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· 7 min read

あといろいろ思ったことね(ネタバレあるよ)

  • エリアルを拾うシーンの作画すごい
  • 少年役に少年を当てるアニメは正しい
  • ミド何者なんだ。強い母親の典型としてのキャラなんだろうけどもうちょっとバックストーリーあってもよくない?
  • 「お母さんを守りたい」って言う子供いる?
  • 余計なセリフ多すぎ。たとえばエリアルを拾うシーンで母親がとても強くエリアルを掴んでいるのをわざわざマキアのセリフで説明させる必要あった?
  • 思春期エリアルかわいかった。いろいろ手ほどきしてあげたい。老いない母親という脚本の仕掛けを一番うまく活用できていたのはこのパートだと思うのでもっと見たかった。兵士になりたいのはよくわからなかった
  • クリム・レイリアの話は上手くマキア・エリアルの話に絡んでないのでいっそのこと無くてよかったのでは。国家の話とかレナトの話とかも、詰め込みすぎだと思う。どこに注目すれば良いのかわからない。全部丁寧に書いて1クールやるか、削減しまくって30分に収めるかどちらかのほうが良かった。
  • 明らかに現実の女性の困難を意識した描写、たとえば子育てと仕事の両立とか若すぎる母親への冷たい視線とかはあからさまで笑ってしまった
  • 映像演出力のなさ。絵コンテも演出も劇場アニメにしては多すぎる人数で分担しているので統一性がない。背景を細かくして光の効果を足していけばいいというものではない。近いテーマの「おおかみこどもの雨と雪」とどうしても比べてしまって見劣りしていると感じた
  • 音楽は特に印象的なものがなく、つまり全然ダメだった

思い出したら追記します

2/28 追記
2回目見てきたんで

  • ストーリーの軸はマキアの「泣かない」とエリアルの「守る」という2つの約束。
  • エリアルが母を「守る」ことに固執する理由がよくわからなかったが、6歳編でのクリムとの会話が彼に大きな影響を与えたということ。母親の旧友であり、母親を泣かせるクリムはエリアルにエディプス・コンプレックスを起こさせたのだろう(僕はこの概念を信じていないが…)
  • エリアルとクリムはそれぞれマキア・レイリアとの関係において綺麗についになると思ったんだけどどの描写が決め手か忘れてしまった
  • レイリアは妊娠を理由にマキアとともに逃げることを拒むが、そのシーンで彼女はバロウによって左右に引き裂かれた垂れ幕?を見上げていた。上から垂れ下がる布である垂れ幕はヒビオルであり、縦に時間・横に人間関係を記すヒビオルを左右に裂くことはレイリアがマキアやクリムと別れて生きることを覚悟したことを意味している
  • 15歳エリアルが酔ってマキアにおかえりのキスを要求するのは何なのだろう。異性としてマキアを求めていたとしても、ああいう絡み方はおっさんのそれであって15歳には思えないんだよなあ。僕としてはあれは昔に戻りたい気持ちの表出なのかなと思った。母子関係と男女関係の間のアンビバレントな状態というか。
  • 15歳編ラストで窓に掛けられたモビールが映る。モビールは「吊るされる」という点でヒビオルと共通点を持つが「分岐する」という属性も持っている。エリアルがマキアと別れて生きることを選ぶ15歳編の総括としてモビールを映すのは見事。

以下友達が言ってたこと

  • 思春期に母親のことを「母さん」と呼ばなくなる現象は普遍的だが、マキアとエリアルの関係に限って言えばそもそも本当の母子ではないので、この現象に違う意味が重なってくる
  • 一般的には思春期を過ぎればまた「母さん」に戻るが、マキアは不老なので(少なくとも外形的には)もう二度と「母さん」には戻らない

· 2 min read

いろいろ批判したい点はあるんだけどさ…(ネタバレあるよ)
ディタの出産とエリアルの戦いが対比されるシーンあるじゃん?あれどういうつもりで作ったんだろう。
エリアルはなんとか生きて帰って子供の顔を見られたけど、エリアルが斬り殺した敵兵にも家族いますよね?
生と死というドラマチックな対比を作りたかったのかもしれないけど、僕には生と殺に見えてしまった。
人を殺しても妻と娘が待つ家に帰れればそれでハッピーなんだろうか。
自分の家族や故郷を守るためとはいえ兵士として戦いに参加して人を殺すという行為って、出産という普遍的な営みと対比して良いものだろうか。僕が敏感すぎるだけ?
そこにはわずかでも批判的な視点を置いて欲しかった、という僕の願望ね。

· 3 min read

※本記事内の画像・動画は『からかい上手の高木さん』3話より研究のために引用したものであり、それらの権利は山本崇一朗・小学館/からかい上手の高木さん製作委員会に帰属します。

脚本:待田堂子

絵コンテ・演出:パク・キョンスン

演出助手:岩岡夢子

作画監督:諏訪壮大

作画:澤田裕美 和泉絹子 千葉ゆみ

からかい上手な高木さん3話、ちょっとだけ作監やってます。あとOPも少しだけ入ってます。

— すわそ (@turn_turn214) January 26, 2018

優れた演技プランとそれを実現する作画力によってキャラクターの心情がよく表現されていた。

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3人の動きが隙間なくつながってリアルな会話のテンポ感を作り出している。

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  1. 困ったような顔
  2. 肩をいからせて恨めしそうに高木さんを見る
  3. 瞬き
  4. 嫌悪
  5. みじめ
  6. 嫌なことは忘れて帰ろう

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高木さんの顔が映らないアングルだが、わずかに、しかしわざとらしく首を傾げる演技で高木さんのペースが崩れていないことを表現している。
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リアルカエル作画(デカい)
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丁寧で繊細な芝居を積み重ねてきたからこそデフォルメされた動きが映える。

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  1. 高木さんの大胆な発言に驚く
  2. 負けたくない気持ちと恥ずかしい気持ちがせめぎあっている
  3. 高木さんをちらりと見て負けられないと決意する
  4. しかし「キス」と言うのはやはり恥ずかしい

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「最初の文字が『あ』でさ」「アイ」

恥ずかしい言葉を言わせてからかうというシチュエーションなので、ジャパニメーションでは珍しいリップシンクを用いてキャラクターが言葉を発するという現象を特別なものとして(異化して)描いている。

· 8 min read

ゲーマーズOPは全体が美しく構成されている。絵コンテ・演出の中山竜の美技に酔え。

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 メインキャラクターたち。背景は真っ白で、輪郭線は各人のイメージカラーになっている。

 具体的な場所を設定しないこと、そして輪郭線を5人それぞれの色にすることによって5人のキャラクターを抽象化している。

 ここに続く天童・千秋・亜玖璃のそれぞれのカットも同様に抽象化されているため、3人の動きは具体的な状況とは独立した、それぞれに内在する性質を表現している。平たい言葉で言えば、どういうキャラクターなのかということを表現している。

 OPでキャラクターを描くとき、そのキャラクターがいつどこでその行動をとったかという情報を削ぎ落とす、つまり抽象化することがある。OPは全話数で同じ映像が流れるので、特定の時間・場所でキャラクターがどう行動するかではなく、物語全体を通してどのように変化していくかということを表現したいからだ(一方で物語の転機となるような重要な出来事を敢えて具体的に描写するという手法もある。『テイルズ オブ ジ アビス』のOPが顕著である)。gamers02.png

続いて景太が電源スイッチを押すと、風が吹き、画面がホワイトアウトする。

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ゲーム機やコントローラー、ボタンが手前に向かって流れてくる。裏返せば自分が奥に向かって進んでいるということで、ゲームの世界に飛び込んでいくことを視覚的に表現している。

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それぞれのゲームの画面をパロディしながら、5人がいろいろなゲームの世界を転々とする様子が描かれる。歌詞とのマッチングもよく楽しい。

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最後に本当の姿に戻り、巨大な敵と対峙する。空は暗い。

栄西@min_nan_a_si

4人がそれぞれゴーレムに対してどういう位置から攻撃しているか。同じ高さ→斜め下→斜め上→真上とうまく散らしている。最初の3人がバラバラの位置から攻撃するからゴーレムを様々な角度から撮ることができて、巨大さが十分に表現できる。だから… https://t.co/pWBXGLBpIF

2017/08/23 00:39:15

栄西@min_nan_a_si

景太が最後に大きく跳躍するんだけど、その大ジャンプの準備のためにその一歩前の歩幅も大きくなってるんですよね。 #ゲーマーズ

2017/08/22 22:58:06

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倒す。夕焼けか朝焼けかわからないが、最初は暗かったのでたぶん朝焼けだろう。どちらにせよ時間の移り変わりを感じさせる空の色である。

  • サビの最後、一瞬伴奏が薄くなったあと、再び音楽は盛り上がってイントロのメロディに戻る。
  • 歌詞は「弾ける想いリロード もうちょっと一緒しよ」。「リロード」という言葉は何かが終わったときにもう一度始めようというイメージを持っている。
  • 朝焼けは一日の始まり。今日は何をしようかという希望を感じさせる。
  • ゴーレムを倒したときの描写は破壊的な爆炎ではなく、どこか美しさを感じさせるピンク色の光になっている。

これらの描写を総合すると、音楽と映像を合わせて「ここが終わりではない、新たな始まりである」というメッセージを表現している。

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 ゲームクリアがどうして終わりではなく始まりなのか。それは、この作品ではゲームの先にあるものこそが本当に描きたいものだからだ。公式サイトの文章から引けば、この作品は「こじらせゲーマーたちによるすれ違い青春錯綜系ラブコメ」らしい。ゲームという共通の趣味はあくまできっかけであって、その先には「ラブコメ」、全人格的な人間関係がある。

 画面に注目してみると、景太が右から左に、天童が左から右に歩いてくる。つまり、離れていた2人が同じ場所に集まろうとしている。

 足を映すということ、それは歩行あるいは移動という行動を切り取って強調する意味を持つ。顔も表情も映さず、服装と輪郭線の色だけで誰かを説明している。つまりここでも抽象化が行われている。いつどこでという情報を捨象して2人が接近するという映像を抽象的なものとして見せているので、この接近は2人の気持ちが近づいて恋愛関係が生まれるという風に解釈することもできる。

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そして冒頭と完全に同じカットで終わる。ゲームの世界から白背景色トレスの世界に戻り現実の姿で終わるのも、この作品がゲームではなくゲーマーの人間関係を描くものだからだ。

栄西@min_nan_a_si

いろんなゲームのオマージュがネタとして面白いとかそういうレベルじゃないんですよ。5人で始まって5人で終わるという円環構造と音楽の構造がちゃんと噛み合ってる。 #ゲーマーズ #中山竜

2017/08/15 20:06:43

なお『ゲーマーズ!』はOPのみならず本編の演出も非常に優れている。見てね。

栄西@min_nan_a_si

おいおいおいおい!!なんだよこのカット!!すげえ演出きまくってんぞ!? #ゲーマーズ https://t.co/jryDsDJg0k

2017/08/16 21:38:16

栄西@min_nan_a_si

「スランプから抜け出す何かを掴めるかもしれない」 #ゲーマーズ https://t.co/7JxA2bdB0C

2017/08/16 21:56:39

· 5 min read

※本記事内の画像はアニメ『徒然チルドレン』および”http://tsuredurechildren.com/至近距離恋愛/”より研究のために引用したものであり、それらの権利はそれぞれの権利者に帰属します。

『徒然チルドレン』は高校生のカップルの短編集である。

必然的に男女2人の会話が中心になる。原作では4コマという形式もあり、比較的シンプルな構図が多い。

一方でアニメでは原作をかなり膨らませた演出が行われており、メディアの違いを反映していて興味深い。

3話Ep1『至近距離恋愛』は原作がネットで公開されているので定量的分析を試みた。

全部載せると引用の範囲を超えるので例示に留めるが、以下のような原作とアニメの対照表を作った。

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原作は4コマ×11本の計44コマから構成されている。

このエピソードでは原作の3本目(9コマ目)から千秋と香奈の2人きりのシーンになるので、そこから最後までの36コマを分析の対象にした。

それに対応するアニメ側のカットはC15からC52までの38カットである。

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図1.各4コマ漫画に対応するアニメの時間

図1は分析対象である9つの4コマ漫画それぞれに対応するアニメの尺を積み上げ横棒グラフで表現したものである。縦棒は時間を9等分した箇所を示している。アニメの尺の切れ目は9等分の線と比較的よく対応している。このことから、アニメは4コマ漫画という構成単位では原作のバランスを維持している。

表1.各4コマ漫画に対応するアニメのカット数

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表1に9つの4コマ漫画それぞれに対応するアニメのカット数と、それを4で割った値を載せた。1つの4コマ漫画に対応するアニメのカット数が4.33であり、1コマあたりは1.08なので、原作のコマをそのままアニメにしているように見えるが、4コマ漫画間の標準偏差は3.13と非常に大きい。このことから、原作の1コマをアニメでは複数コマに拡張したり、逆に原作の複数コマをアニメでは1コマに収めたりという工夫が多く行われていることがわかる。

表2.原作の各コマに描かれているのは誰か

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表2に原作の各コマに描かれているのは誰かをまとめた。ほとんどのコマ(88.89%)で2人が同時に描かれている。

表3.アニメでそれぞれの人物が画面に映っている時間と割合

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表3にアニメでそれぞれの人物が画面に映っている時間とその割合をまとめた。時間ベースのキャラクターの描写量は原作と大きく異なる配分になっている。すなわち、香奈のみを映したカットが激増している。

まとめ

  • ひとつひとつの4コマ漫画は概ね同じ尺でアニメ化された
  • ひとつひとつのコマはアニメ化にあたって時間的に大幅に拡大・縮小されている
  • 原作では大多数のコマで千秋と香奈が両方描かれているが、アニメでは香奈だけが描かれている時間が非常に多い

· 11 min read

※本記事内の画像は『メイドインアビス』OPより研究のために引用したものであり、それらの権利はメイドインアビス製作委員会に帰属します。

映像としては普通の範疇なんだけど、一見して尋常ならざるインスピレーションを受けたのでここの演出を深掘りする。最初に具体的に何が描いてあるかを確認し、その後それらの意味について検討する。

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C1…星の羅針盤

2話アバンまでで星の羅針盤に関する言及は以下の通り

  • 星の羅針盤はアビスの真実に導く
  • いかなるときも空の果てと星の底アビスを指し示す
  • 「星の羅針盤の真実が見事解き明かされ、アビスの底からは謎のロボット君が現れた。それが始まりでなくて何でしょう」

ちょっとよくわからない。単にアビスを指し示す(アビスへ向かう?)象徴的なアイテムだろうか。

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C2…落ちてくるリコ

水中のような空間でカメラが真上を向いており、目を閉じたリコが反時計回りに回転しながら落ちてくる。

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C3…落ちていくレグ

同じような空間でカメラが真下を向いており、レグが反時計回りに回転しながら落ちていく。

この映像が印象だった理由について考え、映像的連続性と意味的不連続性が同居しているからだと結論付けた。

C2とC3の映像的連続性

  • 2人がいる空間は同じ
  • 画面上の回転方向はリコとレグで同じ
  • リコがカメラに密着した瞬間カットが切り替わりレグの背中が映る

C2とC3の意味的不連続性

  • どちらのカットにも2人同時には映っていない
  • 実際の回転方向はリコとレグで逆

C2とC3は映像としてはきれいにつながっているが、そこで描かれている2つの場面はつながっていない。

正確に表現すると、リコとレグはまだ時空間を共有していない。

それではいつ2人は時空間を共有するのか。はじめてリコとレグが一緒にいることが示されるのは以下のカットである。

(このカットに限らず、この一連のシークエンスでは常にリコが上から下、レグが下から上に移動している。それは1話の再現になっている)

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この一連では2人は向かい合っていることに注目されたい。

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やはりリコが上、レグが下。あくまで普通の少年と少女のじゃれ合いのように見える。

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ライザの背中

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2人で同じ方向に向かって歩いている

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細居イラスト

 意味的に解釈していく。

 確認してほしいのは、最初は別々にしか映されない2人がサビで同じカットに映るようになり、細居イラストに至るという流れである。

 最低限この流れを作るだけであれば、冒頭の3カットに映像的連続性を持たせる必要はない。

 しかしこのOPでは敢えてC2とC3に映像的連続性を与え、冒頭でリコとレグの関連を示唆している。

それは、実のところこの2人は出会う前から同じ運命を背負っているということの映像的表現である。リコは伝説的な探掘家の娘としてアビス深層で生まれたため、その身にアビスの呪いを宿している。レグもまた、アビス深層に由来する技術で作られている。そう、2話を見たら誰もが気付いたと思うが、リコとレグにはアビスにルーツがあるという共通点があるのだ。C3でレグが暗闇に溶け込んだあとで『メイドインアビス』とタイトルが表示されるのはまさにそれを表現している。

 映像的連続性と同時に意味的不連続性が付与されているのも、単に2人の出会いをサビまでとっておきたいというだけではない。

 C2はリコだけ、C3はレグだけ、それぞれ1人だけでアビスに飲み込まれていくカットになっている。このとき2人は脱力した状態で単に落下していく無力な存在として描かれている。つまり、2人を同時に描かないことで1人だけでアビスに挑むことの不安感や恐ろしさをここで表現しているのだ。

 その後2人が現実に出会う映像には、2人の特殊な出自やアビスの恐ろしさなどは感じられない。あくまで普通の少年と少女の微笑ましい交流のように描かれている。実際リコは自分がアビス出身だと知る前からレグに愛情を注ぎ、名前まで与えている。つまり2人の関係は『メイドインアビス』仲間であることに依存していない。だから普通の少年少女として描くのは正しい。

 また、現代日本人の私から見れば厳しい孤児院で暮らしながら危険な探掘作業をするリコ達は辛い境遇だと思ってしまうが、本人たちはそれほどでもないらしいというのは本編中の描写からも読み取れる。シビアでダークな世界観と少年少女の無邪気さの両立というのは本作のテーマの1つなのかもしれない。

 現実世界で2人が出会うカットに続いて、ライザの後ろ姿のカットが1カットだけ挿入される。

 サビの3カットではリコとレグは向き合っているが、ライザの後ろ姿のあとは手を繋いで2人で同じ方向を目指している。これは2話ラスト、ライザからの手紙によって、リコとレグの関係がライザによって結び付けられ、同時にアビスを目指す動機が明確になったことを表現している。

 最後に中村亮介OPEDにおなじみの細居美恵子のイラスト。初見ではここでの止め絵は流れを切るように感じたが、きちんと意味がある。

 C2・C3ではバラバラにアビスに飲み込まれていく2人だったが、ここでは手を繋いで楽しそうに(リコだけか?)歩いている。一人ひとりではアビスに立ち向かえない。自分のルーツがアビスにあるのに、それを知ることも出来ない。

 しかし2人なら乗り越えていける。冒頭C2・C3へのアンサーとしてこのイラストがあるのだ。暗いアビスの背景に対して、いつもの細居テイストのキラキラした背景が対比になっている。

 リコとレグの出会いにかなりの尺を割いているのはこの作品の出発点を明確にするためだろう。

 アビスにルーツを持ち、その身に『メイドインアビス』の刻印を持つ2人の運命的な出会いから物語が始まる。「アニメの1話が出会いで始まるのは当たり前」という認識を超えて、この2人がまずそれぞれに運命を背負っていて、

そんな2人がさらに運命的な出会いを果たしたということを丁寧に確認していくためのOP演出である。

 「これからの出来事」を予感させる内容を少なめにしてストーリーの出発点をきちんと描くということは、序盤の時点でいろいろな展開の材料が仕込まれているということだろう。

 油断せずに楽しみながらこのアニメを見守っていきたい。

· 25 min read

批判的で攻撃的な記事に対して多くの冷静な意見をいただき、大変ありがたいです。

1さん

>>茜は比良から告白された事を後ろめたいからか小太郎に告げていません

ここは重要な論点だと思います。

茜が小太郎にその事実を告げなかった理由はなにか。

「さっき比良といた?」

「あー、うん」

「2人だけ?」

「そう。ごみ捨てじゃんけんで」

「ふーん」

「え、なんで?」

というやり取りを鑑みるに、私は「後ろめたいから」告げていないという解釈は間違っていると考えます。

後の会話も考慮すればむしろ茜は、比良と2人だけでいたという事実が小太郎を怒らせているということがわかっていないのです。

この違いは重要です。茜は意識的に事実を隠したのではなく、小太郎の気持ちがわからなかっただけです。

前者であれば茜が責められるのは仕方がありませんが、後者であれば少なくとも茜に「悪意」はありません。

しかし「問題があった」のは事実であり、反省の余地があることには同意します。

厳密な言葉を使えば、茜には故意はありませんが過失があったと言えます。

>>小太郎の茜に対する苛立ちは嫉妬心よりも茜が正直に話していない事からだと私は感じました。肝心な事を話してくれず不信感を抱いたのでしょうね。

なるほど。茜がどう考えていようと、小太郎にしてみれば茜は言ってくれていない。

私の言葉に直させていただけば、小太郎は茜の中に悪意を感じとっている。だから茜にも悪意を持って接していると。

厳密には小太郎は茜に会った瞬間から不機嫌な態度を見せているので「茜が正直に話していないから」説も小太郎の苛立ちの全てを説明できるわけではありません。

引っ越し・進路・小説のストレスや嫉妬感情と複合的に考慮されるべきものでしょう。

ともあれ「小太郎が茜に対して悪意を持って接した理由は、純粋に彼の嫉妬心である」という記述は撤回すべきですね。

比良とのことについて、茜は言わなくていいと思っていたが、小太郎は言ってほしいと思っていた。

その認識のズレは、小太郎が茜と比良が一緒にいるところを目撃してしまったという偶然によって表面化したと。

>>茜がお祭りの時に流した涙も、小太郎に冷たくされたからというより、正直に話さなかった事により、せっかくのお祭りを台無しにしてしまった事、そして小太郎に嫌われてしまったかも、という後悔から

そうですね。「後悔」という表現は絶妙に正しいと思います。

>>そうすると最後の二人が仲直りする場面や「私も、ごめんね。喋れなくて。もう嫌われたかなって」というセリフなんかにも綺麗に繋がると思います。

茜の行動に筋が通っていることには納得しました。

しかし、ロジックには納得した上で、描写には納得しません。

茜の小太郎への想いが十分強かったから事なきを得ましたが、場合によってはそのまま茜を失っていてもおかしくない事態です。

それにもかかわらず小太郎は光明受験の決意を強めるだけで茜に何の歩み寄りもしていません。

中学生の2人の未熟な恋愛を描くというのであれば、これもまた1つの「リアル」であるのかもしれません。

しかし小太郎のこの態度は将来の禍根であり、10話が「後味の悪い」エピソードであったという感想は変わりません。

2さん

>>小太郎ともうすぐ会えるのですから、食欲を少し我慢して小太郎とのデートで二人で食べればいいじゃないですか。

>>ゴミを捨ててすぐ陸部の皆の元に帰っていれば、比良の告白もなかったわけですし。

これは後知恵です。

小太郎と会う前の茜がいも恋を食べ、比良に告白された。

この行動がもたらす結果を茜が予測し回避することは不可能だと私は考えます。

よってこれらの行動は不運ではあったが、茜には故意も過失もないです。

>>しかし小太郎のいも恋を食べようと持ちかけた時の声は、苛立っているようには私には感じませんでした。

>>もし、一緒にいも恋食べていたら、小太郎の苛立ちも少しは収まっていたのかな、と思いました。

そうですね。小太郎が苛立つのは自然なことです。

>>祭りのお囃子後のコメントからも、身が入ってない感がありました。

>>そこに自分の純文学の小説がラノベと同じような言われ方され、さらに精神的に不安定だったと思われます。

プレスコのせいかスケジュールのせいかこのあたりの演技・演出は不明確に感じられたので、ここについては意見を保留します。

>>その状態で比良の茜への告白を目撃して、断ったにしても自分に伝えてくれなかったとなったら。

>>自分が小太郎の立場だったとしたら、中3で恋愛経験が初めての中で、茜にいつものような笑顔を返せるか、自信ありません。

はい。小太郎が苛立ったのは状況的に仕方なかったと、今はそう思います。

>>過去に美羽がさんざん、「隠し事なしだよね」と言っていたのを思い出しました。

>>この時は美羽のちょっと嫌な性格をクローズアップさせてるのと思ってましたが、かつての記事主さんが述べておられた「合わせ鏡構造」に似た感じで、美羽の言葉がそのまま小太郎の心境にあてはまるかのようでした。

「合わせ鏡構造」を最初に提案したのは私ではなく2chの誰かです。一応。

作中で反復されるセリフは、特定のキャラクターの発言というレベルを超えて作品世界の真理となることがありますね。

美羽のこのセリフは、隠し事は悪い結果を産むという月がきれい世界の一般原理を説明していると取ることも出来ますし、茜が隠し事をしがちだという問題点の指摘と取ることでもでき、興味深いです。

nightさん

>>こんなまとめかたをするのはとても雑だと思いますが「中学生らしさ」であらかたまとめられると思います

>>思春期特有のモヤモヤからくる言動は理不尽で、矛盾だらけだというのが登場人物の言動から顕著に出ていると思います。

中学生なのだから至らない点はあり、それを描くのもこの作品の魅力です。

ということは、お互いに不完全だから成り行きで関係は壊れるし修復もするということも認めねばならない。

『fragile』の歌詞も不器用さゆえの衝突は愛さえあれば乗り越えられると歌っていますね。

ただ一方で挿入歌自体は表現主義的なものであり、不完全な2人をそのまま描くという自然主義的なコンセプトと食合せが悪いです。

私の初見時の印象の悪さはその食合せの悪さによるものかと自己分析しています。

「記事主様の主張ではドライな大人な恋愛な雰囲気が少し感じられます」とのご指摘はもっともだと思います。

私はキャラクターに合理性を求めすぎ、かつストーリーにバランスを求めすぎているのかもしれません。

>>作中の話とは全く関係ありませんがこういう批判記事での討論というのは大好きです

>>これらの記事では自分の中での違和感が解消されるとともに自分の意見を言える場として重宝してます

>>そして作品が好きだからこそ納得のいかない部分に憤りを感じ、声をあげざるおえない とても共感致します

>>これからも応援しています

ありがとうございます。

応援している作品ほど要求が高くなるタチで、ちょっと気に入らない展開があるとキレて視聴をやめるということがよくあるのですが、この作品への情はそう簡単に断ち切れませんでした。

その結果として見苦しい文句のような記事を書いてしまい、反省しています。

それでも多くの方に読んでいただき反響も頂いているので、書いた意味は確かにあったのかなと思います。

しかし、基本的にはアニメブログはアニメの面白さを伝えるものであるべきだと考えており、次回以降もそのようなコンセプトで平常運転に戻る予定です。

これからもブログにお越しいただければ幸いです。

7さん

最初に申し上げておきますが、このアニメは個々の背景画は非常によく川越の街を再現している一方で、地図上の整合性は担保されていません。

たとえば1話の茜の下校ルートは歩いている方向や場所の順番が整合していません。

現実の地図と重ねた考察にももちろん一定の価値はあると思いますし、その着眼点と労力は尊敬しますが、そのような考察の有効性には限界があるというのが私の意見です。

>>落ち合った後の茜の発言は、皆に先に帰ると伝えた後にわざわざ比良と会っていたという意味になってしまいました。

この解釈は目からウロコでした。確かにおっしゃる通り。小太郎の茜への不信を加速させる要素ですね。

>>小太郎は、与えられた短い休み時間が終わりに近づき、茜を疑わなくて済む情報を得られずに不満を抱えたまま去ります。

これは違うと思います。

「さっき告白された。断ったから」と茜は明言しているので、少なくとも「茜を疑わなくて済む情報」は得ています。

しかし時すでに遅しだったというのが正確な解釈ではないでしょうか。

>>学校については、比良ならば学力の点でもスポーツの点でも推薦を得ることは容易であり、進学の動機も陸上の強豪校で理由づけられます。

>>そういう点では自分が不利な立場にあることをわかっている小太郎は、茜への思いが引っ越しやライバルの登場によってぐらつくfragileなものであることを感じて当惑していたことでしょう。

少し読みすぎな部分がある気もします。「小太郎が比良の光明進学の可能性を考えた」とまで具体的に判断できる描写は本編にはないと思います。

しかし一方で、比良と茜が一緒にいるのを見て自分と茜の関係のことを考え、比良は茜と同じ高校に行く能力があるのに自分にはない、それでいいのか、と考えたという筋書きは魅力的ですね。

進路問題によって仲直りを果たしたのだから、遡って仲違いの原因も根本的には進路問題であると考えるのは確かに合理的だと思います。

>>茜は泣きながら、「もう嫌われたかなんて…」と僅かな疑いを告白しています。

事実として茜はそう思っているのでそれは仕方ないんですが、小太郎にあんな扱いをされても小太郎が自分を想っている証拠を見つけて自分から小太郎を連れ出すのは「惚れた弱み」だなあと。

茜が小太郎を好きで、関係を失いたくないから行動を起こした。それを受けてはじめて小太郎は謝罪を口にした。

これでは小太郎が何も反省していないことになります。茜にひどいことはしたけれど、茜と一緒にいたい。だから受験勉強を頑張る。それは小太郎の理屈です。

茜が小太郎にベタ惚れしているから茜からアクションを起こしてくれて偶然仲直りできたという筋書きでは、小太郎が嫌なやつであるという感想を拭えません。

10さん

>>いつも優しくて怒ることなんてないはずの小太郎が年相応の人間らしく嫉妬したり感情をうまくセーブ出来なくなるイベントが必須ですよ。

>>今回のコタさんのイライラや茜の上がり下がりは絶対不可欠なプロセスなのですよ。

シリーズ構成上の必要性と、個々のエピソード内の整合性は別の問題です。

>>主さんもそこら辺を意識して俯瞰されてはいかがですか?もっとこの作品の良さがわかると思いますよ。

私にとってのこの作品の魅力は堅固な脚本と丁寧な演出です。

2017/6/22 22:10追記

「1コメの人」さん

多くの点で合意が得られたと思います。

11話の放送も近づいてきているので、最も重要な点に絞って、なぜ受け取り方の違いが生まれているのか、私なりの考えを提示させていただきます。

>>このように小太郎の態度には、ちゃんと理由があるんですよね。けっして嫉妬などの個人的で理不尽な理由だけで苛立った態度を示したわけでは無いと思います。むしろ普段通りに振る舞おうと努力した描写もあったので私としては、それほど理不尽な態度とは思えなかったです

>>今回の話は、簡単にまとめると、茜が意図せず結果的に、小太郎にかなりの不信感を抱かせるような事をしてしまい、小太郎も不信感から茜の前で苛立った姿を見せてしまうエピソードだったと思います。どちらかが一方的に悪いわけではありません

茜の行動は、それが小太郎を傷つけることは予測不可能でした。

それに対して小太郎の行動は、それが茜を傷つけることが予測可能でした。

しかし予測できても、その行動を自ら制御することはできなかった。

この「自ら制御することはできなかった」という点をもって小太郎が罰に値すると考えるかどうか、それが私と「1コメの人」さんの根本的な違いではないでしょうか。

個人的な話で恐縮ですが、私はわりと抑制的な性格だと自己評価しています。感情をコントロールし行動を抑制することは中学生の時代でもそれほど苦労したことはありませんでした。

「1コメの人」さんの性格がどうだ、と決めつけたいわけでは決してありません。ただ、私達の議論は個人の感覚に帰着させるしかないところに到達したのではないかと、そう申し上げたいのです。

そのような決着で「1コメの人」さんはご納得いただけますでしょうか?

>>小太郎の態度に失望して茜が離れていくといった感じでしょうか?

そうです。小太郎はそうならないための具体的行動を起こしていません。

2017/6/23 02:07追記

栄西@月がきれい研究員@min_nan_a_si

僕は抑制的な性格なので感情を制御できない小太郎に共感できなかった、とブログに書いたら読者さんに「10話感想記事見たらそんな性格に見えないぞ」と言われて一人で爆笑してる。完全にその通りだ。恥ずかしい。 #月がきれい #tsukigakirei #月がきれい徹底視聴闘争

2017/06/23 02:07:19

栄西@月がきれい研究員@min_nan_a_si

ともあれ、あとは感性の違いでしかないと断言できるところまで議論ができたのは実り多いことだと思います。感謝します。 #月がきれい #tsukigakirei #月がきれい徹底視聴闘争

2017/06/23 02:09:56

· 8 min read

月がきれい10話を見た僕はブチギレていた。

演出・作画・演技の噛み合いの悪さもさることながら、強引な展開をショッキングなキスシーンと挿入歌で納得させる低レベルな脚本だったからだ。

その後なんどか見直し、自分なりにこの話数に関する結論を得た。

必ずしも肯定的なものではないが、しかし書き残さねばならないという強い意識のもと、これを書く。

繰り返し検討したところ、私の視聴感を悪化させたのは「善意と悪意の釣り合いが取れていない」ところである。

具体的に言えば「小太郎は茜に悪意を向けたのに、自らその謝罪をしていない」ということだ。

小太郎が茜にしたことを列挙する

  • 呼び出したのにそっけない態度をとる
  • 比良と2人でいた事を確認する
  • 町内のおじさんに囃し立てられ「そんなんじゃないから」と言う
  • 不機嫌な態度の理由を聞かれても答えようとしない
  • 「ムカついた。他の男子。別にいいけど」
  • ロクに会話もせず茜を置いて去る
  • 茜を泣かせた

とにかく、このとき小太郎が茜に対して悪意を持って接していたことは間違いない。

ここで重要なのは、茜は小太郎に対して全く悪意など持っていないのだ。悪いことをするつもりもなく、したとも思っていない。

比良が茜に告白し、それを小太郎が勝手に目撃しただけなのである。

つまり、小太郎が茜に対して悪意を持って接した理由は、純粋に彼の嫉妬心である。

ではこの諍いはどうやって解決されたか。

塾で光明高校の資料を見つけた茜は、それが小太郎のリクエストであることを察知し、小太郎と氷川橋の上で話をする。

小太郎は茜と同じ高校に行く強い決意があることを茜に語る。

それを聞いた茜は思わず小太郎の胸に顔をうずめ泣きながら「ありがとう。うれしい」と言う。

小太郎「この前、ごめん」

茜  「私も、ごめんね。喋れなくて。もう嫌われたかなって」

小太郎「そんなことないよ」

この展開に私は強烈な違和感を覚えた。

まず第一に、小太郎が光明高校の資料をリクエストしたのは川越祭りの前だ。茜はそれを知らなかったのかもしれないが、ケンカの前の小太郎の行動をケンカの後に知って(茜にとっても、視聴者にとっても)何の意味がある?

川越祭りの後の小太郎が茜を変わらず大切に思い続けていることの証明にはならない。

小太郎が光明高校に行く決意を語った場面があるからいいではないかと思われるかもしれないが、そんなことを語るくらいならまず祭りのときのことを謝罪してくれ。

あれだけひどい態度をとっておきながら、謝罪もせずに自分が茜との関係のために努力していることだけは饒舌に語るのは全く好印象が持てない。

第二に、この仲直りの一連で常に茜が先に行動を起こしていることだ。

茜は何も悪いことをしていないのに、小太郎が勝手に狭量な嫉妬心を起こして茜に辛く当たってきたのだ。それを考えれば茜の方から小太郎に愛想を尽かしてもおかしくない。

にもかかわらず茜がリードして関係が修復されるのはどういうことか。

この茜の行動は、言ってみれば小太郎のダメな一面を見ても愛情が断ち切れなくて彼にすがりつづける、不健全な依存ではないのか。

小太郎も小太郎で、茜からの肉体的接触に流されてやっと謝罪の言葉を述べている。本当に悪いと思っているのか。

彼が自分の悪意に相応の報いを受けるか、あるいは反省して謝罪をするのが真っ当な展開であると予想していたので、この展開は悪い意味で予想外だった。

小太郎の狭量な嫉妬心と茜の不健全な依存が描かれた10話は、これまでの清く正しい関係とは一線を画している。

たしかに恋愛は美しいばかりではない。愛と独占欲は表裏一体だ。

しかし1話の中で仲直りまでするというのなら、もっと問題点を明確にしてそれをきちんと解消すべきではないか。

逆にとにかく愛し合っているから多少の問題はなんてことないなどというスケールの大きい話をやりたいのであれば、問題提起から解決まで1話でこなすのは無理だ。

なんとも後味が悪いエピソードだった。

6/18 22:39追記
コメントでの反論は歓迎です。
時間はかかるかもしれませんが必ず熟読してお返事します。

· 19 min read

※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。

月がきれい研究員を自称している私だが、8話を見た直後は不満だった。

栄西@月がきれい研究員@min_nan_a_si

今回のエピソードって7話からほぼ直線的に進展しただけで、予想を超える展開がなかったよね。普通に予測できる範囲内というか。 #月がきれい #tsukigakirei #月がきれい徹底視聴闘争

2017/06/02 00:33:02

1つは作画が荒れていたこと。もう1つは8話を通して何が変化したのかわからなかったこと。

本作は「全12話で小太郎と茜が卒業するまでの1年間を描」く作品である(Pインタビュー:http://www.excite.co.jp/News/anime_hobby/20170429/Otapol_201704_pd_2.html)。

1話ごとに作中の時間がどんどん進むので、どの2つのエピソードもその位置を交換することが出来ない。

となると「この話数では何が変化したのか」ということが大事になる。だって時間は有限だから。

7話までは毎話関係の深化が描かれてきた。

  1. LINEの交換
  2. 個人LINE
  3. 告白
  4. 受諾
  5. 手つなぎ
  6. 図書室での密会
  7. キス未遂

長期シリーズのフィラーのような結局何もなかったというエピソードはこのアニメにはあってはならないのだ。

そこで8話の話に戻る。僕が不満だったのは7話から8話への変化が皆無、あるいは小さすぎると感じたからだ。

7話のクライマックスは小太郎と茜のキスシーン。しかし幼女の妨害によって唇の接触には至らなかった。

一方で8話でも小太郎と茜はキスをする。今度は2人の唇は接触した。

なぜ「唇の接触」などという奇妙な表現をしたのか。それは本当にそれ以外違いが見つからなかったからだ。

考えてもみてほしい。かろうじて唇が接触しないのと接触するのと、2人の気持ちに何の本質的な違いがある?

8話を視聴した後の私は、2人の唇の間の距離が0.1mmから0.0mmになったことをもって進展と呼ぶのであれば、それはふざけた表面的なストーリーに過ぎないと思っていた。

しかし私は徐々にこの考えが間違いであったことを悟った。

最初のきっかけは2chの月がきれいスレのある書き込みである。

月がきれい 28 [無断転載禁止]©2ch.net

http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1496940553/198

198 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で@無断転載は禁止 (ワッチョイ 7d0c-Kxd/)[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 09:21:47.04 ID:hI+1UxVe0

この作品って合わせ鏡構造多いから

今週の茜の活躍をこっそり見届ける小太郎に対して

来種は小太郎の活躍に見とれる茜なんだろうけど、

何気に泣いてる茜を「鼻が赤い」ってからかった比良のシーンも

来週なんかしらあると思う。

茜が泣くか、比良が泣くか...

この「合わせ鏡構造」という指摘を見て、更にあるブログを思い出した。

『ズートピア』におけるハードコア反復/伏線芸のすべて - 名馬であれば馬のうち http://proxia.hateblo.jp/entry/2016/05/01/131333

『ズートピア』のストーリー構成の恐ろしいまでの無駄の無さは強く印象に残っていたが、このブログ記事が丁寧にまとめていた。

そして私は「反復」に着目した見方を本作にも適用してみようと考えた。

そこで私は気づいた。そう、幼女キャンセルという展開は2回目なのだ。

1回目の幼女キャンセルは3話、比良が大会前に茜に告白しようとするシーンだ。

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000899478.jpg

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比良は何かを言おうとして口を開くが、幼女の声援によって遮られ、タイミングを失い「やっぱいいや」と言って去る。

読者諸君が知るとおり、この日の夜に小太郎は茜に告白し、結果的に茜と付き合うことになる。まさにタッチの差である。

確かに視聴者の目線では茜と波長が合うのは比良ではなく小太郎だ。それは2話での2人からの励ましへの反応の差ではっきりと描写されている(3話の話をしているので4話以降の描写は挙げない)。

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001043673.jpg

TVアニメ『月がきれい』第2話「一握の砂」.mp4_001135283.jpg

しかしそれは比良には関係ない。

結果的に思いが実らなくても、告白できるかどうかが大事なのだ。少なくともこの作品世界はそういうルールで回っている。

それは千夏の「私、告白していい?ちゃんと諦めたいから」や比良の「俺は…まだ勝負すらしてないし」という発言に表れている。

そして比良は茜にきちんと思いを伝えられていないという点で小太郎に負けている。

では、なぜ小太郎は告白できて比良はできなかったのか。

その答えは3話の中で明確に示されている。

TVアニメ『月がきれい』第3話「月に吠える」.mp4_000574510.jpg

そう、意志。

「少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。」という太宰の文章がここで引用されている。

作品中でキャラクターが引用する作中作は、多くの場合作品内の絶対的な真理として扱われる。

(ここで太宰の『チャンス』を全文読み解いていってもよいのだが、本作における文学作品の扱いは一般に軽めなので、本稿でも作中で明示された部分のみを対象として考察する)

つまりここで「恋愛はチャンスではなく意志」というルールが本作に導入されたと考える。

このルールに従って考えると、比良が告白を思いとどまった理由は幼女の偶然的な声援には帰属できない。彼の失敗はひとえに彼の意志の不足によるものと解釈されるべきである。

同様に小太郎が告白できたのも、偶然電池が切れた、偶然会えた、偶然満月だったとかそういう話ではなく、彼の意志が強かったからである。

さて、7話のキスシーンの幼女キャンセルは明確に3話の反復となっている。

となれば、彼らがキスできなかったという事実もまた、3話と同様のルールによって説明されるべきだ。

すなわち、幼女が妨害したからキスできなかったのではない。意志が足りなかったのだ。

7話ではキスが失敗した後もお互いに笑いあっているから意志の欠如という問題は隠されているが、事実として意志が足りなかったからキスができなかったのだ。

すると7話と8話の変化は以下のように整理できる。

「7話キスシーンでは小太郎と茜の間にはキスができるほどの強い意志に基づいた愛がないが、8話キスシーンまでにそれを手に入れた」

7話では意志が足りない?何を言っているんだ、2人はラブラブじゃないかと思う方もいるだろうが、よく考えて欲しい。

4話から7話までの小太郎と茜の距離を縮めてきた動因は、千夏(と比良)である。

  • 4話で茜が告白を受諾したのは、千夏への嫉妬が端緒となっている
  • 5話で小太郎と茜が立花古書店で密会したのは、図書室での逢瀬が千夏によって台無しにされたからである
  • 6話では小太郎と茜の距離の変化こそ特に描かれていないが、茜と千夏の関係が直接的に描かれている
  • 7話で小太郎が茜との交際を宣言したのは、(千夏が呼んだ)比良が茜にちょっかいを出していたからである

はっきり言えば、ずっと他者からの妨害を恐れながら、むしろそれをばねにして関係を強めてきたのが7話キスシーン時点の小太郎と茜なのだ。

もちろん、それも愛の形であると考える人もいるだろう。しかし岸誠二はそれをよしとしなかった。そんなのは意志ではないとしたのだ。

あけすけに言えば勢いでキスなんかさせねーよということである。

そこで2人が、外発的な要因なしに本当に自分の意志でお互いを求め合う段階に至る8話が必要になった。

8話を最も単純に要約すれば

節子「ねえねえどこが好き?」

茜「わかんない」

心咲「ねーえ、どこが好きなの?」

茜「一緒にいると安心する」

ということになる。ちなみにこのような冒頭とラストで同じシチュエーションを作って差分を明確にする手法は2話でも用いられている。

ここで重要なのは、8話の千夏の出番が極端に少なく、比良に至っては出番が皆無であるところだ。

7話からの流れで8話を見ると、小太郎と茜の関係が明らかになったから千夏も比良も諦めた(メタ的な意味での「退場」)かのように映ってしまってちょっと拍子抜けするが、そうではないことは9話でわかる。

逆に言えば9話で千夏と比良が諦めていないことを見ることで、ようやく8話の構成上の意味が見えてくるのだ。

7話で一時的に千夏と比良を追い払い、彼らの脅威がない状態で2人が存分にイチャコラして絆を深める。

非常に単純だが、ありそうでなかった、かつ絶対に必要な展開だ。視聴者へのご褒美でもある。

これによって小太郎と茜は、初めて純粋にお互いのことを見つめることができた。

2人の愛が内発的なものになっていることは、短冊を書くシーンで表現されている。

2人は誰に強いられたわけでもなく書きたいと思った。そして誰に見られるわけでもない、お互いに見せることもしない短冊に「ずっと一緒にいられますように」と同じ願いを書いた。

TVアニメ『月がきれい』第8話「ヰタ・セクスアリス」.mp4_000993370.jpg

TVアニメ『月がきれい』第8話「ヰタ・セクスアリス」.mp4_001245356.jpg

8話のキスシーンのミクロな演出については語りたいことが山ほどあるので別の記事にまとめることとする。

現象としてはキス未遂→キスの変化しかないが、2人の愛は決定的に深まっている。むしろキスシーンの反復によって、その背後にある愛の変化を明確に浮き立たせているとも言える。

にくいほど繊細で、丁寧で、無駄のない脚本である。

もう9話が放送され、そろそろ長期的な構成の議論ができるようになってきた。

柿原優子ひとりが全話の脚本を担当しているだけあって、話数をまたいだ反復・対比・ネタの回収は非常に多い。

  • 4話で小太郎の誕生日の話が何気なく出ているが、これは8話で回収された
  • 2話でイモを受け取って饒舌になる茜と、8話でイモを渡して饒舌になる茜という反復
  • 1話で立花は「いろんな本読んだらいいよ」と言って小太郎にグラビア雑誌を渡す。彼は9話でも「ラノベも読んでみたら」と小太郎に言う
  • 1話で部活帰りにシャワーも浴びずジャージ姿でファミレスに行った茜が、8話では小太郎に合う前に制汗剤を使っている

など挙げればキリがない。研究員として時間が許す限り考察を深めていきたい。

まとめ

  • 4話~7話の小太郎と茜の進展は全て千夏と比良のプレッシャーという外的要因がきっかけになっている
  • しかしそれは意志に基づく愛ではないので、3話で提示された「恋愛は意志である」というルールによって7話のキスは失敗した
  • 2人が内発的な意志に基づく本物の愛を確認するために、千夏と比良を除外した8話のデートが必要だった
  • その結果として8話のキスは成功した

· 6 min read

※本記事内の画像は『月がきれい』より研究のために引用したものであり、それらの権利は「月がきれい」製作委員会に帰属します。

日帰りで川越に行ってきた。

最初にまだ他の人がやっていないであろう5話分だけ、場所の紹介をする。写真はない。
4話までについては先人の記録を参照されたい。検索すればいくらでも出てくる。

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大蓮寺付近

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クレアモール

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本川越駅北西

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六塚稲荷神社付近(1話アバン、3話千夏ランニングコース)

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星野高校付近(1話茜の帰り道)
そもそも彼らの生活圏に流れている川は1本しかないので、川や橋のカットのモデルを見つけるのは簡単。

川越は観光地として人気があり、観光客向けの資料館などが充実していて勉強になった。

この作品は単にロケハン先が川越だったというわけではなく、川越の文化をストーリーに取り込んでいる。

1日観光してきただけだが、それでも作品の見方が変わるような知見をいくつか得たので、紹介する。

1.小太郎が祭り囃子連に入っている

 実際に子供たちによるお囃子を見る機会があったが、すごかった(語彙力)。早い子は小学校低学年のうちから指導を受けるらしい。

 3話で茜が「お囃子やるの?すごい!」と言っているが、幼時から中3までずっと習っているということは実際相当な技量があるだろう。本当にすごいのだ。学校生活からは見えてこない小太郎の一面が発揮される舞台として川越まつりは非常に重要なイベントになる。川越に何度も取材に行き、EDにお囃子連の名前を取材協力として載せ、練習シーンを描き、OPのサビに川越まつりの実写映像を据えている岸誠二の覚悟は尋常ではない。

 どのようにストーリーと絡めて見せ場を演出するのか、いまからとても楽しみだ。

2.伝統の担い手としての鳶職

 5話Cパートで彩音の彼氏リクは鳶職の修行中であることが紹介される。彼は大音量のカーステレオを鳴らしながら夜の住宅地を車で走っており、父・洋や母・沙織はそれを非常識な行為であると眉をしかめている。

 これだけ見るとリクは単なる「ヤンキー」であるように思えてしまうが、それは一面的な見方である。

 鳶職は川越の蔵造りの町並みを作る際に重要な役割を果たしており、現在でも川越まつりで山車を組み立て、木遣を歌う役割がある。彼らは伝統の担い手なのだ。

 転勤族である水野家にとっては、高卒で職人を目指して修行中というのは社会的な信用が低く感じるのかもしれないが、そんな一家の彩音が地域の伝統の担い手であるリクと交際しているというのは示唆的である。

3.キービジュアルが氷川橋

本編では小太郎や茜が氷川橋に行ったことはない(実際二人の生活圏から少し遠い)が、キービジュアルは氷川橋。

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氷川橋は氷川神社の裏にあり、氷川神社は縁結びで有名。神前結婚式の会場にもなっている。これってつまり…?(?)。