Skip to main content

· 4 min read

声優の個人的なエピソードとかは興味ないので、作品に関係ある内容だけ取り急ぎ。
メモと記憶を頼りに書いているので正確性の保証はしません。

キャラクターについて

千葉

小太郎は元気いっぱいのキャラクターではないと思っていたが、小説の引用やクラス内格差に言及する部分(1話)は暗くなくていいと指示された

中学生なりのカッコつけであって、諦観を抱いているわけではない

おとなしいキャラクターというより普通の中学生

小原

茜は緊張しやすい、どこにでもいる普通の子

岸監督から「作り込まず普通に演じて」という指示

セリフは「…」が多く、息の演じ方は意識した

収録時点で絵は白黒のアタリのみ

2話ラストは「安心感でワッと喋りだす」という指示

クラスの友達(心咲・節子・美羽)は「本物の友達ではない」(岸監督)

田丸

比良も普通の子。ちょっとしっかりしていて大人びている

仲間と盛り上がったりするときも、一歩引いているところがありながら、きちんと参加できる

2話の茜と体育祭の勝敗で賭けを持ちかけるシーン、音響監督から「もっと気さくに。茜が見たこと無いくらい」との指示

このシーン「茜は比良のことなんかなんとも思っていない」(音響監督?)

東山

先生だが若く、受験生を受け持つことにプレッシャーがある

2話Cパートの飲酒をやけ酒のように豪快な演技をしたところ「上品なキャラだから、いまのがビールだとしたらシャンパンのつもりで」という指示(この時点で絵はなし)

その他

  • 小太郎と茜の甘酸っぱいシーンについて「もう二人で勝手にやってて下さい」(岸監督)「いいわねー」(井上喜久子)「あぁ~んん~~!」(東山)
  • 岩田光央は別録りでもバッチリ合わせられてすごい(千葉談)斎藤千和のアドリブを別録りでも拾っている(司会・フライングドッグ鈴木)
  • サブタイは収録時には未定だった(=後から付けた?)。4話『通り雨』は宮本百合子。5話『こころ』は夏目漱石。7話までのサブタイも言及されたがネタバレのためここには載せない(どうしても知りたければツイッターで聞いて下さい)
  • イモのマスコットの名前は当初「いもっしー」だったが小原が南Pに「ベニッポ」を提案して決定

· 10 min read

※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。

『月がきれい』に挿入される謎のLINEトーク画面。

一部では茜と小太郎なのではないかという説があるが、今回はそういう話ではない。

これは次回予告なのではないか、という話である。

以下、各話のLINEの文字起こしと、その次の回の展開を比較していく。

とは言うものの、こじつけと言われればそこまでである。

「次回予告なのだろう」という立場に立って比較していくので、当然先入観がある。

どこまで信用できる説なのかは各自で判断して欲しい。

1話

彼氏さん

9:50ごろ

男「行ったの?」

女「うん……」

男「なんで!!」

女「コンパって言っても」

女「セミの集まりだから全然」

男「セミ」

女「ゼミ」

女「そういうんじゃないし」

男「そういうんじゃなくても」

男「ダメなものはダメ!」

女「なんで?」

男「かわいいから」

女「!?😨」

男「男がほっとかない」

女「なんか」

女「びみょーにうれしい……」

男「(怒`Д´怒)」

男「どーせ、俺は浪人中だし」

男「明日は模試だし」

男「(・´3`・) 」

女「ごめんごめん」

男「早く大学生になりてえーー」」

1.女は大学生、男は浪人生

茜は陸上部、小太郎は文芸部。体育祭という場では陸上部の茜は華やかに活躍できるが、小太郎は締切に追われていてそれどころではない。
taihi.png

2.女がゼミのコンパに参加するが、男は他の男がちょっかいをかけるのでは嫌がっている。

体育祭の結果を巡って、陸上部の茜と比良は親しく話し、賭けをしている。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_000355047.jpg

3.男は女に「かわいい」と言う

小太郎は茜に「そのままでいい」とストレートな想いを伝えて励ます。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001117072.jpg

4.男は男で自分の受験に向けて努力している

小太郎は小説を書くという自分の目標に向けて努力をしている。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001229975.jpg

2話

よめ

22:30ごろ

女「今日はお疲れさま」

男「いやいや」

男「すげー緊張したけど」

女「お父さん、すごい酔っちゃって」

男「うん」

女「お酒、つきあってくれて」

女「ありがとね」

男「あのくらい、楽勝」

男「酔っ払いには」

男「慣れてるしね」

女「(笑)」

女「うれしかったみたい」

男「よかった」

男「二人で飲んでたとき」

男「お父さんさ」

女「うん」

男「ちょっと泣いてたよ」

女「まじかー」

男「自慢の娘だって」

女(じーんのスタンプ)

男「お嬢さんを幸せにします!って」

女「言ったの!?」

男「……心の中で」

女「あはは」

女「よろしくお願いします」

男「こちらこそ」

1.男が女の家に結婚の挨拶に行き、女の父と酒を飲んだ

小太郎は神社で神様に茜の成功を祈った(この当てはめは苦しい!)

taihi2.png

2.男は父に「お嬢さんを幸せにします!」と言おうと思ったが、実際には言えなかった。その後女が飾らない言葉で想いを伝え、男も短く返事してその想いを確認し合った。

神社で小太郎は茜に「月がきれい」とおしゃれな告白をしようと思ったが、結局言えなかった。逆に茜がその気なく「月、きれい」と言い、小太郎は平凡な「付き合って」という言葉で告白した。

hikaku3.png

3話

彼女さん

23:50

男「おーーい」

男「おーーーーーい」

男「おーーーーーーーーーーー」

男「まだ帰ってない?」

男「サークル入ってから」

男「あんまり連絡ないよね」

男「心配してる」

男「はぁーー」

0:20

女「ごめん、今帰り!!」

女「終電になっちゃった」

女「もう寝てるよね?」

女(ごめんなさいのスタンプ)

女「おやすみなさい😥」

1.すれ違い

すれ違い。

IMG_2047.png

(4話がyoutubeで公開されたらキャプチャに差し替えます)

ここまでを見ると、正確に次回の展開をトレースするわけではもちろんないが、少なからず当たっている気がする。

しかし最初にも述べたが、これは典型的な後知恵バイアスというやつである。私を信用してはいけない。

4話

彼女さん

21:50ごろ

男「母親には」

男「友達と旅行に行くって」

男「言っといたから」

女「大丈夫?」

男「たぶん平気」

女「うちは、お母さんが」

女「協力してくれるから」

男「そうなの?」

女「ウン」

女「お父さんには」

女「うまく言っとくって」

男「すげー」

男「うちは母親にばれたら」

男「超面倒だから」

男「絶対ウソ突き通さないと」

女「女子かよ」

男(時代劇風の笑っているスタンプ)

4話はデートの計画を立て、周りの人が助けてくれたり、逆に邪魔になったりという話になるのではないだろうか。

最後に、このLINEは小太郎と茜なのかという問題を少し考えてみる。

↓こちらも参照されたい。
【月がきれい】毎週変わる、EDのLINEメッセージまとめ 茜と小太郎の未来のやりとりか?http://matomame.jp/user/FrenchToast/9c6b426a0db3e41be0d7 

私の思う、小太郎と茜ではなさそうな理由は以下の通り

  • 男の言葉や顔文字の使い方が小太郎らしくない
  • 男女のスタンプのセンスが小太郎・茜と逆転している。茜は渋く、小太郎は比較的ポップ

小太郎と茜っぽい理由は以下の通り

  • 茜の母親が協力的なのは公式サイトの「娘二人とは割と友達感覚」という記述と合致する
  • 3話と4話で「彼女さん」のアイコンが同じなので、この2回は少なくとも同じ人物。さらには毎回同じ人物のやりとりである可能性も高い。となると小太郎・茜の蓋然性が高い。

結論は出さない。しかし個人的な好みから言わせてもらえば、小太郎と茜の恋愛は中学生だからこそ輝いているのであって、この関係を大人になるまで描いてほしくない。

だからEDのLINEは別人であって欲しい。

· 10 min read

※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。

月がきれい3話。テレビアニメのお約束に則り3話で最初の山場を持ってきた。

太宰治『チャンス』が引用された意味だとか、天才・荒木涼の圧巻の作画とか、語りたいことはたくさんあるのだが、せっかく挿入歌も入ったことなので、今回はBGMの使い方からこの回の演出を考察していく。

まずBGMが使われたのは5回(挿入歌を含む)である。少ない。

<BGMがあるところ>

1.小太郎の部屋と茜の部屋、LINEでの会話

小説が落選して落ち込む小太郎

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000283682.jpg

hure1.png

座り方が本当に落ち込んでる感あって笑ってしまう。肩の落ち方が良い。

繰り返す「シミーシミー」の音型に重ねて息の長いメロディーが展開し、どことなく暗さの中に希望を感じさせる。

LINEで相談された茜は、かつて自分がかけてもらった言葉を返す

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000397760.jpg

hure1-2.png

EDのサビのアレンジである。いい雰囲気。

2.部活

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000529937.jpg

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000559551.jpg

hure2.png

1話でも使われていた部活のテーマ。3拍子でいろいろな楽器が含まれていて、楽しげ。

茜はどうだかわからないが、小太郎は茜へのアプローチを検討している。

ニ長調からヘ長調に転調するタイミングでシーンが切り替わるのも見事。

3.小太郎の部屋と茜の部屋、LINEでの会話②

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000754610.jpg

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000774926.jpg

hure3.png

にわかに色気づく同級生達を見て焦り、小太郎は行動を起こそうとする。

その焦燥感・不安感がヘ短調の物悲しい響きとシンコペーションのリズムで表現されている。

4.茜の本番と小太郎の神頼み

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000978957.jpg

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_001018900.jpg

自己ベストを目指して本番に臨む茜と、彼女の成功を祈る小太郎。

5.神社の裏

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_001239106.jpg

hure4.png

茜の自己ベストを祝う小太郎。

1のEDアレンジの、さらに調が違うバージョン。半音上がっているのは、少し関係が深まったことの暗示だろうか。

<考察>

 5を除くと空間的(あるいは時間的)に隔たった複数のシーンを統合・接続するためにBGMが使われている。

 まず前提として、この作品はドキュメンタリー的な映像の作り方をしている。その根拠は以下の2点である。

  • カメラワークが少ない(1話22カット、2話47カット、3話22カット、参考までに『この美』12話は12分時点で40)
  • BGMが少ない

 加えて3話では以下のような演出上の特徴があり、これも「ドキュメンタリー感」を高めている。

  • 望遠のカットが多い
  • アクセントとしてキャラを意図的に中央から外したカットが挿入される

accent.png

 このような映像の作り方をすると、我々は映像を作っている制作者の意図を感じにくくなり、キャラクターが存在している世界に没入する効果が得られる。これは作品全体としては思春期の等身大のキャラクターの心情を説得力をもって描くことに寄与している。

 しかし1や3のLINEのコミュニケーションであれば、我々が感じ取るべきは小太郎や茜がいる空間のそれぞれの雰囲気ではない。別々の場所にいても小太郎と茜はつながっていると感じられる演出が望ましい。

 2は小太郎と茜の直接のコミュニケーションではないが、小太郎は間違いなく茜のことを考えているし、茜はもしかしたら小太郎のことを考えていたかもしれない。ここでも離れた空間にいても想い合っている(?)ことが表現されるべきである。

 そして見せ場である4は、小太郎は本気で茜を応援していて、しかもそれは茜のそばにいられるかどうかは関係ないということを演出で強く印象づける必要がある。このとき音楽によるシーンの擬似的な接続は非常に強力な武器になる。すなわち、同じ曲・同じ声が流れ続けていることによって、離れていても心はつながっているということを表現できるのだ。さらに挿入歌であれば歌詞があり、これを小太郎の心情に重ねることもできる。(そもそも小太郎が茜のそばにいてコミュニケーションができればこんな演出は必要ないが、このアニメはそれが出来ない不器用さこそが重要なテーマなのだ。今度の成長に期待!)

 写実的・ドキュメンタリー的なこの作品の中で、時空間を超えた「想い」がドラマチックな光を放つ。その瞬間を、ひとつひとつ音楽の力でくっきりと浮き立たせる名演出である。

 それに対してもうひとつの見せ場である5では、唯一小太郎と茜が同じ場所にいるときにBGMが流れている。というか、小太郎と茜が面と向かって会話する場面は3話でここが初めてである。また、小太郎が茜に向かって笑顔を見せるのは3話までで初めて。会えなくても相手のことを想っているシーンでBGMが使われてきた3話の最後で、今度は同じくBGMを流しながら、会って不器用ながらも会話しているというのは、これまでの積み重ねの結実が感じられる良い演出だと思う。

· 14 min read

※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。

 『月がきれい』1・2話を見た。思春期の恋愛を淡い絵柄で描くというとあたかもどこかで見た要素の継ぎ接ぎのように考えてしまいがちだが、本作の脚本はよく考えられ、構成されている。同時に演出も、全面に出てくることこそないが、丁寧に脚本に寄り添っている。本稿では1・2話の脚本・演出について簡単に考察する。

目次

  1. 1話の脚本・演出
  2. 2話の脚本
  3. 2話の演出
  4. 怪電波

1話の脚本・演出

 1話はキャラクターや舞台の紹介の必要があり、小太郎と茜の関係はそれほど深く描かれてはいない。1・2話を総合的に解釈する上で理解しておきたいのは、1話では小太郎から茜への積極的なはたらきかけは存在しないということだ。ファミレスでの出会いや係で一緒になるなどの偶然的要素はあるが、主体的な意思を持って関係を変化させたのはもっぱら茜である。

 1話のクライマックスである茜が小太郎にLINEでつながろうと持ちかけるシーンの演出は見事なものだった。

TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」.mp4_001199779.jpg

 窓からの入射光によって茜の顔と手元が2つに区切られている。そして手元に握っているのは彼女が緊張を紛らわすために握るイモである。

イモを握る手の動きは彼女の内心の緊張を反映している。一方で顔は勇気を出して小太郎とコミュニケーションを取ろうとしている。

 もともと彼女は外向的な性格ではなく、新しいクラスの教室に入る前にもイモを握って緊張を緩和する必要があった。しかもそのときも自分から友達を作りに行くのではなく、昔の知り合いに話を振ってもらって仲間に入るという形だった。つまり彼女にとって、よく知らない人に話しかけるというのは大変緊張することなのだ(もちろん小太郎はファミレスで偶然出くわした相手、秘密を共有する仲間であり、緊張は多少は緩和されているだろう。偶然の出会いをきっかけに人間関係が大きく変動するというのもそれはそれで思春期らしい初々しさがある)。

 この緊張した内心と勇気ある行動の対比が、光と影によって鮮明に表現されているのがこのカットである。

TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」.mp4_001202444.jpg

TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」.mp4_001205152.jpg

そこに手元と顔のカットが続くことで、両者の対比関係は一層鮮明になる。

2話脚本

 2話の脚本は実に上手く構成されている。最初に確認しておきたいポイントは3点である。

  1. 1話とは逆に茜は全く主体的な行動を起こしていない
  2. 最終的に茜を笑顔にしたのは拓海ではなく小太郎である
  3. 小太郎は小説を他人に見せるようになった

①茜は主体的な行動を起こしていない

体育祭という特殊なシチュエーションが設定されており、茜は自分で行動を選択する場面がなかった。

これに対して拓海は茜と体育祭の勝敗を競い、小太郎は茜のイモを探している。

②最終的に茜を笑顔にしたのは小太郎

拓海は千夏・葵の手引きで茜と二人きりになり、バトンを落としてしまった茜を慰める。

そのセリフは以下の通り

「落ち込んでんの?」

「大会じゃなくてよかった」

「予選では本気出せよ。県大会狙えるんだから」

「水野ならできるって。頑張ろうな」

そしてその反応はこれ。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001043794.jpg

拓海の慰めでは茜の気分は晴れなかった。

小太郎は茜がイモをなくしてしまったことを知り、一人で探し、見つける。TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001093681.jpg

これによって茜は大いに安堵し、以下のように心情を吐露する

「あーよかったー。あたしこれがないと緊張して。今日もほら、失敗しちゃって、人に見られるの苦手なんだ。もうホントハズいんだけど、でもやっぱ走るの好きで。ホントダメだよねあたし」

小太郎はさらに以下のように返す

「いや、そんな。恥ずかしくない。水野さんはそのままでいいと思う」

拓海と小太郎、どこで明暗が別れたのだろう。これは複数の要因が複合的に作用している。

  • 小太郎の成り行き上の優位性…(ファミレスで会った)秘密を共有する関係。かつ、茜がイモをなくしたことを偶然耳にし、それを探す時間もあった(比良はリレーに出場していた)。また、小太郎も200m走で転倒しており、いわば転倒仲間だった。
  • 拓海の立場上の不利…拓海は茜とは第一に陸上部の仲間である。だからこそ拓海は陸上の話題で茜を慰めたが、このタイミングで「大会は頑張ろう」というのは意味がなかった。このときの茜は陸上選手として、そしてスクールカースト上位グループのメンバーとして、外面を取り繕って強く振る舞うことに疲れてしまっていた。
  • 小太郎の正直なメッセージ…序盤の200m走の活躍を見て小太郎は茜のことをかっこいいと感じていた。そして彼は、プレッシャーがかかっていなかったときの彼女の走りから感じたことを素直に彼女に伝えた。彼女の素の姿を褒めたのである。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_000305242.jpg

③小太郎は小説を立花に見せた

2話アバンで小太郎は太宰を引用して小説を他人に見せない理由を述べている。

「だって太宰は言っている。人は人に影響をあたえることも出来ず、また、人から影響を受けることも出来ないと」

 しかしラストでは小説を立花に見せて添削を受けている。その理由は茜の心情の吐露を聞いたことである。

「人に見られるの苦手なんだ。もうホントハズいんだけど、でもやっぱり走るの好きで」

 好きなことにひたすら取り組む姿の美しさを、小太郎は茜を見て知った。そしてそれに影響を受けて、恥ずかしさを捨てて自分も小説にひたすらに取り組むこと覚悟を決めたのだ。だからこそ「人が人に影響されないなんて、大嘘だと知った」のであり、逆に人と人の間で影響を及ぼしあえることを信じ始めたからこそ、小説を他人に見せる意味を見出した。そういう意味で「~大嘘と知った」というセリフは結果であると同時に原因でもある。

2話演出

 この展開に合わせて、演出レベルではオーバーラップによるシーン転換が効果的に用いられている。

 冒頭、夜中まで小説を執筆する小太郎が朝の食卓で眠そうにしているシーン。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_000029904.jpg

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_000033519.jpg

もう1つ、今度は立花に添削を受けるシーンからその夜の執筆につながる。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001245586.jpg

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001248708.jpg

この2箇所のオーバーラップによるシーン転換は明確な対比構造となっている。

1つ目では執筆活動が社会生活に悪影響を及ぼしている。2つ目は社会から得た心境の変化やアドバイスを執筆に活用している。

つまり自己から社会への一方的な活動だった執筆活動が、自己と社会の間の円環構造に発展したのだ。

自己と他者の関係で悩みがちな思春期の少年にとって、この成長は意味のあるものだろう。

おまけ~怪電波~

TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」.mp4_001324843.jpg

1話に続き2話でも描かれ話題になった「紐シャドー」

思春期の少年が自室で一人で興じること…それは自慰である。

年頃のペニスは第二の脳…あたかも自らの意思を持つような存在

予測不可能な振動をする紐はまさしくペニスのアナロジー

それを手を使って激しく刺激する…自慰、自慰である。

· 16 min read

※本記事内の画像は『アプリモンスターズ』『デジモンテイマーズ』『デジモンクロスウォーズ』より研究のために引用したものであり、それらの権利はそれぞれの権利者に帰属します。

ついにデジモンシリーズの新作『アプリモンスターズ』の放送が開始された。

デジモンのテレビアニメ(以下単にデジモンシリーズと称する)は以下のとおりである。

  • デジモンアドベンチャー
  • デジモンアドベンチャー02
  • デジモンテイマーズ
  • デジモンフロンティア
  • デジモンセイバーズ
  • デジモンクロスウォーズ
  • デジモンクロスウォーズ〜時を駆ける少年ハンターたち〜

 これらデジモンシリーズには「少年がデジモンと出会い、戦いの中で精神的に成長していく。少年の成長に伴ってデジモンは新たな進化を獲得し強くなる」という共通のフォーマットがある。とりわけ「進化」はデジモンシリーズの重要な見せ場である。強く大きくなるパートナーデジモンの姿によって登場人物の成長が視覚化されるとともに、強大な敵を倒し物語が次に進むという形で進歩がわかりやすく表現される。

 一方で1作ごとに設定が少しずつ変化するのもデジモンシリーズの特徴である。その中で本記事で注目したいのは「舞台が人間世界か異世界か」という点である。

 『アドベンチャー』『フロンティア』『クロスウォーズ』は物語の大部分が異世界で進行する。登場人物は非日常の緊張状態に晒され、彼らのバックグラウンドは主に回想によって提示される。

 一方で『02』『ハンター』は人間世界が拠点となっている。具体的に言えば毎日自宅のベッドで眠れる。このタイプでは登場人物の日常生活を通じて性格や精神的課題を表現することができる。

 『テイマーズ』『セイバーズ』は人間世界編と異世界編にきれいに別れているタイプである。

 ただ、いずれの作品においても最大の敵は人間世界と異世界の両方に害をなす存在であり、それを防ぐのが登場人物の大きな行動指針となる。

 さて、この視点において『アプモン』は同分類されるのだろうか。

 私の見立てでは人間世界タイプである。しかもこれまでの作品の中で最も人間世界に寄せた作品になると思う。その根拠はアプモンたちのバックグラウンドである。

誰もが使うスマホアプリ

実はそこにはアプリの数だけ俺のようなアプリモンスター、アプモンが存在している

 パソコンやネットが「難しい」「よくわからない」ものであった2000年前後に作られた作品群では、デジモンはその起源こそ人間のデジタル技術であるが、人間に管理されているわけではなく、人間からの影響も小さかった(これは『テイマーズ』に詳しい)。彼らは自らの世界で、自らの秩序のもとで生活を営んでいた。

 スマホが爆発的に普及した2016年現在の『アプモン』でも、人間のデジタル技術がモンスターを生み出したという基本設定は変わっていない。しかアプモンたちはベースになったスマホアプリの影響を強く受けている。すなわち、人間の道具としての特徴をよく残している。これは「よくわからない」部分が隠されてデジタル機器がユーザーフレンドリーになったため、それらをモンスター化したときにも人間に近い存在にするほうが受け入れられやすいという考えだろう。まさに2016年のデジモンと言える。

 そしてアプモンたちが人間たちにかつて無いほど近い存在であるがゆえに、アプモンたちが暮らす異世界で冒険するという筋書きは考えにくい。あくまでアプモンたちが人間世界で起こす問題に、人間世界で対処していく展開になると予想する。

 さて、『アプモン』基本設定について簡単に考察をしたところで、本題に入りたい。それはOPである。
『アプモン』のOPは過去の作品へのリスペクトと同時に新鮮さが感じられる。そこで作風が近い『テイマーズ』と『ハンター』のOPとの比較を試みる。

 奇しくも両方とも貝澤幸男が監督であり、OPのコンテ演出も氏(『ハンター』については推測)である。

 ちなみに『アプモン』の古賀監督はデジモンシリーズへの参加歴は『ハンター』で一度コンテ演出をしたのみである。

1.日常に潜むデジモンの表現

『アプモン』

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000162591.jpg

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000164479.jpg

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000165645.jpg

『テイマーズ』

OUpO65c7ynA.mp4_000043120.jpgOUpO65c7ynA.mp4_000045212.jpg

『ハンター』

xros9.png

xros7.png

xros8.png

 群衆をシルエット化(モノクロ化)する技法が3作品に共通している。これはデジモンの存在を知らない一般人と、デジモンと関わる主人公たちの差異を強調している。大人は知らない秘密のモンスターと一緒に冒険する、という設定は普遍的なものだろう。

 人間世界とデジモンの交わり方については、3つの作品に独自の表現が見受けられる。

 まず『アプモン』では、そもそも描かれているのが主人公たちのパートナーである。彼らは同時にスマホアプリでもあり、人間に常に付き添っている。敵ではないが、意識してみると少し不気味な気もするという絶妙な距離感だと思う。デジモンたちがやたらと大きく映し出されているのは、スマホアプリである彼らが特定のパートナーというよりはすべてのユーザーに奉仕していることの現れであり、また、便利さゆえにそれに溺れてしまうという恐ろしさを内包した存在であることの現れでもある。望むと望まざるにかかわらず、彼らはいつの間にか「大きな」存在になっているのだ。

 『テイマーズ』は人間世界への適応に苦労するデジモンたちを逃げずに描いた作品である。左の画像では人間世界で人知れず暗躍するデジモンを人間の文明の象徴たるビルに投影することで、それに気づかない人間たちがどこか滑稽に感じられる。右の画像では人混みの中で楽しそうに手を振るギルモンと、ひっそりと佇むインプモンが描かれる。これはマイペースを失わないギルモンが人間社会においては異物となっていること、そして自分を殺して巧みに立ち回るインプモンは人間にうまく紛れ込めることを表現している。

 『ハンター』ではデジモンたちが出現するのはデジクオーツという特殊な空間であり、人間たちへの影響は限定的である。ここに『テイマーズ』ほどの緊張感はない。

2.巨悪

『アプモン』

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000178441.jpgTVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000184466.jpgTVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000209477.jpg
『テイマーズ』

OUpO65c7ynA.mp4_000088415.jpg

『クロスウォーズ』

xros5.png

 『アプモン』は

スマホの奥に広がるインターネットの海で、

今"凶悪なるラスボス人工知能・リヴァイアサン"がとんでもないことを企んでいるらしい。

という公式サイトの説明がそのまま映像化されている。しかし終盤で他の敵(配下?)のような存在のシルエットがある。

 『テイマーズ』ではインプモンがラスボスのように見えるのだが、実際のラスボスは奥でビルを蝕んでいるデ・リーパである。ミスリードを狙っているとも取れる。

 『ハンター』では一応ここに描かれているのがラスボスのクオーツモンだが、実際はもっ不気味な姿をしている。

3.主人公とパートナー

『アプモン』

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000141779.jpgTVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000175813.jpgTVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000197918.jpg

『テイマーズ』

OUpO65c7ynA.mp4_000068918.jpg

『ハンター』

xros3.png

 『アプモン』は主人公とパートナーの絆を表現するカットが明らかに多く、全ては挙げなかった。具体的には日常、出会い、バトル、進化などおおよそすべてのシチュエーションでハルとガッチモンが一緒に画面に映るようになっている。

 『テイマーズ』の描写は淡白である。しかし「進化して強く大きくなるパートナーと絆を結び続ける」ことを表現したこのカットは、シリーズの伝統である暗黒進化を念頭に置けば重要と言える。

 『ハンター』の絆描写も非常に薄い。かろうじて見つけたのがこれである。

4.ラストカット

『アプモン』

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000213066.jpg

『テイマーズ』

OUpO65c7ynA.mp4_000100307.jpg

『ハンター』
xros6.png

(フジ→朝日→テレビ東京という流浪の歴史が見て取れて泣ける)

 販促は基本…アレ?『アプモン』はいいのか?

 『アプモン』はメイン格4人だけだが、『テイマーズ』『ハンター』ではサブキャラやその他大勢も写っている。このルールは序盤の集合カットでも同様である。

 これは特に『02』でフォーカスされた、「選ばれなかった人間への配慮」という思想の表現と言えるかもしれない。すなわち、特別な力とパートナーを授かった人間の物語ではあるが、そこで伝えたいメッセージは普遍的なものであり、テレビの前の視聴者にも希望を与えたいというものである。

5.対応関係を見つけるのが難しかったところ

 一つは主人公以外のレギュラーキャラの描写である。『テイマーズ』『ハンター』ではメイン格3人の出番は均等だったが、『アプモン』では主人公の描写がダントツに多い。パートナーデジモンがいればみなメインキャラという精神で均等に扱われるということは無いようだ。

217ec26a.png

 1でも挙げた上図のAメロの一連はサブキャラの紹介パートでありながら、ハルの内向的な性格、亜衣への憧れ、そして勇仁との友情などの情報が盛り込まれている。同じ構図を繰り返すからこそ視聴者の目を小さな差異に向けることができる。歌詞も考慮すると、勇仁は非常に重要なポジションのキャラクターであると言える。

TVアニメ『アプリモンスターズ』第1話 [無料配信中!].mp4_000148493.jpg

 販促は基本。虚空でもがきながら手を伸ばしてアプリドライブをつかむハル。

 「なんのために戦うのか」というのはデジモンシリーズの重要なテーマの一つである。この作品でそれがどうなるにせよ、自らの意思でアプリドライブを手に取るカットがここに挿入されていることは、ハルの戦う決意をきちんと描くという予告と解釈したい。

 過去のシリーズと似ているところもあれば違うところもある。

 あたかも本物のデジタル生命体のごとく、マイナーチェンジを繰り返して生き残ってきたデジモンシリーズならではの面白さである。

 キッズアニメの帝王・加藤陽一を迎え、関Pからバトンを渡された『アプモン』がどのような展開を見せるのか、楽しみだ。

· 10 min read

※本記事内の画像は『この美術部には問題がある!』より研究のために引用したものであり、それらの権利はこの美製作委員会に帰属します。

『この美術部には問題がある!』の公式サイトのキャラクター紹介には以下のような文章がある。

内巻すばる

絵の才能に恵まれながらも、

「理想の二次元嫁」を描くためだけに

美術部に在籍する2年生。

そして、三次元にはまったく興味がない。

 違う。

 内巻すばるは三次元に興味がないというのは、視聴者を騙すための記述である。こう書かれているとこれは彼の性癖であり、今後一切変化することは望めないというように錯覚する。
メタ的に言えばこれはずっと変わらない静的なキャラクター設定ではなく、実は1話時点の彼の説明にすぎない。

私の仮説はこうだ。

  1. 1話時点で内巻すばるはまだ性欲のないお子様だった。だから三次元のみならず二次元にも性的な興味は持っていない。
  2. 1話のラストで宇佐美の好意に気づき、少しずつ異性を意識しはじめた。
  3. 「三次元には興味がない」というのは内巻自身が意識して作っている設定にすぎない。

 仮説1の第一の根拠はデータである。多くの不真面目部活アニメが高校を舞台としている一方、このアニメは中学が舞台である。2年生の内巻すばるは13~14歳。近年の研究によるとこの年代の精通率は5割前後である。しかし変声期は来ているので精通も遠くないと思われる。

 第二に彼が二次元に対しても性的な興味を抱いていないことは、1-Bで内巻が宇佐美に理想の嫁の萌えポイントを逐一説明しているところからわかる。

では、萌えポイントを説明させていただきますね。

まずはこのプニかわ幼女フェイス!

さらに猫耳!

(以下聴取不能)

自分が性的な魅力を感じている対象について異性の友人に嬉しそうに語るだろうか?

つまり彼にとって二次元嫁はまだ性的な意味を持っていないと解釈する。

しかし2話以降、彼が三次元の異性を性的な対象として意識していることを示唆する描写が現れる。これが仮説2の根拠となる。

①5-Aで夢子先生に人工呼吸をしなくてはならないとき、心臓の鼓動のSEが入っている。

またこのシーンの内巻の主観カットでのみ夢子先生の唇がピンクに描かれている。

IMG_1704.PNG
さらにこの後宇佐美に「内巻くんにできるわけないもんねー」とからかわれて赤面しながら不服そうな表情をしている。

IMG_1708.PNG
唇を性的な部位として描く演出は『凪のあすから』でも用いられた。

IMG_1706.PNG
②6-Bでは肩車した宇佐美に「頭を動かすな」と言われ赤面しながら返答している。

IMG_1707.PNG
③8-Bでエロ本を見つけたあと赤面している。

もちろんそれ以上に性的なシチュエーションに無反応であるシーンが多いのだが、それは彼が性に目覚めてから日が浅い事、そして「三次元に興味が無い」という設定を意識的に守ろうとしているからだ。

仮説3については彼が自らの性癖をメタ的に語る6-Aの以下のセリフが根拠になっている。

わ、わからん。なんか最近、三次元の美的感覚がよくわからなくなってきてる

 内巻のモノローグは珍しいのだが、彼がこのような言い方をしているということは「三次元に興味が無い」ことが、少なくとも最初のうちは仮面に過ぎなかったということだ。考えてみれば彼も中二である。このくらいの奇行は当然と言ってもいい。

 加えて、内巻が宇佐美に性的な要求をする場面が異常に多い。多すぎて内巻が宇佐美を異性としてみていないというよりも、むしろ面白がってわざと意地悪をしているととらえたほうが自然である。

 さて、この作品は一見して日常系である。日常系アニメでは話数を重ねても基本的な設定は変化せず、いつまでも同じキャラクター・関係の中でストーリーが積み重ねられていく。

 しかし実際はそうではない。自分を想ってくれる宇佐美の存在によって、内巻が大人の階段を登る成長の物語なのである。

補足

栄西@min_nan_a_si

内巻すばるが三次元に興味が無いという設定があるからこそ、セクハラまがいのシチュエーションを純粋に宇佐美のドキドキとして楽しめる。それが「この美」の構造。 #この美 #konobi_anime

2016/09/02 22:50:02

栄西@min_nan_a_si

しかし三次元に興味が無いという設定では内巻はいつまでたっても宇佐美の好意に気づかないことになる。長く連載を続けたい漫画では良い戦略だろうが、1クールで終わるアニメでは単にクライマックスの欠如になってしまう。 #この美 #konobi_anime

2016/09/02 22:52:03

栄西@min_nan_a_si

そこで私は願望をもとに「内巻未精通仮説」を考案した。これは「三次元に興味が無い」設定に時間的な要素を加えて拡張したものである。 #この美 #konobi_anime

2016/09/02 22:53:44

栄西@min_nan_a_si

内巻の性欲が見え隠れするシーンを、彼の本音(育ちつつある性欲)と仮面(三次元興味ない設定)のせめぎあいと解釈する。そうするとこの作品は内巻の性的成熟の過程と捉えることができる。 #この美 #konobi_anime

2016/09/02 22:55:38

栄西@min_nan_a_si

コレットの言うとおり内巻の現在の状態は「不健康」である。彼が成長し、宇佐美の気持ちを認識し、どんな形であれきちんと返答することこそが本仮説をとった場合の「この美」のクライマックスである。 #この美 #konobi_anime

2016/09/02 22:57:33

· 9 min read

思いつくまま追記します。

素晴らしかった。公開2週間前くらいからずっとそわそわしていたけど、期待に応える作品だった。
不勉強なもので『雲のむこう、約束の場所』『星を追う子ども』は見ていない。申し訳ない。
有用な視点を提示するというよりは自分の記録、感想の整理の意味合いが大きいので許してほしい。

 『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』では隔絶というものが一つのテーマになっていたと思う。『ほしのこえ』では天文学スケールの圧倒的な距離とそれに伴うメールのタイムラグ。『秒速5センチメートル』では親の都合による転校だったり雪による電車の遅延だったり。前者は科学技術の限界に伴うものであり、その時代に生きる人間は誰も超えることができない。一方で後者は距離が遠いといっても日本国内レベルであり、単に貴樹と明里が子供だから簡単には会いに行けないだけである。隔絶のレベルが低下することでセカイ感は控えめになったが、だからこそ簡単に会いに行くことはできない二人の幼さが前面に出てくるし、弱い隔絶であっても意外にあっさりと関係が失われてしまうことの儚さを強調している。

 
これまでも新海監督は緻密な美術によって美しい「場所」を描いてきたが、『君の名は。』では上記2作からさらに進んで、場所というものが空間的隔絶を描くための道具にとどまらず、それ自体が愛すべきものとして描かれているのが印象的だった。隕石によって糸守は崩壊する。そしてその風景は永遠に失われる。瀧が糸守の風景を一心に描き、ラーメン屋の親父がその絵に心を動かされて彼に協力する。そしてエピローグでは瀧は風景を失われうるものとして捉え、だからこそ記憶に残る風景を生み出したいと述べて建設業界を目指している。場所というのは視覚・聴覚はもちろんのこと、ときには触覚や嗅覚を含んだ総合的な経験である。だから記録できない。写真で記録してもそれは視覚情報しか保存できない。新海監督は今回町一つ吹き飛ばすという荒業を使ったが、上の2つの「失われた場所」に関するシーンは、監督が場所を失うという災厄に真摯に向き合って描こうという意思を感じるものであった。視聴中は気づかなかったが、これは福島の原発の問題を意識したものかもしれないと、今思った。

 作品全体の構成を振り返ってみると、それほどきれいに盛り上がりが設定されていたとは思わない。面白おかしく入れ替わりを描く第1部、飛騨へ旅して過去との入れ替わりを知る第2部。口噛み酒を飲んで過去と再接続する第3部、そしてエピローグ。第2部の糸守の事実を知るところが最大の驚きであり、そのあとはこれと言って意外な展開はなかった。瀧と三葉の恋愛という観点なら第3部の山頂での出会いは大きなシーンだけど、この二人の恋愛はそれほど大きなウェイトを占めていない。事実描写が少ない。入れ替わってお互いの人生を過ごすうちに自然と心が近づいて恋に発展するという流れは、その適当さこそが高校生の恋愛のリアリティだろうしそれでいいと思うが、やはり軽い。映像面ではここがクライマックスに設定されていたので、ここにあまり没入できなかったのは少し寂しかった。

 瀧君の高校生活は自分と照らし合わせてみるとちょっと信じられないくらい洗練されているが、あれは東京の標準レベルなのだろうか。彼が通っていた高校がどういうところなのかという点も含めて気になる。

 映像面の話をすると、『秒速5センチメートル』ほどのとがった美術があったわけでもなく、絵コンテは全体的に優しいつくりになっていて、熱狂的な新海ファンはこんなの新海誠じゃないってキレるんじゃないかと視聴中は思っていた。エピローグの部分では新海イズムが割と復活していたので、このパートをエピローグなんて呼ぶとマッドな新海ファンに怒られるかもしれないけど、それでもやっぱりこのパートは物語をソフトランディングさせるためのおまけでしかない。

 ポスト駿ということで夏の全年齢向けオリジナル劇場大作には注目しているけど、正直言って『君の名は。』は『バケモノの子』を余裕で越えてる。だが『おおかみこどもの雨と雪』にはまだ及ばない。 それはやっぱり子供が生まれてから(標準的な形ではないが)独り立ちするまでという圧倒的に長い道のりを描き切った『おおかみこどもの雨と雪』にそう簡単に太刀打ちできないということ。

 そういえば小説の『Another Side』は読んだほうがいい。この映画の説明不足の部分をうまく補っているので物足りなかった人も大満足な人ももう一息楽しめると思う。

· 9 min read

※本記事内の画像は『バッテリー』より研究のために引用したものであり、それらの権利はアニメ「バッテリー」製作委員会 にあります。また、本記事内の楽譜は『いつかの自分』(作詞・作曲:小林武史・越野アンナ、編曲:小林武史、歌唱:anderlust)から研究のために筆者が採譜したものです。

『バッテリー』のOPのサビが結構好きなので細かく分析した。

1.曲について

1.1 前半

サビでボーカル以外に耳につくのはストリングスの装飾であった。

まずサビの1回目のボーカルとストリングスを楽譜に起こした。

特徴として

  • ボーカルのメロディは拍子感が強い。赤くマークした音が拍に従っている音でありかなり多い。ドラムも四分打ちである。
  • ボーカルは偶数小節目の1拍目に音がない(8小節目を除く)。奇数小節目と偶数小節目の間で八分音符(青)を入れて変化を持たせている。 

battery2.png

ストリングスの特徴は

  • 奇数小節目で伸ばし、偶数小節目で動く
  • アウフタクトを持つ1小節目を除くと6・7小節目のみが小節の頭に音を持つ

 ではボーカルの特徴とストリングスの特徴を合わせて考えてみたい。

拍に従って4分音符を打つボーカルの規則性が崩れて八分音符が現れるのが奇数小節目と偶数小節目の間である。ストリングスは2小節目と4小節目ではボーカルの動きを妨げないように小節の頭で音を鳴らさないようにして、その後にボーカルの八分音符の動きに応答するかのように八分音符の音型を提示する。

 6小節目ではボーカルがメロディーの最高音であるE♭に到達することから、この8小節間の盛り上がりのピークはここであると考える。ストリングスは2小節目・4小節目とは違い、6小節目は小節の頭から八分音符を含む音型を提示する。ボーカルが休んでいるため、この音型はそれまでの2回よりも力強く聞こえる。

 まとめると、4小節目まではボーカルが常に主導権を握りつつ、ストリングスが控え目に合いの手を入れている。5小節目からは主導権がボーカル→ストリングス→ボーカルと移り変わっている。

1.2 後半

次にサビの2回目(後半)を見てみる。

battery4.png

 ボーカルは1回目と同じである。

ストリングスは1-4小節目と同様に9-12小節目でも小節の頭を避けてあくまで伴奏に徹しているが、伸ばしを基調とした前半とは対照的に八分音符のスタッカートになっている。伸ばしによる伴奏からスタッカートによる伴奏に変化させることで単調さを避けている。

 私の感覚では伸ばしによる伴奏はボーカルの主観的時間を相対的に短縮させ、結果として長いフレーズを意識させる。逆に八分のスタッカートによる伴奏はひとつひとつの音を意識させる。

2.映像

2.1 カットごとの内容

  1. 海音寺・瑞垣・門脇・青波・沢口・東谷・吉貞の間でボールが回されていく
  2. 巧のランニングとそれに自転車でついていく豪(推測)
  3. 瑞垣
  4. 瑞垣
  5. 門脇
  6. 門脇
  7. 豪のミット
  8. 豪と巧

2.2 曲と映像のマッチング

battery5.png

 C1とC2はそれぞれ4小節が当てられている。C1はそれまでの静的な映像とうって変わって激しい動きのあるカットで、たくさんのキャラクターが登場する。

 楽しいだけではない複雑な思いで野球に取り組む3年生の3人が最初に登場し、続いて才能も体力もないが純粋に野球を楽しむ青波が全力でボールを投げる。そしてそのボールが1年生たちの上を飛んでいく。巧と豪以外の主要人物の立ち位置をたった1カットで表現する力技である。
1つのボールの動きを軸にして複雑なカットの内容が強く統合されていることは、曲においてメロディーが強い主導権を持っていることと対応している。

IMG_1608.PNG

 C2は曲のリズムに合わせて走る巧をフォローで撮ったカットである。盛りだくさんなC1の後だからこそ、静的なこのカットは巧と豪の二人だけの特別な世界をよく表現している。
対等なボーカルとストリングスの間でメロディーがリレーされる曲の構造は、バッテリーを組む二人を映すというカットの内容と対応している。

IMG_1606.PNG

 サビの前半8小節間は長いカットが2つあるのみである。これは伸ばしによる伴奏が視聴者の注意を複数の音のまとまりに向けさせることと対応している。

 一方9-12小節目はほぼ1小節に2カットが割り当てられ、素早くカットが切り替わっていく。これはリズミカルな伴奏によって視聴者の注意がボーカルの一つ一つの音に向けさせられたことと対応している。

 C3からC10では4人の主要人物が2カットずつ使って紹介される。瑞垣と豪、門脇と巧を対応付けるような順番で並べられているのは今後の展開を示唆している。また、アニメのお約束である左右の切り替えしをうまく絡めて横手中の2人が下手、新田東中の2人が上手にまとめられている(私は上手下手に絶対的な意味を付与することには反対である)。

 C11からC13はこのアニメの最も象徴的なシーンである。広いグラウンドでユニフォームを着て対峙しているにも関わらず、周りに他の人間は一切いない。これは巧が投げ、豪が受けるシンプルな関係(=『バッテリー』)こそがこの作品の核であることを端的に表現している。
さらに巧が結局投球をしないままホワイトアウトして終わるのも趣深い。それはこの作品が野球の面白みというよりは、むしろ野球を愛し野球に翻弄されながら成長する少年たちを描くものであると印象付けている。

IMG_1609.PNG

· 18 min read

※本記事内の画像は『パズドラクロス』1話より研究のために引用したものであり、それらの権利はパズドラクロスプロジェクトにあります。

『パズドラクロス1話 ドロップ・インパクト』

脚本:永川成基・佐藤大 絵コンテ・演出:亀垣一 作画監督:秋山由樹子 作画監督協力:遠藤裕一・遠藤正明 キーアニメーター:渡部圭祐

アニメの1話では、既にある世界観やキャラクターといった静的な情報と、物語がどうやって動き出すとかいう動的な情報を提示しなくてはならない。

パズドラクロス1話「ドロップ・インパクト」では脚本・演出が一体となってそれらを見事に達成していた。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000123051.jpg

Aパートファーストカット。3つの月を背景に飛行するドラゴン。定番ではあるが、これだけで「そういう世界観か」とわかる。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000153867.jpg

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000160835.jpg

隕石のようなものが海に落下したかと思うと、そのまま夜明けを迎える。隕石が落下したこの街が舞台であることをスムーズに示す。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000201161.jpg

鳥の群れを散らして街の上をドラゴンが飛ぶ。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000203688.jpg

ドラゴンが地上に作る巨大な影を見ても驚かずに開店準備を続けるおっちゃん。つまり、ドラゴンのような存在が当たり前な世界であると分かる。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000231658.jpg

「朝市に行くんだろう?だったらこっち使いな」

「えぇ?」

「とぼけてんじゃないよ」

「えへへ」

このやり取りだけでも

  1. エースは普段からミセス・シードニアの家の庭を近道に使っている
  2. エースはその近道を知らないふりをした
  3. ミセス・シードニアは1のことを知っており、それを許している

という複雑な関係が推測できる。

これによってエースが街の人と良好な関係を築いていることや、表面上でミセス・シードニアをだまそうとしたいたずらっぽさ・したたかさが表現されている。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000243128.jpg

「父さん、いるんだろう?エースを通してやって」

「おはよう」

「それくらい飛び越えんか」

「はーい」

「こないだの魚あったら一匹頼む」

ミスター・シードニアもエースと顔なじみであり、あいさつもなしにおつかいを頼むほど仲がいい。

さらにエースが元気いっぱいの少年であり、扉くらい簡単に飛び越えられることを知っている(このあとエースは庭の逆側の柵を飛び越える)。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000248973.jpg

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000253165.jpg

となりの建物の屋上に飛び移り、昇降機を使って降りる。

エースが毎日のようにこのルートを使っていること、この街の構造についてよく知っていることが表現されている。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000290240.jpg

「これ、ください」

「うちの卵はなあ、どれも産みたて新鮮だ」

「だね」

「ただ、やつらにもその日の体調ってやつがある」

「あるね」

「なぜわかる?」

「わ、わかるって?」

「これだけじゃねえ。魚屋のウォルトンも言ってた。その日一番のイカを見抜かれたと。よーしエース。お前はやっぱり俺んちの養子になるべきだ」

「何言ってんだいあんた、エースにはレナがいるじゃん」

「もちろんレナごともらうさ~」

重要なシーン。エースに何かを「見抜く」力があることが示される。

そしてエースの受け答えは非常にフランクであり、このおやじと毎朝のように会話していることがわかる。

エースがこの街で暮らしてきた過去が垣間見える演出である。

妻のセリフからエースの家族はレナ(母)だけであることが示唆される。

それに対してエースが特段神経質な反応を見せないことからもまた、彼に性格や環境を推しはかることができる。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000501697.jpg

エースが帰宅。

「ただいまー」

「あぁエース、えっ、あ、あーちょっと」

「あとでシードニアさんが顔出すって」

「よおハル、どうした?腹でも痛いのか?」

「お腹痛いやつがコーヒー飲みに来る?(ハッピーを見て)ハッピー!もうどこ行ってたの?」

「やっぱりか。首輪ついてたから」

「ハッピーを知っててさらおうとしたんだ」

「怒るぞ」

「うそうそ、ありがとうエース。お礼に何でも食べて」

「俺んちだ!」

このシーンを言葉で説明すると、ハルがハッピーがどこかに行ってしまったとレナの店に相談に来たら、そこにちょうどハッピーを連れたエースが帰宅したというもの。

しかしその状況を丁寧に説明するセリフがほとんどない。

レナはエースがハッピーを連れてきたのを見て驚くがハルに伝えようとはしない。

エースとハルはいきなり軽口をたたき合っている。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000547535.jpg

「ほんとにここの目玉焼きは最高です!明日も来ます」

目玉焼きが美味しいというのは、エースがいい卵を選んでいるから。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000558609.jpg

「エースも男なら龍喚士を目指すべきべきよ」

ここでこの表情。レナはエースに龍喚士になってほしくないことがそれとなく示される。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000574023.jpg

「エースも男なら龍喚士を目指すべきよ」

「俺が?考えたことないや」

「モテるのに」

「そうなの?」

「そうよ。当たり前じゃん」

「さてはかっこいい人いるんだ」

「ふーん、そういうこと」

「今朝さ、ビエナ湾に隕石落ちたって知ってる?」

龍喚士になればモテるという言葉で釣るというのはありがちだが、そこでレナが逆にハルがカッコいい龍喚士に憧れていると切り返す。

そしてエースもそれに同調してからかおうとするが、ハルがしれっと話を逸らす。

レナが割り込んでくる流れの若干の不自然さを考慮すると、エースを龍喚士にしたくないために茶化しているようにも読める。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000664102.jpg

「(回想)いつか見えるようになるかも」

ドロップが見えないのに龍喚士になろうとするハルに対して、ドロップが見えるのに龍喚士には興味がないエース(公式サイトあらすじによると初めて見えたらしい)。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000684733.jpg

「ねえ、ハッピーって喋ったことある?」

「うーん」

「なに?」

「よかった。熱はないみたいね」

「熱なんてないよ」

「いつから声が聞こえるのかなあ。先生に言ってみて」

突拍子もないことを尋ねられたハルは言葉で反応する前に、エースに熱があるのではないかと茶化して熱を測る。

この直後にハルはランスを見つけて、頬を赤らめて話しかけている。

ハルはランスに憧れている一方で、エースとは遠慮のない関係であることが表現されている。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000758637.jpg

「ただのカッコつけじゃん」

ランスが視線を感じて振り返るとエースが見ていた。

アイスクリームが溶ける描写は、エースがランスを見て何かを考えており、手元のアイスが溶けることに気づかなかったことを示している。

その後のエースのセリフの解釈は2通り考えられる。

  1. エースは龍喚士のことが嫌い
  2. エースはランスのことが嫌い

ただ、おそらくエースとランスは初対面であり、エースがランス個人を嫌いになる理由があるとは考えにくい(ハルがランスに見せた態度から嫉妬したとも考えられるが、ハルとエースの関係を見るとあまり妥当ではない)。

そう考えるとエースは龍喚士という存在そのものにあまり好感を持っていないという解釈が有力である。

これは(ドロップが見える才能があるのに)龍喚士に興味がないという事実と整合する。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000773770.jpg

しかしその直後、自分を呼ぶ謎の声に導かれて歩き出す。ここで思わずアイスクリームを落としてしまう。

メタ的に言えばこの「謎の声」はエースを龍喚士の道へ導く存在だろうから、皮肉なカットである。

エースは龍喚士には興味がないが、この謎の声にはなぜか惹かれてしまう(アイスクリームを落とすほどに)。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000788775.jpg

運命的な出会い。陰影がはっきりしたレイアウトに入射光が入り、特別な出会いであることを印象付けている。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000840446.jpg

「お礼にアイスおごるっていうから、それをデートって、おかしいよ」

「今はその話どうでもいいかな」

「ええー、じゃあ、何が?」

(レナが卵を指さす)

「ええー、あれ、おかしいな。気づかなかった。なにこれ」

「とぼけない」

「あはは。イヤサン埠頭でさ、見つけたんだけど。こんなの見たことないんだ。なんのだろう」

エースは卵を持ち帰ってきたことを怒られているのだと分かっているが、デートをすっぽかしたことを怒られていると勘違いしているふりをしている。

冒頭と同じように複雑な欺きを行っているのだ。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000852983.jpg

卵を見たレナは驚く。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000865865.jpg

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000870833.jpg

「うちはお店やってるのよ。ペットなんて飼えません」

一見正論であるが、合間に一瞬目をそらして悲しげな顔を見せる。先ほどの驚きと合わせるとこの発言は本音ではないのだろう。

本心ではこの卵がエースを龍喚士の道へ導くことを予期しており、その先に悲しいなにかを想起している。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_000890722.jpg

「(回想)大人になったら一緒にモンスターを探しに行こうな」

「お父さん…」

卵を戻しに行くエースの回想。

エースやレナが龍喚士に対して見せる微妙な態度や、エースが卵に対して見せる執着はこの1カットに集約されている。

もちろん1話の段階でただ1カットだけの回想ですべてを言い当てることはできないが、父親が今はいないこと、そしてそれにまつわる過去の何らかの出来事がエースやレナに大きな影響を与えていることは間違いないだろう。

ここでAパートは終了。Bパートはバトルの見せ場なので、本稿のテーマと関係あるところだけ見ていく。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_001009599.jpg

住民が退避させられている現場にエースが潜入できたのは、冒頭で示されたようにエースが街の構造をよく理解しているからである。

パズドラクロス #1「ドロップ・インパクト」.mp4_001107000.jpg

「カッコつけ!すぐにやめさせろ!なんでモンスターをあんなふうに使うんだ!」

ランスに対して。

実際には暴れているモンスターはランスのものではないのだが、エースはランスがモンスターを暴れさせていると誤認している。

そのうえでモンスターをそういう風に使役することに対して強い反感を覚えている。

ここから2つのことがわかる。

  1. エースはランスが(龍喚士)がモンスターを暴れさせているに違いないという先入観を持っている
  2. エースはモンスターとの望ましい関係について自分の考えを持っている

これらは、やはり父親と何らかの関係があるのではないか。

全体として

  1. セリフが直接的ではなく、視聴者にとって不親切だがキャラクター目線でリアル。だからこそ作品世界の空気が感じられる。
  2. 言葉に頼りすぎることなく行動・視線・表情によってキャラクターの性格や考えが良く表現されている。

このような点から、パズドラクロス1話は冒頭で挙げたアニメ1話の条件である静的・動的な情報のうち、特に静的な情報を効率的に提示できている。

本稿ではあまり取り上げなかったが、ランスの来訪やBパートのバトルは逆に動的な情報である。

Aパートで静的な情報が非常にうまく提示できたからこそ、Bパートではバトル描写に専念できた。

脚本は永川成基氏・佐藤大氏の連名。佐藤氏はシリーズ構成であり、永川氏はストーリーライダーズのメンバーである。

クレジット順から推測すると永川氏の脚本を佐藤氏が構成として監修したということだろう。

永川氏のこの独特な会話の作り方や情報の出し方は視聴者に対して挑戦的だが、安易に視聴者に接近せずに作品世界がそれ自体として独立しているように感じさせる効果がある。

同じような雰囲気は永川氏がシリーズ構成を務める『スカーレッドライダーゼクス』1話にも見られた。

今期の永川氏の活躍に注目せよ。

· 25 min read

※本記事内の画像は『キズナイーバー』6話より研究のために引用したものであり、それらの権利はキズナイーバー製作委員会にあります。

こんにちは。栄西です。

 キズナイーバー6話が素晴らしかった。当初から何かあるだろうと匂わされていた牧の過去が明らかに。作画演技音楽すべてがうまくかみ合っていたが、特に絵コンテの主張の強さが気に入った。そこでキズナイーバー6話の小林寛さんの絵コンテについて検討していく。

 アニメの研究においても蓄積性というのものが大事なので、まずは先行研究のレビューから入る。

1.先行研究のレビュー(簡単に)

先行研究はこれら↓

『ブラック★ロックシューター』第4話 絶望をどうやって映像的に表すのか - あしもとに水色宇宙

アニメ演出家・小林寛の構図に酔いしれる - OTACTURE (id:ukkah / @ukkah)

これらの記事をまとめると、小林寛さんの絵コンテの特徴として

  1. 光と影の対照
  2. 人物の横向き・端寄せ配置
  3. 奥行きのあるレイアウト
  4. カット割りによる人間関係の表現
  5. 不安定なカメラ位置(位置関係の攪乱)

が挙げられている。いちいち当てはまりを指摘はしないが、ここに注意しながら読み解いていく。

2.キズナイーバー6話について

 絵コンテは小林寛さんと山﨑雄太さんの連名。小林寛さんは1・2・4・6話に絵コンテで参加しているがすべて連名であり、かつ演出はしていない。この6話も本来ならば完成映像の特徴を安易に小林寛さんに帰属できない状況だが、先行研究を参照するとこの6話にはかなり小林寛さんの影響があることが伺える。

6話の脚本上の構成は以下の通り。

  1. S1 アバン
  2. Aパート
    1. S2 勝平宅
    2. S3 回想
    3. S4 牧の帰途
    4. S5 市長室
    5. S6 車中
    6. S7 ファミレス
  3. Bパート
    1. S8 喫茶店
    2. S9 牧の帰途②
    3. S10 勝平宅②
    4. S11 学校
    5. S12 ホール

3.分析

S1.アバン

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000019654.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000020551.jpg

瑠々と牧が歩くのを真横からとらえている。

状況説明のための引きのカット(エスタブリッシングカットというらしい)はあるものの、会話する2人は基本的に同じカットに映らない。

左寄せの瑠々と右寄せの牧が発言の度に交互に映る。この話数の会話はこういう見せ方がかなり多い。
背景が紫と茶色…のような微妙な色合いになっているのも面白い。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000057708.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000060800.jpg

後半ではこの規則性が崩れる。これ以降注目したいのはライティングであり、常に瑠々の顔が影になり、牧の顔が照らされている。

瑠々が牧に覆いかぶさるカットは5話の牧が由多を組み伏せるカットを思わせる。

S2.勝平宅(S3の回想は省略)

合宿編を終えた後の状況説明

演劇のセットのように部屋を真横から映したカットが軸になっている。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000170845.jpg

 このシーンでは同じ人が発言するカットのレイアウトは全く同一である。疑似的に限られた個数のカメラを切り替えながら撮影しているようなものである。このようなレイアウトの流用はこの話数を通して非常に多くみられる。

 定点観測的な映像を作ることによって作品世界の独立性を強調する、つまり登場人物の行動や作中の出来事をリアルに(⇔作り物)感じさせ、撮影者・制作者の存在を意識させないという効果があると考える。

それぞれのカメラにおいて同フレームに収まる人物の組み合わせは以下のとおりである(回想後)

  • 天河(+日染)
  • 千鳥(+勝平)
  • 日染+仁子+勝平

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000327633.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000335879.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000344609.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000182028.jpg

天河と千鳥のカットは左寄りと右寄りで対になっている。フラグが立ちつつある天河→千鳥の好意を暗示しているのか。

しかし2人の間には勝平が挟まっており、千鳥のカットに勝平の一部が映り込むことで千鳥の思いは勝平に向いていることを示唆している。

日染+仁子+勝平は変人3人組ということだろうか。

牧が他の5人と同時に映るカットは1カットのみであり、牧が他のキズナイーバーと距離を置いていることが視覚的にも表現されている。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000376179.jpg
奥行きを望遠で圧縮したカット。小林寛度20くらいか。

S4.牧の帰途

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000412771.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000421001.jpg

左に向かって帰る牧を仁子が追う。アバンと位置関係が一致している。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000433113.jpg

 真横・真正面の均整の取れたレイアウトの中に突如現れる斜めのレイアウト。仁子の発言から受けた衝撃の大きさを物語る。

 回想によって「仁子、バカだもーん」というセリフが瑠々の「私、バカなの」というセリフに対応することが示される。牧は自分と友達になろうとする仁子を見て瑠々を連想し、心の痛みを感じる。牧が瑠々との関係によって何らかの傷を負っていることを示唆している。

S5.市長室

うって変わって園崎のパート

このシーンは一部を除いて2つだけのカメラで撮影されている(=使われているレイアウトが2通りしかない)

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000462704.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000468645.jpg

2つのカメラの視線は真正面から衝突しており、絶対に両者が同じカットに映ることはない。

園崎と市長の間の対立関係を暗示している。

S6.車中

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000523317.jpg

奥行きと光をうまく使った小林寛カット。役満とは言わないまでも満貫くらいはつくだろう。位置関係の説明も兼ねている。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000546282.jpg

「本当の罪は忘却ぶりっ子」

ガラスに映る自分に向かっての発言。園崎自身の罪ということなのだろう。

S7…特に見どころがなかったので省略

S8.喫茶店

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000627219.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000629915.jpg

対面しての会話だが福澤と牧は同じカットには映らない。

牧は福澤の要求に応じるつもりがないからである。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000684103.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000711307.jpg

同ポジションの効果の一つは差異の強調である。

ここではいきなりの由多の登場をコミカルに印象付けている。

S9.牧の帰途②

 アバン・S4とは逆に右側へ歩く牧。それを追う由多。

 由多が仁子とは違うアプローチで牧に近づこうとしていることを表している。仁子は「友達」という形にこだわっているが、由多はストレートに牧の内面に迫ろうとしている(呼称もこのシーンの途中で「穂乃香ちゃん」から「あんた」に変わっている)。

 牧の態度も仁子に対しては「友達はいらない」という消極的な反応だったのに対して、由多に対しては「本気で嫌いだ」という攻撃的なものになっている。

(上手下手に絶対的な意味を付与するのは好きではないが、敢えて言うなら下手から上手への移動は物語の転換の兆しだろうか)

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000724806.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000726745.jpg

S10.勝平宅②

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000789803.jpg

再び勝平宅。シーンの前半ではカメラが窓を向いており逆光。キャラの顔の影の面積が大きくなる。

キズナイーバーの誰かの心が痛みが伝播し、全員の気持ちが沈んでいることを表現している。視線もバラバラ。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000801925.jpg

転換点となる由多からのメール。カメラ位置がぐるりと転換している。

S11.学校

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_000984639.jpg

2人のテレビクルーと牧が奥行きを持って配置され、牧が追い詰められている様子を表現している。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001145304.jpg

 こちらも、割と奥行きを感じる。平面的なカット割りとのメリハリが効いている。

 劇中のイベントそのものが派手な場合と、劇中のちょっとしたイベントに(疑似的な撮影者が)意味を付与して伝えたい場合がある。

 この話数では多くが後者であり、そこでは意味の付与に適した平面的なレイアウトが用いられる。一方このシーンはこの話数の盛り上げどころであり、牧をテレビ局から救うというそれ自体派手なイベントが描かれている。この場合では空間をリアルに描いてイベントの描写に注力しているのだろう。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001164227.jpg

流れの中ではインパクトがあるけど、このカットを取り出すとなんかなあ。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001181151.jpg

悲しげに安堵する表情の作画、声優の演技、どちらも見事。

まとまりがなくなってしまうので触れてこなかったが、このような真正面アングルも繰り返し用いられている。

S12.ホール

ラストシーン。緊張極まる勝平と園崎の対峙。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001244867.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001252310.jpg

ここでも会話のキャッチボールに合わせて細かくカットが切り替わり、同時には映らない。

さらに園崎は顔すら映らない。緊張をかきたてる。

kankei.png

図示してみると割と不自然なカメラ位置設定となっている。

①は園崎の目線と読むこともできるだろうが、それなら勝平が中央に据えられていないことに違和感がある。

勝平と園崎が一つの空間にいることがわかりにくいレイアウトによって、この会話が親密なものではなくむしろ対立をはらんだ不穏なものであることが示される。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001306685.jpg

これまでの規則的なカット割りを打破したアップ。静かな語り口ではあるが、映像によって言葉の重みを強めている。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001312783.jpg

さらに新しいカメラ位置からのカット。園崎をなめて勝平を映すことで、勝平の言葉を受けた園崎の内心を考えさせる。

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001245681.jpg

キズナイーバー 第6話  あんた達といると、ほんっとにろくなことがない.mp4_001327488.jpg

 再び、同ポジションは差異を強調する。「軽蔑します」と言い残して勝平は去っていった。

 表情こそ変わらないものの、直後の激しい打鍵は園崎の心が激しく揺れ動いていることを表現している。

 さらに深読みすると鳴らした音は「ラ」であり、一般的にオーケストラのチューニングに用いられる音である(実際はこの1オクターブ上だが)。そのような調和をつかさどる「ラ」の音を激しく鳴らすことは「均整のとれた世界観や統一感、調和」への抵抗(ぎけんさんの考察を参照)なのかもしれない。

4.まとめ

絵コンテは2人の連名だったにも関わらず、濃い目の演出で統一感が保たれていました。

どのような役割分担が行われていたのか気になります。

しかし小林寛監督、定点観測(同ポ)とか真横アングルとか真正面アングルホント好きですね。

絵コンテを通した演出の押しの強さからは細田守を連想しました。