編曲
FantasticYouthOnyuLowFatLowFat

軽やかで寂しげなピアノソロから始まり、そこに同音連打を多用したやや無機質なボーカルが乗ってくる。ピアノが2小節単位で同じメロディを鳴らし続けるのはミニマル・ミュージック的と言っていいのかな?そこからだんだんと盛り上がって、強烈な転調を挟んでサビに流れ込んでいく構成が秀逸。繰り返しを主軸とした構成だからこそ、最後の3連符の盛り上がりが効果的。

映像

放課後の教室の風景を定点カメラで撮影。キャラクターデザインは本編より簡略化されており、キャラクターの動きはおそらくロトスコープ。20人近いキャラクター全員にそれぞれの個性に合わせた芝居がつけられている。本編とは大きく異なる表現方法を用いてキャラクターを描写することで「あっ、本編でああ表現されているキャラクターは(現実世界で言うところの)こういう子のことだったんだ」という気付きがあり、本編の見え方まで変わってくる。

これは伝わるかわからないんだけど、見慣れたアニメキャラがいい動きをしているのを見るのはすごく嬉しい。『月がきれい』は作画の高低が激しいアニメだったけど、OPの枚数を使った小太郎の踊りとか、荒木涼が原画を描いたシーンなんかは小太郎がアニメキャラではなく意志を持った人間として動いていて、ああ彼は存在するんだなあと感じた。

キャラクターデザインを積極的に簡略化するというアイデアが優れている。薄目を開けてぼんやりした視界で見ると現実の人間もアニメキャラも同じように見えるのだから、キャラクターデザインをディテールダウンしたうえでロトスコで芝居をつければ本物っぽく見えるというアイデアだったんだろうか(実際のところはロトスコープの作業量を減らすための簡略化が上手く作用したという順序なのではないかと想像している)。

ロトスコEDと言われれば『かぐや様』のチカダンス、キャラクターデザインの操作としては『明日ちゃん』(あと『はまじ再臨』…?)が比較対象になりそう。チカダンスは徹底してキャラクターデザインを維持しながら高密度のロトスコープをやってのけている。『明日ちゃん』は本編中に時折厚塗り盛り盛りの情報量が増えた絵が入る。

作品

最初は病気の同級生を支えるという話と顔の良い女に近づきたいという話がないまぜになっていて本当にそれで良いのか?と思ったけど、この手の無茶な設定の中でいろいろやるアニメだと設定が馴染んできてからが本番。リアルからデフォルメまでアニメとしての表現の幅の広さとそれを実現する作画・撮影力、そして村川梨衣の圧倒的貢献。力のアニメですな。