2014年の放送当時に見て好きだったアニメ。配信はないと思っていたが、実はdアニメストアで去年の6月から配信されていた。5月末に配信が終了するので今のうちに再見してみた。
ブログを書こうと思ったのは8話に差し掛かってからなので、それより前の話数は最終話の後に戻って飛ばし飛ばし見ながら書いている。内容の質の違いはそういうことでご了承ください。
原画に森久司。おそらく冒頭1カット?フラットにデザイン化されたラーメンとカレーライスは同じ米たにヨシトモの『食戟のソーマ』OP1との関連が感じられる。サビ直前、女性キャラの水着を見せるカットだが奥で男子たちもはしゃいでジャンプしているのは面白い。アウトロのメイン4人のカットはどれも美麗で非常に上手い。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
©附田祐斗・佐伯俊/集英社・遠月学園動画研究会
清水洋の絵コンテ・演出・一人原画。崖の上でクレアをカルエルが抱きしめているカットは、背景の雲が動いているのか、それとも崖がイスラで動いているのか、どちらとも解釈できるところが面白い。最後に自転車で一人になってしまったカルエルをクレアの風が包み込んでいく…泣いてる。「必ずそこまで迎えに行くよ」
1話『旅立ちの島』
状況不明の空戦から開始。1クール通した構成を考えると前半が割とのんびりした学生生活、後半が辛い戦いと大きく変化するので、予め方向性を示しておこう(そうすることで前半部分の後半につながっていく描写を落とさずに見えてもらえるだろう)という狙いだったのだろう。
Aパートは出帆式典から始まる。面倒くさい世界観や状況の説明よりもメインキャラクターたちの目線を優先するのは、この作品全体を通した傾向だと思う。
カルエルとクレアの初対面のシーンはクレアの芝居に遊びが効いている。カット割りを控えめにして引きでクレアの身振りをたっぷりと見せていくことでクレアのおどおどした性格(これはニナ・ヴィエントとの対比として重要)を表現している。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
そこからの自転車二人乗りシーン。さらりと「送っていこうか?」と言えてしまうカルエルはすげえよ…と思うが、敢えて深読みするならばニナ・ヴィエントに近づくために貴族とのつながりは役に立つという打算もあったのかもしれない。ここまでイスラは普通の街と同じように描かれてきたが、イスラで初めて体験する夕焼けと雲によってここが特別な場所であることを体験する。その神秘性とクレアとの出会いを重ねることで、「来たくて来たわけじゃない」「ただの厄介払いだろ」という感情が薄らいで、イスラでなら新しい何かを得られるかも知れないという期待を感じさせる(もちろんその期待はクレアがニナ・ヴィエントであるとわかることで打ち砕かれ、カルエルの心は再び復讐に呼び戻されるが、もはやそれもできず…という展開を辿る)。
湖に落ちてしまってからのシーンは圧巻。この作品の根幹となるのはカルエルとクレアの恋愛感情だが、それが生まれる過程をゆっくり積み重ねたり言葉で喋ったりするのではなく、ただ田中宏紀の圧倒的画力で一瞬で「わからせ」ていく。ここのBGMは数度現れるので覚えておきたい。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
ルナ・バルコが離水するときの水の作画は枚数をたっぷり使って質量を表現していて良い。イスラに着陸後のカルエルとアリエルの小芝居はデフォルメが効いている。1話は大抵監督が演出するが、それはこの作品でどこまでやっていいかというボーダーを示す意味もある。
2話『カドケス高等学校飛空科』
入学式、キャラ紹介。クレアを口説きに行くカルエルの意欲がすごい。クレアの「来てよかった。イスラに」に対するカルエルの「うん。ぼくも、だ」。マリアの「誰にも縛られずずっと自由に飛ぶの
」はこのアニメにおける「飛ぶ」という行為の位置づけなのだろう。復讐に囚われることと対置されている。
3話『風の革命』
引き続き学生たちの交流とカルエルの過去を回想で並行するパート。クレアがカルエルの正体に気づく過程が丁寧に描かれる。遭難。再び水上で足止め。もしかしてこれも1話の湖パートのリフレインか?大事なことは水上でやるというルールだったりする?
遭難するときの雲の中を飛ぶところの作画が良い。ここのアイデアの源流はラピュタの金田パート?
4話『星の海原』
今度はアリエル側から回想する回。ノエルやマヌエルが弟ができたことに対して、最初に父親にありがとうって言うのどういうこと…?
Bパートのドエロ半裸水上待機、エロすぎる。カルエルくんが。水に落ちるまでの流れの丁寧さにこの作品なりの、エロに対する誠実さ(安易ではなさ)を感じる。予め出しておいたゴムボートに雨がふって水が溜まっていたから水を出そうと思ったらバランスを崩して落ちるという流れ、非常に丁寧。クレアよりもクレアを見まいとするカルエルくんの方がエッチなんだよなあ。そしてまさかの白ブリーフ。これは支給品?身体の筋肉の付き方も絶妙で、なくもないけど大人ほど完成されてもいない。肩幅はがっしりし始めているが全体的に薄いというアンバランス感、プライスレス…。ショタの肉体美に関心がある人が描いてそう。
その腰つきは何?
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
ミハエルと共に初めて空を飛んだときの記憶。ミハエルは単純にいい人として描かれていてちょっと装置っぽさが否めない。そしてカルエルの過去の話から、彼がカール・ライールであることに気づき始めるクレア。帰ってからアリエルに叩かれながらも心配してもらえるカルエルと、ただ怒られて役目を果たすように求められるクレアの対比。悲しいね。
5話『風呼びの少女』
4ヶ月経過。夏。聖泉に接近。
湖での水練。ソニアとバンデラスの水着に対するお約束の反応。それを遠くから退屈そうに眺める漁師(2話にいた人かな?)。ちょっとシュールな味わいがある。「理系の私は周囲に引きずられるタイプなんで」←???アリエルがイグナシオを気にかける展開は面白い。イグナシオとしてはクレアの護衛(とカルエルの監視?)のためにつかず離れずの距離にいるだけなのだが。
カルエルとクレアが森の中で迷う。クレアが深刻そうにカルエルに何か訪ねようとするが、視聴者の期待を裏切って素性の話ではなかった。クレアとしてはまだ言い出す度胸がないということだろう。ラノベアニメみたいな(ラノベアニメです)流れでクレアにカルエルが覆いかぶさるシーン。BGMまで合わせて1話のセルフパロディだが、ここはギャグなので当然作画は田中宏紀ではない。
カルエルの行動原理が再確認される。飛空士になりたい気持ちは本物。しかしニナ・ヴィエントに復讐するという目的も確かにあった。ここではまだ「どうしたいんだろう。僕は。このイスラで」。イスラという「学園」で彼はまだモラトリアムの中にある。
戦闘訓練の中で急に空の一族が登場し話の流れが変わっていく。
6話『聖泉』
聖泉、スケールが巨大過ぎて画面見ててもなんだかよくわからない。
アリーメンの店がいつの間にかできている。構成の観点から言うとここから激しい戦いが始まるので、その前に一発和やかな学生生活、幸せなペア関係の描写を入れておいて落差を大きくするということだろう。
7話『散華』
ノー・アバン。空襲警報を聞いたシズカがブランコのロープを握っているのがなんとなく好き。ブランコは学生たちが作った遊び場兼密談場所であって、学生が学生であり続けることができなくなることを予期しての無意識の行動なのかなと。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
ミツオとチハルの触接が緊張感を維持しながら描かれる。この辺り緩んだ印象を与えないのは考証と演出の手腕だろう。2人がクラスメイトたちの会話を想像するシーンの、平静を装って軽口を叩く演技が素晴らしい。この辺りのシーンはもう本当に良いので、見ましょう…。
本格的な戦闘シーンが入るようになり、爆発や炎のエフェクトが見せ場になっている。
8話『鳥の名前』
凄惨な空戦。ことさら強調されるわけではないが、操縦席から振り落とされた操縦士が飛行機の破片に衝突するという痛ましいシーンが平然と含まれている。後部席搭乗者は生身を晒しながら単発のライフルで機関銃に対抗するという信じがたい戦い方をする。案の定機関銃でめちゃくちゃに撃たれてボロボロにされるわけで、そういうシーンもしっかりと描かれている。戦闘機の挙動は詳しくないがかなりしっかりと考証して描いているであろう動き方をしている。
キャラ作画かなり良し。特に病院のシーン。煙エフェクトはほぼ全てに橋本敬史の修正が入っているようだ。空戦に不可欠ななびきも上手い。
9話『きみの名は』
前回の凄惨なシーンをカルエルのフラッシュバックとして用いる演出は視聴者にもダメージが大きい。墓地の前でのカルエルとクレア会話は重要なシーンだし声優の演技も熱が入っていて素晴らしいが作画がついてこないのが惜しい。ここの悠木碧の演技は圧巻。
Bパート、クレアの食卓と学生たちの食卓、それぞれ真上から捉えた模式的なカット。アリエルがクレアの正体に急に気づいたのは何?湖に放り込まれるのは1話のリフレインと捉えて良さそう。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
作画はやや貧相。前話の反動だろうか。
10話『勇気の飛翔』
アバンではイグナシオが復讐の人であることが強調される。先生たちが味方になってる。2人組で飛行機に乗るという設定が活きてて、決死の任務に行くか行かないかで対立軸を作ることができる。
守りたい・逃げたくないから戦うという筋書き、しかも子どもたちがそれを言うというのはやはり辛い。守るための戦いだって人は死ぬ。カルエルがこれを言うのが「成長」として描かれるのは、僕には受け入れがたい。そういう時代になってしまった。ノリアキのミツオに対する感情、なるほどなあ。アリエルの叫びのシーンの芝居が上手い。
空戦パートにはいってからは顔アップが多くなり作画が良くなった。ミツオの幻影に手を伸ばすカット、驚きがあった。絶対死なねえぞという方向に行くのはノリアキらしい。
作画は厳しい。総作画監督修正が入っているカットとそれ以外がはっきりわかる。水作画にも橋本敬史の修正は入ってなさそう。
11話『恋歌』
空戦中のカメラワークのバリエーションが多い。1話の回想に戻ってきた。話の筋としてはカルエルが戦いの中で覚醒するくらいなのでそんなに言うことない。
煙作画に迫力がある。橋本敬史ではないものが混ざってそう。爆炎の中に突っ込む表現がかっこよかった。クレアの起こした風のエフェクトもかなり上手い。
12話『空の果て』
時系列のシャッフルが含まれていて少し混乱した。「好きなの?女の子として」の恐ろしさよ…。失恋月光ブランコが趣深い(悲しい)。調律をずらしたピアノの音色も寂しい。
アリエルが退出した直後のカルエルとクレアの抱擁シーン。回り込みも撮影も全力でやっているが、なんとなく演出的なアリエルへの当てつけのように見えてしまいちょっと笑ってしまった。2羽の小鳥を使ったメタファーも丁寧。
カルエルが伸ばした手がクレアに届くように見えるオーバーラップ演出。このアニメは割とこういうイケてる演出を唐突に放り込んでくるからちゃんと驚ける。作画が弱いのが惜しいが…。アリエルとイグナシオの関係はちょっと発展するのかなと思ったけどそういう話ではなかった。イグナシオが「バカ兄貴」と言うの、そうだったのかー!という驚き、アリエルの決め台詞を奪ったなという感慨、そしてそこにいつものBGMが乗ってくるのも良い。ああ、ここまで来たんだなあと思わせてくれるシーンがきちんと作れていて素晴らしい。
空の果てでの飛行機からの花吹雪散布もまた1話のリフレインになっている。ここの見せ方も過剰なエモに行くのではなく、これまでの飛行機の演出のテンションのままで行われるのが積み重ねを感じさせる。そして積み重ねたものを全て終わらせるイスラの破壊。ここには壮大な世界観(だって「空の果て」ですよ!?)が顔を出しているのだが、それを丁寧に説明することに心血を注ぐわけでなく、堂々とアニメを面白くするための道具だと割り切った見せ方になっていてしっかりコントロールできているなと思う。
13話『きみのいる空へ』
ほぼグランドフィナーレのような終わり方だった12話から一転、メインキャラを出さずに最後の1話では何をやってくれるんだろうという疑問を掻き立てるスタート。
ニナ・ヴィエント奪還のためにカルエルが身分を明かして自身の恋物語を語る。身分を明かしたところは大丈夫かよと思ったけど、ニナ・ヴィエントは民衆に慕われているから自然とこうなるのかな。
ソニア先生の「立派な大人になってくれ」という言葉。その裏には大人になれなかったミツオたちがいるわけで結構重いよね。旅が大きな犠牲を出したことを思うと、ニナ・ヴィエント奪還のためにもう一度行こうというのはそんなに簡単な話とは思えないし、それを簡単に許してしまう民衆の熱狂を、この作品はある程度冷ややかに描いているなと思う。「惚れた女のために世界中巻き込んで喧嘩しに行くってわけか?」というミハエルのセリフは正しい。
アルバス家での祝宴とその夜のシーン。特別に美麗な作画が叩き込まれていて素晴らしい。最終回のBパートというのはこうあるべきだなあ。弟!妹!と呼び合うシーンも、今となっては男女関係ではなくそういう関係でしかいられないという哀しさを表現するものになっている。
©犬村小六・小学館/「とある飛空士への恋歌」製作委員会
各キャラクターの後日談。特にミツオの実家のシーンは泣けた。ミツオの両親は彼の死を知っていたのかな?イスラが本国と通信できていたのかよくわからない。ある程度近づいたらできていた、くらいだろうか?それぞれの故郷の風景を全く違うものとして丁寧に描いていたのが良かったなあ。全然違う環境から一つの目標のために集まっていた奇跡を、後からじんわりと実感できる。
とかく物語は冒険をクローズアップしがちだけど、冒険が終われば若者たち(もはや子供ではない)は家に帰る。帰った先にまだまだ続いていく人生があるし、だからこそ帰れないのは悲しい。
イスラ学園説
この作品の一番面白い仕掛けはイスラだ。まずイスラはいわゆる「学園」である。第一にイスラは隔絶した土地で、だいたい全貌が把握できる程度の小さくシンプルな社会になっている。第二に未熟な子供に成長の機会を与え(恋愛・学友・飛空士訓練)、同時に責任(防衛)を負わせる。これらはたとえば『ハリー・ポッター』のホグワーツや、『本好きの下剋上』の貴族院なんかと共通する性質だと思う。
そこにプラスして、イスラに神話的な意味と空飛ぶ大陸という性質を加える。ここが飛空士シリーズの共通部分ということになるのかな。これで大体の舞台が完成し、そこにロミオとジュリエット的な骨太のストーリーを乗せるとこうなる。
この世界の神話は水が流れていってまた吹き出してくるという水の循環の話だ。世界の全貌は不明だが旅路のほとんどは海上をイスラで飛んでいく。
これと意図的に重ね合わせているのか、キャラクターは重要な話を水のうえで行う。1話のカルエルとクレアの出会い、3話のカルエルとクレアの遭難、そして9話のイグナシオがカルエルを殴るシーン。まあ単純に絵になるという話かもしれない。
フォーカスの置き方
非常に重厚な世界観があるにもかかわらず、その説明をほとんどしないでキャラクターに状況を課すための道具として使っているのが印象的だ。一番大きなものだと「空の一族」が何者なのか全然わからない。世界の果てには滝があって水が落ちていきイスラが粉々になるのも「そういう世界だから」以上に膨らめることがない。飛行機が飛ぶメカニズム(さすがにあのプロペラであの機動は現実的には無理そう)も詳しく説明しないし、戦闘機の戦いのテクニックを視聴者にわからせる気もない。
とにかく「そこにあるけど説明はしない」ものが多い。あくまで集中すべきはキャラクターのドラマだということなのだろう。ただどうにもならない制約がそこにあって、それをどう合理的に解決するかという話に持ち込まず、その中でキャラクターがどう動くかにフォーカスできていると思った。
ざっくり言うと、行って戻ってまた出発する話だ。そして愛の話だ。でも戦争の話だ。
おまけ
でもね、良いところを引き立たせるっていうタクティクスもあると思うんですよ(早口)